「稲むらの火」は史実、物語、説話? ≪前半≫

 このブログも毎日更新していたのが、継続をあきらめてから徐々に間隔が開き、最近はもうすっかり忘れられてしまうくらいになってしまいました。

4月の半ばから咳や痰にのどの痛みを覚えて、少し熱も出て風邪程度に思っておりましたが、良くなったかと思うとぶり返して連休に突入し、5月1日になって病院に行ってきました。
連休の間の診療日はやはり混んでいましたね。
それでも抗生物質をもらったりして1週間、症状もほぼ収まりました。 
寝込むほどのことはなかったのですが3週間もすっきりしない日を過ごしてしまいました。

そしてブログも気が付いてみれば半月以上間隔が開いてしまいました。
また徐々に再開したいと思います。

5月5日の子供の日に、「ふるさと風の会」の会報の12周年記念号(32ページ)を印刷し、八郷地区から朝日トンネルを抜けて小町の里・北条まで会報を置きに車を走らせてきました。

連休中とあって、フラワーパークも車が一杯で、まわりの有料500円の駐車場まで結構たくさん車が入っていました。
小町の里の小町庵の蕎麦屋は午後1時過ぎでもまだ外に待っている人が一杯。

北条ではイベントが行われていて歩行者天国で地元出身の歌手の歌声が流れ、結構な賑わいでした。
でもこのようにどこも行楽地らしきところは人が一杯ですね。
日本人はどうしてこんなに人が集まるところが好きなのでしょうか?

子供を連れて行っても、人がいないと、きっとさびしい思いがするのかもしれませんね。
吉永小百合のコマーシャルで紹介された大田原市雲厳寺もたくさんの人が行ったようです。
あのコマーシャルでは「芭蕉は何故この地に長く滞在したのでしょうか?」と読者に問いを投げかけて、訪れたらその理由を感じることができそうなコマーシャルです。

でも本当に訪れたらわかるのでしょうか?

「ふるさと風の会」は地元石岡でふるさとに文化の芽を興そうと12年間休まず、毎月会報を発行してきたのです。
わたしも途中からの参加で、まだ半分くらいですが今回は「ふるさと」について少し書いてみました。

生まれ育った場所ではない石岡でふるさと興しのようなこともしているので、こんな私にとって「ふるさと=故郷」ってなんなんだろうと考えたのです。

興味がありましたか下記のホームページで今まですべての会報が読めます(PDF)

 ふるさと風の会ホームページ ⇒ こちら
 (今回の会報は ⇒ こちら

さて、最近記事もかけていないのですが、わたしが一昨年に「石岡地方のふるさと昔話」という小本を作ったときに、

「昔話」というのは文学でいえばどんな定義になるのだろうか? 

どこまで今まで書かれたり伝えられてきたことを編集したり、書き加えたりしても良いのだろうか?

との思いに悩んでもいました。

羅生門や芋粥、蜘蛛の糸などは芥川龍之介が書けば「小説」とみなされ、御伽草子に書かれているのなどは「説話」といわれるのでしょうか?

その区別はどこにあるのでしょう。

まともに文学など勉強したことはないので専門家によればきっと区別はあるのでしょうが、あまり専門的な話には興味もありません。

でもそんなことを考えながら千葉県の銚子を訪れた時にヤマサ醤油工場の近くで「濱口梧陵紀徳碑」を見つけました。


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濱口梧陵(はまぐちごりょう)といえばヤマサ醤油(濱口儀兵衛商店)の七代目で、初代郵政大臣まで務めた人物です。
今のヤマサ醤油の地位を築いたすぐれた人物と言ってよいでしょう。

小泉純一郎氏が総理大臣時代に「郵政民営化」を主張したときに、郵政の民営化を最初に主張したのはこの濱口梧陵が日本最初の郵政大臣になった時だと言っていました。
しかし時代は郵便事業は「官」の方が良いという意見が多く、濱口梧陵は短い期間で大臣を辞したといいます。

でも私たちには東関東大地震の時の津波被害でよくメディアなどでも引用された「稲むらの火」という話しのモデルだといわれていることの方が馴染みがあります。

また、この話も実際の史実とは少し違うところがあるといわれています。
どんなところが違うのでしょうか?
少し調べてみたいと思います。

今日もこれから銚子に行きます。時間がないので続きはまた後で・・・

後半は ⇒ こちら


地域振興 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/05/06 18:26
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