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茨城の難読地名(その24)-葛生

難読地名24

シリーズ1回目からは ⇒ こちら 

葛生 【かずろう】 古賀市(旧総和町)

 角川日本国地名大辞典には「地名は、当地に住した郷士たちが荒地を開墾し真藤の根を掘り取って葛(くず)を製造し資材を作り上げたことによるという」と書かれている。

しかし、「葛(くず)」には「崩れ(くずれ)」の意味もあるという。この地名としては「楠」、「木津」、「九頭龍」なども同じ息がある場合が多いようです。

日本全国の「葛生」地名を調べてみました。

茨城県以外にあったのは、栃木県佐野市葛生です。でもこちらは「くずう」と読みます。
この地区は「葛生石灰岩」といわれる石灰岩で有名な場所でした。またこの石灰石から大昔の人骨が発見されました。
葛生(くずう)原人と名付けられましたが、人骨かどうかにも疑問があるようです。

こちらの地名由来について佐野市のホームページには次の2つの説が載っていました。

(1) 万葉集の東歌の中に「上毛野安蘇山黒葛野(かみつけぬあそやまつづらぬ)を広み延(は)ひにしものを何(あぜ)か絶えせむ」とあります。ここに上毛野とあるのは、上古は今の上野と下野は毛野国といって一国であったが、仁徳天皇のころ上毛野と下毛野に分けられました。しかし、境界は一般には不分明であったため、誰の作ともわからず東国人の歌として万葉集に採録するとき、筆者がはっきり境界など気にせず下毛野を上毛野と書いたようにも考えられます。この歌の「つづら」は葛または藤など、つるを利用してひものように利用できる植物を意味しているので、「葛生の地名」の起こりもこの辺から出たのではないかといわれています。

(2) クズ・フという地名で、クズは動詞クズレル(崩れる)の語幹で、山・崖などが崩れ落ちるの意味から、崩崖・崩壊地をいいます。フは「~になっている所」という地形名彙の語尾につくものなので、地名は崩崖地に由来するという説です。

どうでしょう。

古賀市葛生(かずろう)についても、この2)の説「崩壊地」が語源と考えることもできるのではないかと思います。
しかし「葛」を「くず」と読むと「かずろう」の読みが出てきません。

この読みについては次の地名が参考になりました。
日光に「葛老山(かずろうざん)」という山があります。
「葛」は「くず」とも読みますが、四国のかずら橋などの蔓=葛=かずらと読みます。

このため 「葛生」 ⇒ 「かずらう」 ⇒ 「かずろう」 となったものと思われます。

この読みから考えると「崩れる」意味ではなくやはり「蔓状」の「かずら」=葛が語源なのでしょうか。

しかし、日光の葛生山(標高1124m)は1683年の日光大地震で崩れて、ほとんどなくなってしまった山で、この崩壊の土砂が川をせき止めてできた湖が「五十里湖」です。
ということは、「崩れる」意味かもしれないですね。

最後に東京都葛飾区の「葛飾(かつしか)」の由来も書いておきましょう。(Wikipediaより)

(1) 葛の多く生えた「葛繁」の意とする説、
(2) 「かつ」は崖、「しか」は砂洲とする説、
(3)「かとしき(門敷)」の転化で、古利根川下流の入江の門戸の低湿地を整備して、集落が立地したことによるとする説、
(4)「方洲処(かたすか)」で、一方が砂地の所とする説、
その他にもまだいろいろな説があるようです。


茨城の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/07/14 07:00

茨城の難読地名(その25)-手子生

難読地名25

シリーズ1回目からは ⇒ こちら 

手子生 【てごまる】 つくば市豊里地区

 地元の説明では、地元にある鹿島神社が名前の由来に関係しており、
「この手子生鹿島神社は創建不詳だが、1603年に手子生城主・菅谷範政が祭神不詳だったため、武甕槌神を祀ったとされる。
地元では、手の子明神として親しまれており、御神体は木彫りの手首。
伝承では、その昔、手子生村に住んでいた若い夫婦は、夫の留守中、その妻が村の若い衆のいたずらに遭わないように、 夫婦の隣に住む爺さんが、毎晩妻の身体に手を当てて守ってやったら、いつしか妻は妊娠し、 生まれた男の子は、稀に見る秀才で、成人して立派な功績を残したことから、後世その徳を慕って一社を建立して末代までの守り神とした。
「手を当てて子が生まれた」ということから手子神社と呼ばれた」
これが地名の由来とされる。 とある。

しかしこれはこの「手子生」の漢字から後から作られた話である可能性が高い。

なぜなら、手子后神社という名前の神社は各地にあり、このような話は伝わっていない。

まず、神栖市波崎には、手子后(てごさき)神社は、常陸国風土記に記載のある「童子女の松原伝説」に登場する
海上の安是(あぜ)の嬢子(いらつめ)=手子比売命(てごひめのみこと)を祀っている。

この手子后神社という名前の神社は、この地のほかに茨城県には石岡市中津川、水戸市元石川町、水戸市田島町、城里町上圷にあります。

やはりこの地名の元となっているのが 手子后神社の「手子比売命(てごひめのみこと)」が関係ありそうだ。
この神様は一説では鹿島神宮の神の娘とも言われます。

「鹿島神宮伝記」によると・・・「本社の巽(たつみ)に当り、天宮社あり、手子后と申し、大明神の女と申す。天降る神の乙女は世にもまた、雲の通い路行(ゆき)返らむ」とある。

すなわち、「海上(うなかみ)の安是(あぜ)の嬢(いつらめ)」=「手子后」=「天宮」となる。

この神をたどると、日本に渡来した倭人のルーツであり、中国華南の「海上(うなかみ)の安是(あぜ)の嬢(いつらめ)」である「娘馬(ノーマ)神」に行き着くという。

こんな話が元になっているとすると鹿島の神のルーツもわかってくるかもしれません。

ただほとんど残されていない神様ですのでルーツをたどるのはかなり困難ですね。

茨城の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/07/14 17:08
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