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笠間六体仏を求めて・・・(その三)楞厳寺

 笠間の六体仏の2寺目は、笠間市方庭地区にある臨済宗の禅寺「楞厳寺」です。 
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楞厳寺は「りょうごんじ」と読みます。各地に同じな前の寺が結構多いので名前の由来を調べてみました。

楞厳(りょうごん)とはサンスクリット語の「シューランガマ」の読みを漢字に当てはめた「首楞厳」からきており、大乗仏教の初期の経典の中の「仏説首楞厳三昧経」から取られた名前だそうです。

首楞厳の意味は「勇者の前進」「英雄的な行進」ということになり、仏教ではあらゆる汚染・煩悩を打ち砕く勇猛な仏陀のことを示すとされるようです。
勇者の行進などといえばポピュラーソングの「聖者の行進=When The Saints Go Marching In」などと言葉のニュアンスは似ていますね。

「首楞厳三昧」は、菩薩がこの三昧にはいると、三毒の煩悩が消滅するほどの功徳をもった三昧となることを意味するといわれます。

菩薩はまだ修行の身であり、仏の悟りを追及して修行している身をいいます。悟りを開けば菩薩は「如来」になります。

前回紹介した「弥陀教会」の弥勒仏(みろくぶつ)は昔は「弥勒菩薩」として表記されていたのですが、仏像を調べていて、これは「弥勒如来」として造られたものであることが判明したのだそうです。

さて、今回の楞厳寺(りょうごんじ)は平安時代頃に宋の僧・千岩が開いたとされる律宗の寺だったようで、鎌倉時代になって廃れてしまい、これを笠間時朝が再興してそれから笠間氏の氏寺となったようです。
18代にわたる笠間氏累代の墓が残されています。

律宗から現在の臨済宗に変ったのは、室町時代です。

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寺の入口近くに来ると周りが畑や田んぼで、寺へ入る入口にポツンとこの山門が建っています。
この茅葺の門は室町時代中期に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。

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禅宗様式の四脚門です。

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山門から進むと寺の入口に駐車場があります。
寺へはそこから急な石段を上りますが、足元にはかわいらしい石像も置かれています。

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入口石段を少し息を切らせて登ると、入口門があり、その先に寺の大きな禅寺様式の方丈?が正面に迫ってきます。

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境内は少し苔むしたところと、明るい境内には桜の木や白い花の咲く木(こぶし?)もあります。

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正面の大きなお堂に向かって左手の奥に小さな古びたお堂があります。
恐らくここが観音堂でしょうか。現在こちらには仏像は置かれていないのでしょう。

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観音像への矢印案内があり、その矢印の先に国の重要運家財に指定されている観音像を保管するコンクリートの保管庫が置かれています。

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4月8日のこの日は、この保管庫(宝物館)の扉が開けられ、手前に釈迦の誕生仏がおかれていました。
甘茶をかけて、この観音像を拝みました。

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手が40本の「千手観音菩薩立像」です。 像の銘より1252年の鎌倉時代に制作されたことが判明しています。
像高:193.9cm
ヒノキ材の寄木造 漆箔・玉眼です。

頭上に十一面の化仏を戴き、両手、宝鉢手(ほうはつしゅ)などあわせて、手の数は四十臂です。

光背は失われていますが、こちらの像も慶派の仏師による像と考えられます。

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観音像の左右に「毘沙門天」と「不動明王」とみられる像がおかれていました。
詳細は分かりません。

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ここも撮影は禁止です。像の写真は公開されているサイトからお借りしました。

次回は岩谷寺を紹介します。

茨城の仏像 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2019/04/16 11:36
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