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歴史っていったい何か?

歴史っていったい何か?

企業の定年が間際に迫ってきた頃から、地元の埋もれた歴史に関する記事などをブログのテーマにしているが、いまだにこの「歴史」ということがわからない。
私は元々理系人間で中学生の頃から学校での歴史授業は好きではなかった。
暗記すべき年代や人物名などがたくさんあり、これを覚えなければテストでは良い点数が採れない。受験勉強のためにやむなく勉強したに過ぎない。特に途中からは世界史の専攻になったので、日本史はいまだにチンプンカンプンだ。
今思えばこの歴史授業がどこかおかしいのだという気がしてならない。
こんな名前や年代などは調べればわかることであり覚えなくてもよいのではないかと思う。
「歴史(れきし)」は「暦史(れきし)」であり、大昔は「暦(こよみ)」の記録に過ぎない。
中国の「史記」が歴史書のはじめといわれるように「史」そのものに現在でいう「歴史」の意味があったという。
しかし、歴史学なるものが出来て、また「歴史認識」などというわけのわからない言葉に置き換えられ、益々混迷してしまっている。
自分の都合の良いように歴史の事柄を変えたり、追加したり、無視したりする時の権力者や歴史家と称する人が大昔から現在まで数多く存在し、教科書などもどこまで信用してよいのかまったく見当も付かない。
また、国家レベルでも、どこの国も自国の都合の良いようにしたがる。
地方で言えば、市史や行政の説明看板、パンフレット、ちらし、ホームページなどに書かれていれば全て事実と思いがちになる。異なった事実が明らかになっても、行政や有名な教育者の話などが先にあれば正しいと思い込む。特に読み手の都合の良いことだけを信じようとする。書かれている事柄の自分なりの検証をすることをしない。
最近この地方の「よもやま話」などを書き始めたが、どうにも筆が進まない。
まあでもこの地に来て12年ほどになる新参者ではあるが、この間に知り得たことを少しでも残しておけば後の世に何か役に立つのではないかと思う。当然私の書いているものもどこかで事実を捻じ曲げられた事柄にすぎないものもあるかもしれないが・・・・。

つらつら思うこと | コメント(2) | トラックバック(0) | 2018/12/04 13:26

石岡地方のよもやま話(その10)-八郷盆地

八郷地区はこのあたりでは珍しい山に囲まれた盆地のような地形をしています。

昔は山根地区と言っていました。

最近つくば山系のジオパーク登録によってこの地域の地図が国土地理院から発売されました。
鳥瞰図的な地図で、この地域の特徴がよくあらわされています。

まるで火山の火口のカルデラ湖のようなです。

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いったいこの地形はどのようにしてできたのでしょうか。

ジオパークの説明では
八溝山地の南端部をなす筑波山地は深成岩体が地の変動によって隆起し、深成岩の上の地層もそのまま一緒に隆起し、その隆起の後に、この地形が河川によって浸食されたものだそうです。

八郷盆地は大きく分けて3段の高さに分かれています。
標高50~70mの上層部、27~45mの中層部、12~28mの低層部です。この下層部は恋瀬川の沖積低地です。
大昔は竜神山や富士山などの岩石は筑波山系の岩石と同じかなり古い岩石で、このあたりに海が入り込んでいた時代にはこの竜神山や富士山は島だったと考えられています。

そして、柿岡地区には昔大きな湖(柿岡湖)があったといわれています。
そして恋瀬川の柿岡湖の出口には滝があり、その滝が崩れて現在の平野になったとも言われています。

ただこれも何時頃のことかはっきりしませんが、このようなことを考えて、この地形図をながめてみるのも良いでしょう。

八郷盆地の山の麓は良く朝霧が発生します。
幻想的な風景が今も見られるのはこのような特異な地形が関係しているのでしょう。

八郷盆地では、放射冷却により発生した冷気が滞留し,霧が発生し、その霧が筑波山に添って流れていきます。


石岡地方のよもやま話 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/12/04 20:43
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