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永山金刀比羅神社

 最近このブログ更新もだいぶおろそかになってしまいました。
少なくても週に1回は更新しないとと思っているのですが、いろいろなことをしているという言い訳を頭に浮かべながらついつい延び延びになってしまいます。

また何か新たなテーマを見つけていかなければならないかもしれませんね。

石岡から文化を発信しようとしている「ふるさと風の会」。
昨日は2月号の印刷をしました。
今回は主査の白井先生が突然の病。検査や何かお忙しいので原稿のまとめなどの編集の一部を行いました。
20ページほどの冊子ですが、毎月休まずに発行して、今回が153号です。
12年以上休まずに続けるというのはすごいことです。

これもHPにアップしなければ・・・・
何しろあまり若い人がいませんので、HP作成したり管理するのも私の仕事。
今月号のUPもこの記事が書き終わったらすぐにしないと・・・・

今回の記事は2週間ほど前に訪れた神社の記事です。
前にもここは一度訪れていますが、1月半ばのNHK水戸放送局の番組で、ここを通る国道355号線沿いの沿線紹介をしていて、紹介されたので立ち寄ったものです。

国道355号線は千葉県の香取市からここ潮来市永山を経由して霞ケ浦北岸を通り、石岡経由で笠間市(笠間稲荷)までの国道です。
笠間稲荷と香取神宮を結ぶ昔からある通りなのです。

しかし、この潮来市永山から香取(旧佐原)までは国道50号(千葉-成田-香取-鹿島-水戸)と一緒になるので、この国道としてはこの永山が起点となります。
そんなところにある山の上に建つ神社ですが、国道から真っ直ぐ急な石段があり、手前に駐車場もないのでなかなか立ち寄れません。

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国道から急な石段がまっすぐ上に・・・
この石段は勾配が急で、手すりもなくはあはあ言いながら上の方まで行くと結構怖いです。手をついて登りそうになりました。

本当はもう少しゆるい石段が脇にできていますし、ぐるっと廻れば車で上の方にも行けるようです。

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(永山金刀比羅神社拝殿)

上からは、なかなかいい眺めですよ。鳥居の先に霞ケ浦が広がります。

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(金刀比羅神社の隣りの子安神社)

神社の名前は「金刀比羅神社」
当然、四国讃岐のこんぴら様が総本宮でしょう。

お正月明けて、まだそれほど経たないときだったので「初詣」などの旗が上がっていましたが、その中に「海上安全」の旗がありました。

NHKの若いアナウンサーがこの幡に興味をして示していました。
「近くに海もないのに何故海上安全?」

そして神社管理の方の説明で、下記にあるように鹿島灘方面や銚子の漁師の参拝もあったからと聞いて納得していたようです。

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おかしなものですね。
この霞ケ浦も昔は海。
湖として認識されても、ここは江戸時代はもちろん、明治から昭和初期までたくさんの舟が行き来していました。

利根川経由で江戸とも結ばれていましたし、霞ケ浦沿岸のたくさん(48カ所?)の港(津といった)があり、たくさんの漁師がおりました。
そのような方にとっては山の上から湖を眺め下すこの神社が海上安全の神社だったのです。
やはり若い方には昔の姿が思い浮かばないのでしょうね。

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金刀比羅神社の本殿です。
なかなか立派ですね。

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まわりの囲いの柱にはお正月の絵馬が願いを書いてたくさん置かれていました。

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神社拝殿横には船の碇が置かれていました。これも海上安全の昔の物なのでしょう。

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今日は節分ですね。じんじゃに鬼の面を飾るのにはどのような意味があるのでしょう。
これも昔からの物なのか、新しいものなのかはよくわかりません。

潮来市永山も国道を石岡の方から走っていくと旧麻生町の隣りで、国道50号線手前なので潮来市という気がしません。
50号の下をくぐってすぐ先が川瀬巴水や葛飾北斎の版画で知られる「常州牛堀」です。

行方四頭などを御存じの方には「島崎氏」の領地であったという地域です。
江戸時代は水戸藩の領地でしたが、麻生藩がその間に入り込んだようになっていましたので、少し麻生とは違っています。

潮来地区 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2019/02/03 08:43
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