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新年おめでとうございます。

 2020年になりました。

今年も朝早く起きて夜明け前の早朝6時ころに近くの総社宮へ。

この時間帯は参拝者の姿はまばらでした。

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巫女さんたちも新年明けの参拝者が終わり、元旦の準備が始まっています。

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朝9時からの限定配布のご朱印(ジャングル大帝)の配布番号を受けるためにすでに数人が並んでいました。

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拝殿前もひっそりとしていました。

そのまま初日の出をかすみがうら市の歩崎公園へ

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毎年のように来ていますが、日の出時刻は6時50分頃なのですが、雲が厚く、今年はきれいな初日の出は望めませんが、それでもすでに土手の上にはたくさんの人が日の出を待っていました。

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日の出時刻になりましたが、うっすらと明るくなっただけでまだ太陽の姿は見られません。

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7時を回ってようやく少し明るく、太陽の光が雲の間からさし始めました。

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7時を10分ほど過ぎたあたりで、ようやく太陽の姿が雲の隙間から顔をのぞかせ、光の道も見え始めました。
今年の吉事を願って!

家に戻り、昼近くなって、また今度はイギリスから来ている娘夫婦や孫たちと歩いて総社宮に初詣。
もう駐車場も一杯で、歩いて行って正解です。

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かなり参拝者も増えてきていました。
でも並んでいるところはご朱印を求める列でした。
拝殿まではスムーズにいくことができました。

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お土産に小さいだるまを買い、おみくじを引いて・・・・
これも日本の思い出として残るでしょう。


あいさつ | コメント(4) | トラックバック(0) | 2020/01/02 07:52

あわただしく正月も過ぎ、また次のスタート

 正月はあわただしく過ぎていきました。
イギリスの娘夫婦と孫娘2人が年末からまたやってきて、正月を共に過ごしました。
3日には千葉の息子夫婦と孫娘をつれて嫁さんお実家仙台から帰りがけにやってきたので、いつもは二人きりの年寄り夫婦の家の中も狭苦しくなりました。
やはり9人(子供が3人9集まると家の中が狭苦しいです。

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3日夜はフラワーパークのイルミネーションを見に行ってきました。
やはり評判通りきれいで見ごたえがありました。

4日は私は夜用事があったので昼間に寿司を食べたり・・・・

5日は息子夫婦たちも一緒に成田空港へイギリスに戻る長女家族を送っていきました。

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午前中の便なので朝早く家を出ました。
無事搭乗手続きも終えて乗り込んでいきました。
孫娘はまた来た時と同じランドセルを背負って帰っていきました。

皆が去って静かになったのですが、本日から妻は神戸の二女のところに手伝いで出かけました。
年末に女の子が生まれたのです。

茨城空港から朝8:45発の神戸便に乗るため、急いで送っていきましたが、20分前の搭乗締め切り間際であわてましたが何とか間に合いホッとしました。

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家に戻ると、イギリスからは無事帰って報告が入っており、神戸は近いので、間もなく妻からもTELがありました。

また赤ん坊の名前が決まった報告も・・・・

皆がいなくなり、今日はふるさと風の会の編集に追われ、どうにか終わらせました。
年末にまた会員が一人亡くなりこれからが思いやられますが、残った会員で頑張っていこうと思っています。

ただ、白井先生がおられないと本つくりなどができる人がいないので時間的にも活動が限られそうです。

まずは年末に亡くなられたS兄の遺稿を冊子にまとめておかねばなりません。
通夜式でご家族にお約束したので・・・・

近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/01/06 20:49

ふるさと風の年初め

11日土曜日は今年最初の「ふるさと”かぜ”」会報の印刷日でした。

昨年は白井先生に続いてS氏も年末に他界され、人数も少なくなって気も少し落ち込み気味。
そんな時こそしっかりしなくては・・・・・

人数が少ないと印刷製本が少し大変だと思っていたら、助っ人に3人の女性が急遽参加してくれました。
おかげで、昼までかかるかと思っていた作業も11時には終了。
助かりました。

午後から会報を配りに、まずは瓦会の蕎麦処「まんまや」さんへ。

久し振りにそばをいただきました。

ここの自家製そば(常陸秋そば:日笠そば)は美味しいです。

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野菜天ぷらもいつもカラッと揚がっていて感心しています。

ここには会報は5部しか置いていないのですが、待っていてくれる人がいるらしい。
ありがたいことです。 (真壁の本屋さんです)

その後、朝日トンネルを抜けて、小町の館と、北条へ・・・・

なんだか今年は気候が暖かいせいか、山々の木々がもうすぐ春が来るのではないかと思えるような色合いでした。
日が当たっているところがうっすらと白くぼやけて・・・・

何か暖かそうです。
小町の里ではパラグライダーがいくつも空を優雅に飛んで舞い降りて来ていました。

いつもの光景ですが、冬本番と言った気配は感じません。

風の会の文庫などを整理したり、新たな冊子を作ったり、過去のCDを整理したり・・・・
また今回164号となった会報も縮尺版として保存用に冊子としてまとめようと思っています。

手がかかりますが、全部私一人でややなければならないようです。

自分の分を作るのはあまり苦にならないのですが、他人の物をまとめたりするのは少し気が重いです。

あまり暇でもないので・・・・・・。

今日は朝から亡くなられたSさんの作品を冊子にまとめ、ご遺族にお渡ししました。
ご冥福をお祈りします。

また風の会の会報の縮尺版の最初の2年分をまとめました。
続きはまた少し時間ができたやろうと思います。

去年の初めに千葉の難読地名をまとめると言っていましたが、何もできませんでしたので、今年はやりたいですね。


近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/01/12 20:27

サバ寿司

 今年最初の銚子行きは1月15日(水)でした。

年の初めくらい少し良い物を食べようと今回は席を予約して出かけました。

今月中だけ使えるグルメポイント500円分が手に入ったので・・・・

でも昼のランチですからそんな豪華なものは食べません。
まして1人での予約などあまり歓迎されないと思ったのですが・・・・

今回の食事処は銚子駅近くの銚子プラザホテルにある和食レストラン「廣半」さんです。

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銚子駅前通りにある老舗のホテルの2階にこのレストランはあります。
名前は知っていましたが店に来たのは初めてです。
車をホテル地下の駐車場に置いてエレベータで2Fに出ました。

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ここはホテル内となっており、レストランもなんだか豪勢な作りです。
少し入るのに躊躇しましたが、予約していたのですぐに案内されました。

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窓際の4人掛けのテーブル席。
外は、昼前には上がると思っていた雨がまだしとしと降っていました。

席だけの予約でしたが、昼時のランチメニューを出してくれました。
何種類もあるランチはほぼ1320円(税込)です。
海鮮丼、天丼、Aランチ・・・・ 
でもこの時季はやっぱり銚子のサバをいただくことにしました。
このお店も銚子のサバ祭りに参加しています。

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鯖寿司の9巻盛り 1650円(税込)を注文しました。
お吸い物と茶碗蒸しがついてきます。

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肉厚の鯖の押し寿司

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ワサビがついています。結構肉厚ですね。
大変おいしくいただきました。

でも銚子での食事(ランチ)としては少し高いですね。
でもホットペパーグルメポイント600円分を使って、支払ったのは1050円でした。
大変おいしくいただきました。

またポイントが来ないかな?
昨年11月に2000ポイントも送られてきたのですが、この時は使えませんでした。
初めてのグルメポイント使用でした。
でも銚子では使えるところがまだ少ないようです。

銚子周辺 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/01/17 20:17

夜の茨城空港

 茨城空港も地方都市空港としては頑張っている方だと思います。
自衛隊百里基地との官民共用空港として2010年に開港した空港です。

現在スカイマークが札幌2便往復、神戸3便往復、沖縄1便往復、福岡1便往復毎日飛んでいます。
また上海、西安、台北へも春秋航空やタイガーエアーの格安航空便が飛んでいます。

また3月には開港10周年記念として日本航空のハワイツアー便が飛ぶようです。

でも何しろ運賃が安いのです。(”いま徳”という割引運賃で乗れればかなりお得です)
また駐車料金が無料というのは魅力ですね。

さて、今回年末に神戸に住む二女のところに女の子が生まれ、正月明けから家内が手伝いに10日ほどこの神戸便を使って行ってきました。

まあもう少し長くいられれば良いのですが、用事もあるので10日ほど食事、買い物、上の孫の保育所送り迎えなどで行っていました。
そして先日夜の便で帰ってきました。
神戸空港発19:20、茨城空港着20:30です。

丁度私は銚子に仕事で出かけていて、帰りがけに空港まで迎えに行きました。
霞ケ浦北側の355号線を羽生郵便局信号から北上して空港に向かいました。

この道は与沢から橘郷造神社などを散策するときに何度かとおったことがありますが、空港までの道は初めてでした。
夜は明かりもほとんどなくきれいな道も少しさびしい、イメージとしてはなんでこんな山奥に飛行場?というイメージでした。
もっとも夜暗くなればこのあたりは家も少ないですからしょうがありません。

霞ケ浦から北上すること約5kmで、空港の明かりが見えなんだかほっとしました。
空港へは19時40分頃到着。飛行機の到着時間までまだだいぶ時間があります。

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空港建屋入口には筑波山と飛行機をイラストしたネオンが描かれています。
でも空港出発便はすべて出てしまった後のようで、空港内は閑散としていました。

二階のエリアに腰かけて少し腹ごしらえとコーヒーなどをしていると、もうフロワ内の掃除が始まりました。
土産店などは閉まっていましたが、スカイラウンジとすぎのやうどん店は開いていました。

どうやら20時30分でしまうようですが、お客もほとんどいないので20時ころから床掃除などをするのが日課のようです。
こういうのは仕方がないのでしょうかね。

そうこうしているうちに20時に福岡からの便が到着(到着予定時間は20時10分)、
神戸便も10分早く20時20分頃到着。

20時30分にはほとんどの客が荷物を以て1階ロビーに出てきました。
最後頃にのんびり出てきた家内と車で家に戻りました。
飛行場から約30分で到着です。

確かに早いですね。

でもレンタカー会社も20時30分に閉店、空港内のコンビニも同じ時間で閉店、ほとんどすべての施設がこの到着時間で閉店でした。

茨城空港 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2020/01/18 07:35

三年目のシクラメン

 シクラメンといえば冬の鉢植え花として人気がありますね。
2年前の冬に購入して立派な花を咲かせていた紅いシクラメンの花鉢を植え替えもせず夏場も乗り切って翌年も花を咲かせておりましたが、またそのまま3年目に突入しました。

さすがに肥料不足のためか花は小粒になりましたが、まだたくさんのつぼみがあり、今年も花をつけています。

きっとこのまま6月頃迄花を咲かせてくれると思います。

殺風景な部屋が少し明るくなります。

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近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/01/18 10:23

ふるさと”風”機関紙 縮尺版

 この土日から今日まで部屋にこもって ふるさと”風”機関紙の縮尺版つくりに挑戦しています。

2006年6月から毎月1回発行して、この1月までに164号まで発行しています。
昨年会の主査であった脚本家の白井先生が亡くなられ、年末には長老で会の重鎮であったS氏が亡くなられ、この会も寂しくなりました。

そこで、年初めに、今までに書き続けてきた会報(A4x20~24ページ)分を何とか形にして保存版を作成しようと思い立ったわけです。

縮尺版として読みやすいB5サイズとし、1年分だと250ページくらいになりますが、思い切って500ページくらいを1冊にしたいと。

今までの製本方法では作成できないので「とじ太くん3000」を購入しよう。

今のところ1冊あたり、紙代200円、製本代200円、
プリンタインクが1冊で1カートリッジなくなってしまう。
純正なら1000円くらいするので、手間を除いても1冊に1400円くらいかかってしまう。

純正外の安いカートリッジでやるしかないね。
何しろ1冊1000円以下にしないと・・・・。会員も手が出せなくなる。

という事でとりあえず2台のプリンタをフル稼働してどうにか各版1冊x6版を両面プリントしてみた。
インクが見る間に減っていった。もう8カートリッジくらい使ったようだ。
それより又プリンタが壊れそうだ。
今までにいくつ壊した事か・・・・・・・。部
屋には使えなくなったプリンタが2台積んである。

以前の会社勤めをしていたときに使っていたような大型ゼロックス(レーザープリンタ)なら、両面でも、
かなり早くプリントが可能なのだが、家庭用のインクジェットではまったく時間がかかる。

特に裏表などは、近くについて見ていないと時々2枚同時にいってしまう。
これはいつもイライラで困りものだ。
まあ今までもやってきたのだから、根気よくやるしかないが・・・・。

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6冊で総紙枚数は1500枚、プリント数3000枚  さてさてこれをあと何セット作ることになるか?
まあ気長にのんびりやるしかなさそうだ。

こんな事で3日も過ぎていった。

明日からは業務改善プログラムの修正をやろう。
タイムリミットが近づいているからなあ~




ことば座・風の会 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/01/20 17:13

春隣

 土・日と「ふるさと風」の会合と、冊子つくり・・・・・
やはり何か気持ちがもやもやしている。

少し気分転換でもと思い立ち、笠間陶芸の森入口にあるスペースニコさんで開かれている高橋協子さんの展示会へ

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今回の展示は協子さんワールド全開だが、少しトーンを抑えて、優しさがにじみ出ていた。

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やはり来てよかった。
私の気分も春隣り、気持ちも落ち着いた。

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イギリスの孫の話などをしながら展示物を見させていただいた。
高橋さんはいつもにこやかでどこにこんなパワーが潜んでいるのか。
僕もまたパワーをいただいて会場を後にした。
後、2か月ほどしたら私も色々なものが良い方向に向かって行くだろう。
本当の春はもう少し・・・
少し元気をもらって・・・また頑張ろう!

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今回は Nawo Utakata さんとの2人展。

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布で作られたという菊の花素敵ですね。

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今回は、皆さん素敵な着物でそろい組でした。
脇から写真を撮らせていただきすみません。
ありがとうございました。

近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/01/27 03:12

イノシシと神社

この記事は昨年猪年の始めとして、丁度1年前の1月末に書きかけていたのですが、まとまらずお流れとなっていたものです。
今年は子年ですので、もう遅いのですが、まあ削除せずに追加訂正してUPすることにしました。
本当に1年が経つのは早いですね。

また昨年あたりからこの石岡地区も山沿いではイノシシの出没が相次ぎ農家の被害も甚大で、今もイノシシの話題は昨年よりも増しているようです。

 イノシシ年ということで、イノシシを祀る神社があります。
京都御所の隣りにある「護王神社」です。
ここは狛犬に代わってイノシシの像が置かれています。

その理由は少し長くなりますが、奈良時代に起きた弓削道教が天皇に取って代わろうとした、「宇佐神宮の神託事件」にありますので少し説明させてください。

わが地元石岡には昔、弓削(ゆげ)屋敷があって、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)がやってきたとの伝承があります。
隣の小美玉市には道鏡様を祀る神社もあります。

そこでこの道鏡を調べていたのですが、これがなかなか曲者で話がよくわからない。
今東光が「弓削道鏡」の本を出しているが、これはまだ読んだことがないのでそのうち読んでみたいと思う。

さて、歴史は勝者によって作られるということを考えると、道鏡が悪者にされているのも話半分程度に考えないといけないだろう。

あまり、日本の歴史など昔は興味が無かったので、頭の中にある知識が少ない分、これらの話も意外に真実が見えてきたりするのかもしれない。

さて、イノシシの話に戻るが、これは弓削道鏡の敵となった和気清麻呂(わけのきよまろ)と九州大分の宇佐神宮が大きく係わっている。

現在に伝えられた歴史の内容を大雑把に書くと、次のように成る。

「奈良時代の後半761年、女帝の孝謙上皇(後の称徳天皇)が病気になられた。これを看病し、僧侶でもあった弓削道鏡がこの病を治したため、道鏡はこの孝謙上皇のお気に入りとなった。
それから、だんだんとこの道鏡が政治にも口を出し、天皇にも勝るような権力を持ち出した。

この孝謙天皇(称徳天皇)は聖武天皇の娘で、女性です。しかも生涯独身。母親はあの有名な光明皇后です。
頭脳は明晰だったと考えて間違いはないでしょう。

でもこの独身というのも本人が望んだのでもなく、時の女帝は結婚ができず、子供を産むことも出来なかったといわれています。
もしも子供が生まれてもその子は天皇を継ぐことはできないのです。

孝謙天皇が即位した背景には、聖武天皇に男子の子供がいないということがありました。
でもこの女帝の後は親族から天皇を選ばざるを得ず、ここに親族間の争いのようなものがありました。
なにしろ天皇になるチャンスがたくさんの親族に与えられたようなものです。

ですから親族でもなくても、この弓削道鏡のようなものもチャンスととらえたのかもしれませんし、チャンスを狙う親族間の争いなどを見て孝謙天皇(称徳天皇)が嫌気がさしたのかもしれません。
それなら信頼できる道鏡様へ・・・などと。

そこから道鏡は女帝をたぶらかす男ぶりで、女を喜ばす男の武器を持っていたなどと言われるようになったのでしょう。
いまでも各地に道鏡さまと称する男根の形状の石や木が祭られた神社などがたくさんありますね。

そして、769年7月頃に、道鏡は朝廷とゆかりの深い大分の宇佐神宮(八幡宮)から「道鏡を天皇の位につければ天下は泰平になる」との神託があったと言わせ、天皇の位を狙ったとみなされています。

この神託の正当性を確かめるために称徳天皇は九州大分の宇佐八幡宮へ勅使として派遣されたのが和気清麻呂でした。
最初は清麻呂の姉の尼僧・和気広虫(法均)が行くように求められましたが、虚弱なために清麻呂が行くことになったのです。

この清麻呂が宇佐八幡の大神から全く逆の神託「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし」を受けてこれを朝廷に持ち帰って天皇に報告しました。

これにはどちらの側もこの宇佐八幡を利用して自分たちに都合の良いように作られたものだと思われますが、この報告には満足できなかった称徳天皇は、清麻呂を因幡国に左遷するが、さらに別部穢麻呂(わけべ の きたなまろ)と改名させて大隅国(鹿児島)への流罪としたといいます。
また姉の広虫は別部広虫売(わけべ の ひろむしめ)と改名させられて備後国に流罪となっています。

また、この時に、弓削道教は清麻呂の暗殺を企て失敗したとか、歩けないように足の腱を切って流罪にしたとかの話が語られています。

この暗殺の話に登場するのがイノシシです。

大隅国(鹿児島)に流罪となり、送られていく途中に道教の刺客により襲われた清麻呂は足の腱を切られ歩けなくなっていましたが、輿(こし)に乗り、途中宇佐八幡宮に参拝していこうと豊前国(福岡)まで来たときに何処からともなく300頭のイノシシが現れ、清麻呂の周りを取り囲んで、道鏡の刺客たちから守り、そこから40kmを案内して、清麻呂は無事に宇佐八幡に参拝することができたのです。

宇佐八幡宮は大分でも国東半島の入り口部にあり、福岡県に近い場所です。
でもなぜ天皇を選ぶほどの権限を持つと当時考えられたのでしょうか?
これも不思議ですよね。

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そして参拝が終わるとイノシシは姿をけし、清麻呂の足は治っていました。
そして大隅国(鹿児島)で過ごすことになります。

しかし、この翌年の770年8月に、称徳天皇が亡くなると弓削道教が失脚し、下野国へ左遷となり、この清麻呂が都に呼び戻されました。
ただ、呼び戻されたときはまだ、従五位下になっただけですが、781年に桓武天皇が即位すると、従四位下まで、一気に四階昇進し、その後、従四位上から従三位まで昇進しました。
桓武天皇の平安京遷都に大きくかかわったものと思われています。

さて、清麻呂と姉の広虫が流罪から解かれて都に戻って、781年に国家安泰を祈願し、また宇佐神宮の神意に基づいた寺の意味で(河内?に)「神願寺」を建立し、また山城に和気氏の氏寺として「高雄山寺(または高雄寺)」を建立しました。
しかしこの「神願寺」の場所はいくつかの説があり現在も未定です。

ただ、その後氏寺として建てられた高雄山寺は、愛宕五寺(白雲寺、月輪寺、日輪寺、伝法寺、高雄山寺)のひとつといわれ、当時の山岳信仰の道場のような性格もあったと思われます。

「高雄山寺(高雄寺)」では清麻呂の死後、息子たちにより、比叡山で修行を続けていた最澄を招き、高雄山寺での法華経の講演が行われました。
その後、最澄は遣唐使として804年に中国・唐に渡りますが、同じときに空海も留学生として唐にわたり、わずか2年で多くの仏典を修め、密教を習得して帰朝しました。
京に戻った空海を812年、この「高雄山寺(高雄寺)」に迎え入れたのです。

真言の教えに導かれて、824年に「神願寺」と「高雄山寺(高雄寺)」は合併し、寺名は「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ))」(略して神護寺)と改められ、空海(弘法大師)にこの寺は預けられました。
それ以降、寺は「真言宗」となり今日まで続いています。

ただ、江戸時代末になり、天皇の権力が増すようになり、孝明天皇は和気清麻呂を正一位で「護王大明神」と神号を贈り、明治7年に神護寺の境内にあった清麻呂を祀った廟は護王神社と名称を変え、明治19年に神護寺境内から京都御所前に移されたのです。
そして、この護王神社には和気清麻呂を救った猪を狛犬に代わって置かれているのです。

さて、元の神護寺は紅葉の名所と知られていますが、明治の廃仏毀釈で寺域が分割され、支院9と僧坊15は焼失し、別院や末寺はすべて他寺に移されてしまいました。
ただ法灯は今も守られています。

神護寺


この神護寺に残されている国宝の薬師如来像を紹介しましょう。

神護寺薬師如来
(平安時代 カヤ材の一木造)〈像高:170.6cm〉

どうですかかなり迫力がありますね。ほぼ等身大です。
この像を見てどのように感じるでしょうか?
ただ寺の参拝ではあまり近くからは見られないので残念ですが・・・・

この薬師如来は神護寺の前身であった神願寺のころからの本尊であり、延暦年中(728〜806年)に造られたとみられています。
いわれとしては、和気清麻呂(わけのきよまろ)の政敵・弓削道鏡の呪詛や怨霊を鎮圧するために造られた仏像だといわれています。

明治になり天皇家を守った人物として明治32年から数回にわたって10円紙幣の肖像として採用されており、この初期甲号券の裏面にはイノシシが描かれています。(甲号券、乙号券、丙号券、い号券、ろ号券があります)

猪10円


番外編 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/01/31 23:25
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