天高く
大雨の後、また銚子に行ってきました。
水曜日です。
朝方は霧が深く、行方あたりまではかなりどんよりとして、遠くは見通せないようでした。
また地面も結構ぬれており、利根川沿いも低地では水が溜まっている場所も散見されました。
霞ヶ浦水位も、利根川の水位もやはりまだかなり高いようでした。

銚子に着くと天気はからっと秋晴れ、気持ちもよい陽気でした。


利根川の河口。
対岸は神栖市波崎。 風車がシンボリック。

銚子大橋もくっきり。
水も以前に比べかなり青くなっていた。

大橋手前の桟橋は、昔連絡船が泊まった船着場。
大橋が出来る前はここから対岸の波崎間に連絡船があったとか・・・・。
水曜日です。
朝方は霧が深く、行方あたりまではかなりどんよりとして、遠くは見通せないようでした。
また地面も結構ぬれており、利根川沿いも低地では水が溜まっている場所も散見されました。
霞ヶ浦水位も、利根川の水位もやはりまだかなり高いようでした。

銚子に着くと天気はからっと秋晴れ、気持ちもよい陽気でした。


利根川の河口。
対岸は神栖市波崎。 風車がシンボリック。

銚子大橋もくっきり。
水も以前に比べかなり青くなっていた。

大橋手前の桟橋は、昔連絡船が泊まった船着場。
大橋が出来る前はここから対岸の波崎間に連絡船があったとか・・・・。
横利根閘門(その1)
台風や大雨の後、霞ヶ浦全体の水位が数十センチ上昇しているようだ。
周辺の低いところはギリギリまで水がきている。
潮来の手前の牛堀から霞ヶ浦の水は常陸利根川という川で利根川と平行に流れ、北浦から鰐川を通って流れてきた水は「外浪逆浦(そとなさかうら)」で合流し、銚子の手前15~16km程手前で利根川本流に合流している。
この合流点に水門(逆水門)があり、利根川の増水時事などはなかなかこの水門は開かない。
開かなければ霞ヶ浦の水位は上昇する。
今回水位が高そうだったので気になり牛堀地区と千葉県香取市(佐原)をつなぐ運河の役割をしている横利根閘門を見てみたくなった。
横利根川はほとんど流れがなく、この閘門で仕切られ、今では通る船もほとんどないので、水面も穏やかであり、太公望の絶好の釣り場のようだ。

この横利根閘門は国指定の文化財。
レンガ造りの水門と前後に「くの字」状に開く門はかなり格好いい。

やはり水門の水位はいつもよりだいぶ高いようだ。
見た目でも判る。

この日は平日の10時ごろだが、太公望は続々と増えていっているようだ。
このように水辺に木の台を固定して、のんびり何時間も釣り糸をたれる。

食べ物や飲み物などいろいろ持って来て、こうして台ぬ上に載せている。

それにしても穏やかだ。
年に何回くらいこの水門は開くのだろうか?
時々土浦港などから観光用の船がここを通過して銚子などに行っている。

大雨の増水後なので、釣人用の木の台は岸に引き上げられて置かれていた。
休日などは結構人が来るのだろう。
この横利根川は茨城県と千葉県の県境。
西側は茨城県稲敷市、東側は水郷の12橋巡りや与田浦がある中州地帯で千葉県香取市(旧佐原市)となる。
この横利根閘門(こうもん)は上の写真を撮っている側の稲敷市が管理しているようだ。
周辺の低いところはギリギリまで水がきている。
潮来の手前の牛堀から霞ヶ浦の水は常陸利根川という川で利根川と平行に流れ、北浦から鰐川を通って流れてきた水は「外浪逆浦(そとなさかうら)」で合流し、銚子の手前15~16km程手前で利根川本流に合流している。
この合流点に水門(逆水門)があり、利根川の増水時事などはなかなかこの水門は開かない。
開かなければ霞ヶ浦の水位は上昇する。
今回水位が高そうだったので気になり牛堀地区と千葉県香取市(佐原)をつなぐ運河の役割をしている横利根閘門を見てみたくなった。
横利根川はほとんど流れがなく、この閘門で仕切られ、今では通る船もほとんどないので、水面も穏やかであり、太公望の絶好の釣り場のようだ。

この横利根閘門は国指定の文化財。
レンガ造りの水門と前後に「くの字」状に開く門はかなり格好いい。

やはり水門の水位はいつもよりだいぶ高いようだ。
見た目でも判る。

この日は平日の10時ごろだが、太公望は続々と増えていっているようだ。
このように水辺に木の台を固定して、のんびり何時間も釣り糸をたれる。

食べ物や飲み物などいろいろ持って来て、こうして台ぬ上に載せている。

それにしても穏やかだ。
年に何回くらいこの水門は開くのだろうか?
時々土浦港などから観光用の船がここを通過して銚子などに行っている。

大雨の増水後なので、釣人用の木の台は岸に引き上げられて置かれていた。
休日などは結構人が来るのだろう。
この横利根川は茨城県と千葉県の県境。
西側は茨城県稲敷市、東側は水郷の12橋巡りや与田浦がある中州地帯で千葉県香取市(旧佐原市)となる。
この横利根閘門(こうもん)は上の写真を撮っている側の稲敷市が管理しているようだ。
ふるさと風の会展

ふるさと風の会の文庫展を下記にて開催します。
11月10~13日 (最終日は15時まで)
場所: 石岡 まちかど情報センター
今迄の文庫も作る人がいなくなり、私のもの(茨城の難読地名」などが増えました。
白井先生の
・詩集「寒蝉(かんせん)」
・ふるさとおとぎの物語「霞ヶ浦の赤い鯨 (他4編)」
を増刷中です。
手づくりというのも結構しんどいですね。
「ふるさと風販売Shop(BASE)」へも順次作品を登録していきます。
ネットでの注文は ⇒ ふるさと風販売Shop へ

横利根閘門(その2)
横利根川側の水門入口で太公望の姿を確認して、すこしこの閘門公園へ廻って水門をまたみてみたくなりました。

裏側に公園の入り口があり、閘門の構造が良くわかります。
奥に見える鉄の水門が 横利根川の水門です。
そして手前にもう一つ同じ構造の水門があり、横利根川から利根川に出るためにはまずこの二つの水門に挟まれたところの水位を相手側に合わせなければなりません。

この桟橋で出る側の水位と同じになるように調整するため、ここで一時船を停めて休憩です。

ここの水門(閘門)は「くの字」に前後に動きますので、一般の上下に開閉するの水門とはかなり違います。

この歯車は黒光りして結構格好がいいですね。


こちら側から利根川に出ます。
利根川との境にもう一つ水門があります。
こちらは上下に動きます。
やはり大雨の後で少し水位が高く、利根川の流れも速いようです。

水鳥たちがここでたくさん休憩していました。
ゆっくり近寄ったのですが皆そわそわと動き出して水に飛び込んだりしだしました。

「立ち入り禁止」ですので、水鳥たちには安心な場所なのでしょうね。
恐らく利根川の岸辺などは増水していて、鳥たちもここに避難してきたのでしょうか。


裏側に公園の入り口があり、閘門の構造が良くわかります。
奥に見える鉄の水門が 横利根川の水門です。
そして手前にもう一つ同じ構造の水門があり、横利根川から利根川に出るためにはまずこの二つの水門に挟まれたところの水位を相手側に合わせなければなりません。

この桟橋で出る側の水位と同じになるように調整するため、ここで一時船を停めて休憩です。

ここの水門(閘門)は「くの字」に前後に動きますので、一般の上下に開閉するの水門とはかなり違います。

この歯車は黒光りして結構格好がいいですね。


こちら側から利根川に出ます。
利根川との境にもう一つ水門があります。
こちらは上下に動きます。
やはり大雨の後で少し水位が高く、利根川の流れも速いようです。

水鳥たちがここでたくさん休憩していました。
ゆっくり近寄ったのですが皆そわそわと動き出して水に飛び込んだりしだしました。

「立ち入り禁止」ですので、水鳥たちには安心な場所なのでしょうね。
恐らく利根川の岸辺などは増水していて、鳥たちもここに避難してきたのでしょうか。

本つくり
昨日はどこへも行かず、10日から始まる風の会文庫展の本を少し作成していました。

白井先生のおとぎの物語集を作成しました。
石岡へやってきて初期のうちに書き下ろした物語
・霞ヶ浦の赤い鯨
・新説柏原池物語
・新鈴が池物語
・潮の道余話
・皇帝ペンギンの首飾り
を兼平ちえこさんの挿絵を加えて編集しなおしました。

私がまとめていた「地域に埋もれた歴史シリーズ 全24巻」の中で在庫切れになってしまっていたシリーズ数巻を増刷しました。
こんなことで時間がいくらあっても不足・・・・・・・・
今日は宿題になっている企業の合理化プログラムの作成です。
木曜日までにまとめなければ・・・・・
金曜日は銚子で、土曜日は風の会の会報印刷です。
会報アレンジや原稿はなんとか作成終わりました。
日曜日からは風の会展にまちかど情報センターにたぶんかなりの時間いると思います。
お遊びに是非いらっしてくださいね。
風の会文庫展
11月10日~13日 (10時から15時ころ基本として在廊予定です)
石岡 まちかど情報センター
入場無料

白井先生のおとぎの物語集を作成しました。
石岡へやってきて初期のうちに書き下ろした物語
・霞ヶ浦の赤い鯨
・新説柏原池物語
・新鈴が池物語
・潮の道余話
・皇帝ペンギンの首飾り
を兼平ちえこさんの挿絵を加えて編集しなおしました。

私がまとめていた「地域に埋もれた歴史シリーズ 全24巻」の中で在庫切れになってしまっていたシリーズ数巻を増刷しました。
こんなことで時間がいくらあっても不足・・・・・・・・
今日は宿題になっている企業の合理化プログラムの作成です。
木曜日までにまとめなければ・・・・・
金曜日は銚子で、土曜日は風の会の会報印刷です。
会報アレンジや原稿はなんとか作成終わりました。
日曜日からは風の会展にまちかど情報センターにたぶんかなりの時間いると思います。
お遊びに是非いらっしてくださいね。
風の会文庫展
11月10日~13日 (10時から15時ころ基本として在廊予定です)
石岡 まちかど情報センター
入場無料
風の会
ふるさと風の会も14年目に突入して5ヶ月くらい過ぎました。
なんとか15年は続けようとしております。
会員数は全部で現在8名いませんが、毎月発行の会報に全員が誰一人欠けることなく原稿を寄せてくれます。
それを会員自ら編集し、A4×20ページ(A3裏表10枚)の会報を550部印刷・製本して、会員が公民館に置かせていただいたり、手渡しなどで配ったりしています。
1人欠けてもこれからの存続が厳しくなりそうです。
経費は全て会員の会費(2000円/月)でまかなっています。
11月号のマトメが終了しました。 そこで原稿を全部を並べてみました。

これが11月号の原稿(20P)です。
やはりまだ文字が多いですね。
私が自分の記事に写真を入れたり、最近イラストを加えたり・・・・。
でも20ページを増やすと、現在の会員数では厳しい(金銭・時間)ことになりそうです。
合間に本を作ったり・・・・ でもこれも現在の会員には無理そうです。
何かご意見などありましたら遠慮なくお願いします。
今まで白井先生の演劇がありましたが、これを継続するのが難しく頭が痛いです。
背景画に書いていた兼平ちえこさんの作品を写真にとって残したいと奮闘もしています。

(愛宕山の天狗)

(長興寺の地蔵さん)

(筑波山・龍神山の女神)
なんとか15年は続けようとしております。
会員数は全部で現在8名いませんが、毎月発行の会報に全員が誰一人欠けることなく原稿を寄せてくれます。
それを会員自ら編集し、A4×20ページ(A3裏表10枚)の会報を550部印刷・製本して、会員が公民館に置かせていただいたり、手渡しなどで配ったりしています。
1人欠けてもこれからの存続が厳しくなりそうです。
経費は全て会員の会費(2000円/月)でまかなっています。
11月号のマトメが終了しました。 そこで原稿を全部を並べてみました。

これが11月号の原稿(20P)です。
やはりまだ文字が多いですね。
私が自分の記事に写真を入れたり、最近イラストを加えたり・・・・。
でも20ページを増やすと、現在の会員数では厳しい(金銭・時間)ことになりそうです。
合間に本を作ったり・・・・ でもこれも現在の会員には無理そうです。
何かご意見などありましたら遠慮なくお願いします。
今まで白井先生の演劇がありましたが、これを継続するのが難しく頭が痛いです。
背景画に書いていた兼平ちえこさんの作品を写真にとって残したいと奮闘もしています。

(愛宕山の天狗)

(長興寺の地蔵さん)

(筑波山・龍神山の女神)
風の会文庫展・ことば絵展始まる
今年も何とか展示会を開催できました。
主さである白井先生がお亡くなりになり、今後の活動はまったくの未定状態ですが、活動は継続することが大切であり少ない会員ですがこれからも継続していきます。
石岡のまちかど情報センターにて11月10日(日)~13日(木)15:00まで開催しています。
この会に少しでもご興味のある方は足を運んでください。
会期中は仕事なども少しありますので、在廊していない時間も結構あります。
でも、会場にて誰かに声をかけてください。
連絡いただければすぐに駆けつけます。
一期一会を大切にしていきたいと思っています。
昨日10日は各地でイベントが花盛り、商工蔡などには多くの子供連れなどが集まり楽しそうでした。
私のほうはこちらの会場で久しぶりにのんびり過ごしました。










主さである白井先生がお亡くなりになり、今後の活動はまったくの未定状態ですが、活動は継続することが大切であり少ない会員ですがこれからも継続していきます。
石岡のまちかど情報センターにて11月10日(日)~13日(木)15:00まで開催しています。
この会に少しでもご興味のある方は足を運んでください。
会期中は仕事なども少しありますので、在廊していない時間も結構あります。
でも、会場にて誰かに声をかけてください。
連絡いただければすぐに駆けつけます。
一期一会を大切にしていきたいと思っています。
昨日10日は各地でイベントが花盛り、商工蔡などには多くの子供連れなどが集まり楽しそうでした。
私のほうはこちらの会場で久しぶりにのんびり過ごしました。










波崎の大タブ
茨城県神栖市というと皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか?
茨城の最も南東の市です。
私は仕事柄、以前は鹿島石油コンビナートなどに、時々仕事で訪れていましたので、東京からの鹿島行きのバスが到着する鹿島セントラルホテルが鹿嶋市ではなく神栖市にあると知って驚いたものでした。
そのため、神栖は鹿島コンビナートの入り口というイメージしかありませんでした。
しかし、5~6年ほど前から銚子に行くことが多くなり、この神栖市も通る機会が増えました。
ただ道路も年々良くなり片側3車線の広い道路が起伏やカーブもほとんどなくまっすぐに続きます。
確かに昔のすんでいた人たちの姿を思い浮かべるにはこの道は面白みに欠けます。
私の知り合いなどはあそこは面白くないとも言われます。そう波崎の海岸などに見所もあまり無いように思います。
そこで、今回は少し思い出して以前行ったことのある古木を訪ねました。
何故この木を見たくなったのかというと、この場所が「舎利(しゃり)」という地名の場所にあるからなのです。
舎利ってお釈迦様の遺骨のことですよね。
何故このような地名になったのでしょうか。
この古木は真言宗智山派の「神善寺」という寺の境内にあります。
樹齢はおよそ1000年ほどで、1500年等という説もあります。
茨城県指定の天然記念物で、茨城県内最大のタブの巨木といわれています。

舎利地区を貫く街道沿いの立つこの寺の門を入ると、めのまえにこの古木が長い枝を延ばした堂々とした姿で迎えてくれます。

そして、巨木を取り囲むように弘法大師の石像がたくさん置かれており、それも木の方を向いて置かれています。

この大きなこぶが元気の源であるかのように威厳を保っており、見る人に勇気を与えてくれます。

地元では大火の時や戦争中も回りは焼けてもこの木は被害を受けず、火災の延焼も防止したとされ、「火伏せの木」として慕われ信仰されています。

1990年の「国際花と緑の博覧会」の時に選定された「新日本名木100選」の中に、茨城県ではこの波崎の大タブと取手市の「地蔵ケヤキ」の2箇所が選ばれました。
現在寺の裏手には「しゃり保育園」が併設されています。
近くには「みだ保育園」などがあり仏教的色合いが濃い地域に思われます。
神善寺は1056年に高野山の貞祐上人がこの地に開山したと言われていますが、山岳信仰が強い時期に、何故このような平地に建立したのか? 又何故「舎利」という地名がついたのか?
砂地が続くこの地、近くの鹿島灘の浜は「舎利浜」といいます。
寺には平安時代の釈迦涅槃像(絵)があります。(県重要文化財)
茨城の最も南東の市です。
私は仕事柄、以前は鹿島石油コンビナートなどに、時々仕事で訪れていましたので、東京からの鹿島行きのバスが到着する鹿島セントラルホテルが鹿嶋市ではなく神栖市にあると知って驚いたものでした。
そのため、神栖は鹿島コンビナートの入り口というイメージしかありませんでした。
しかし、5~6年ほど前から銚子に行くことが多くなり、この神栖市も通る機会が増えました。
ただ道路も年々良くなり片側3車線の広い道路が起伏やカーブもほとんどなくまっすぐに続きます。
確かに昔のすんでいた人たちの姿を思い浮かべるにはこの道は面白みに欠けます。
私の知り合いなどはあそこは面白くないとも言われます。そう波崎の海岸などに見所もあまり無いように思います。
そこで、今回は少し思い出して以前行ったことのある古木を訪ねました。
何故この木を見たくなったのかというと、この場所が「舎利(しゃり)」という地名の場所にあるからなのです。
舎利ってお釈迦様の遺骨のことですよね。
何故このような地名になったのでしょうか。
この古木は真言宗智山派の「神善寺」という寺の境内にあります。
樹齢はおよそ1000年ほどで、1500年等という説もあります。
茨城県指定の天然記念物で、茨城県内最大のタブの巨木といわれています。

舎利地区を貫く街道沿いの立つこの寺の門を入ると、めのまえにこの古木が長い枝を延ばした堂々とした姿で迎えてくれます。

そして、巨木を取り囲むように弘法大師の石像がたくさん置かれており、それも木の方を向いて置かれています。

この大きなこぶが元気の源であるかのように威厳を保っており、見る人に勇気を与えてくれます。

地元では大火の時や戦争中も回りは焼けてもこの木は被害を受けず、火災の延焼も防止したとされ、「火伏せの木」として慕われ信仰されています。

1990年の「国際花と緑の博覧会」の時に選定された「新日本名木100選」の中に、茨城県ではこの波崎の大タブと取手市の「地蔵ケヤキ」の2箇所が選ばれました。
現在寺の裏手には「しゃり保育園」が併設されています。
近くには「みだ保育園」などがあり仏教的色合いが濃い地域に思われます。
神善寺は1056年に高野山の貞祐上人がこの地に開山したと言われていますが、山岳信仰が強い時期に、何故このような平地に建立したのか? 又何故「舎利」という地名がついたのか?
砂地が続くこの地、近くの鹿島灘の浜は「舎利浜」といいます。
寺には平安時代の釈迦涅槃像(絵)があります。(県重要文化財)
寒いんだか暑いんだか???
今週初めにまた銚子へ出かけましたが、午前中は雨が降りあまり気分も良くない。
途中寄り道もせず、あまり気分も良くないので、また格安中華で・・・・
台湾料理のランチで麻婆豆腐を食べたくなり、「福庭」にランチすることに。

やはり家でつくるマーボー豆腐の素などではこの味は出せない。
家でも豆板醤などで作ってみようかな。

御飯はお代わり自由だが、結構山盛りだ。

この台湾系の中華店は「四季紅」などがあり、価格もほぼ同じで格安を競っている。
まあ懐が寂しいときには助かるよね。8月頃から650円が680円に値上げされている。
昼ごろまでは雨も降ったりやんだりでどよんでいた。
銚子台地(下総台地)を通ったが、銚子名産のキャベツがすくすく育っていた。

月曜日は午後から晴れ間が広がり少し暑いくらいになりました。
火曜水曜は少し暑いくらいで寒さも緩んだのですあg、今晩あたりからまた寒くなるようです。
途中寄り道もせず、あまり気分も良くないので、また格安中華で・・・・
台湾料理のランチで麻婆豆腐を食べたくなり、「福庭」にランチすることに。

やはり家でつくるマーボー豆腐の素などではこの味は出せない。
家でも豆板醤などで作ってみようかな。

御飯はお代わり自由だが、結構山盛りだ。

この台湾系の中華店は「四季紅」などがあり、価格もほぼ同じで格安を競っている。
まあ懐が寂しいときには助かるよね。8月頃から650円が680円に値上げされている。
昼ごろまでは雨も降ったりやんだりでどよんでいた。
銚子台地(下総台地)を通ったが、銚子名産のキャベツがすくすく育っていた。

月曜日は午後から晴れ間が広がり少し暑いくらいになりました。
火曜水曜は少し暑いくらいで寒さも緩んだのですあg、今晩あたりからまた寒くなるようです。
ふるさと歴史館
先日、ふるさと風の会の展示会を終了し、石岡小学校となりにある石岡市の「ふるさと歴史館」を訪ねた。
現在舟塚山古墳発掘の展示会を行っていた。
それにしても、この東日本では2番目に大きな古墳といわれる古墳の発掘調査ではあまり見るものがなかったというのは少し悲しい。
この以前民族資料館であったこの建物の名称を「ふるさと歴史館」としてからも、身近にありながらあまり足を運んでいないことに気がついた。
歴史の里石岡にしては何ともさびしい。 他所から来た人にももう少し立派な施設を作る必要を感じている。
そして造るとしても、その施設は市の外に向けて情報を提供する場でなければならず、また明るく開かれて活気のあるものでなければならない。
今の石岡ではとてもこれを望めそうに無い。
先日の訪問では歴史館の事務所に少し入ることが出来て、そこから窓の外を眺めた。

すぐ前に中世府中城の土塁が広がっている。
そしてその向こうの建物が石岡市民会館だ。
この市民会館も来年3月で閉館となることが決まっている。
雨漏りがひどく、この場所での建替えは断念したようだが、今は予算もなく、壊すこともできないという。
4月以降の利用の予定もまだ決まっていないようだ。
今の市民会館は昭和43年に建てられたので、約50年間以上使われてきたのだが、意外と耐用年数が短いと感じる。
耐震補強しても、雨漏り、空調設備などがかなりひどく、どこかに建て替えたほうが良いと言うことらしい。
元々この場所に建設したことに難点があったものだと思う。
市民会館などというものを国府跡の道路も狭い場所に建設したことに間違いがあった。
陣屋門を移築して数年前に戻したが、これがまた今までのものと似て非なるものを作ってしまった。
石岡市には文化や歴史を直視できる人がいないのだろうか?

他所から来た私などから見ていると閉鎖されたエリアに内向きの人ばかりが集まっているように思えてならない。
そして人口も減り、じりじりその存在価値をさげていく。
このふるさと歴史観の展示物ではないようだが、事務所の壁に掲げられていた回国六部(六十六部)の日本地図入り石板を書き写した大きな地図が掛けてあった。

現地に遺されている板碑はよく読めなかったのでとても参考になる。
こんな場所に眠らせておくのはもったいない。

こちらが現地の板碑。
場所とか情報は私が昔作成した「1300年の歴史の里 石岡ロマン紀行」の下記ページを参照。
⇒ 回国六部供養碑
現在舟塚山古墳発掘の展示会を行っていた。
それにしても、この東日本では2番目に大きな古墳といわれる古墳の発掘調査ではあまり見るものがなかったというのは少し悲しい。
この以前民族資料館であったこの建物の名称を「ふるさと歴史館」としてからも、身近にありながらあまり足を運んでいないことに気がついた。
歴史の里石岡にしては何ともさびしい。 他所から来た人にももう少し立派な施設を作る必要を感じている。
そして造るとしても、その施設は市の外に向けて情報を提供する場でなければならず、また明るく開かれて活気のあるものでなければならない。
今の石岡ではとてもこれを望めそうに無い。
先日の訪問では歴史館の事務所に少し入ることが出来て、そこから窓の外を眺めた。

すぐ前に中世府中城の土塁が広がっている。
そしてその向こうの建物が石岡市民会館だ。
この市民会館も来年3月で閉館となることが決まっている。
雨漏りがひどく、この場所での建替えは断念したようだが、今は予算もなく、壊すこともできないという。
4月以降の利用の予定もまだ決まっていないようだ。
今の市民会館は昭和43年に建てられたので、約50年間以上使われてきたのだが、意外と耐用年数が短いと感じる。
耐震補強しても、雨漏り、空調設備などがかなりひどく、どこかに建て替えたほうが良いと言うことらしい。
元々この場所に建設したことに難点があったものだと思う。
市民会館などというものを国府跡の道路も狭い場所に建設したことに間違いがあった。
陣屋門を移築して数年前に戻したが、これがまた今までのものと似て非なるものを作ってしまった。
石岡市には文化や歴史を直視できる人がいないのだろうか?

他所から来た私などから見ていると閉鎖されたエリアに内向きの人ばかりが集まっているように思えてならない。
そして人口も減り、じりじりその存在価値をさげていく。
このふるさと歴史観の展示物ではないようだが、事務所の壁に掲げられていた回国六部(六十六部)の日本地図入り石板を書き写した大きな地図が掛けてあった。

現地に遺されている板碑はよく読めなかったのでとても参考になる。
こんな場所に眠らせておくのはもったいない。

こちらが現地の板碑。
場所とか情報は私が昔作成した「1300年の歴史の里 石岡ロマン紀行」の下記ページを参照。
⇒ 回国六部供養碑