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祇園祭りと天王祭

 茨城に伝わる天狗の昔話にはよく「津島の祇園祭」に人を目隠しして飛んで見に行く話が出てきます。

現在、名古屋の西の津島市にあるのは「津島神社」ですが、江戸時代は全国の天王社の総本山で神社ではなく神仏習合の寺(津島社⇒津島牛頭天王社)でした。

ここで水に浮かべた船を色とりどりの装飾、灯りで飾り付け、笛太鼓で賑やかに踊る「お船祭り」と称する祭り(津島天王祭)が行われていた(今もあるようですが)そうです。

津島(津島市)の名前は「対馬」から来ていて、朝鮮半島から対馬経由で出雲とこの津島に建速須佐之男命(スサノオ=牛頭天王)がやって来たことになっているようです。

津島神社の説明では「建速須佐之男命が朝鮮半島から日本に渡ったときに荒魂(あらみたま)は出雲国に鎮まったが、和魂(にぎみたま)は孝霊天皇45年(紀元前245年)に一旦対馬(旧称 津島)に鎮まった後、 欽明天皇元年(540年)旧暦6月1日、現在地近くに移り鎮まったと伝える。」となっています。

現在も津島神社では和魂社例祭(茅ノ輪くぐり)=蘇民祭(そみんさい)が行われています。
そのため、蘇民祭(そみんさい)からも蘇民将来(そみんしょうらい)の話なども関係してくると思われます。
牛頭天王が話によってはスサノオにかわっていますね。

下妻市にある大宝八幡宮では茅の輪を3回くぐるのですが、3回目に「蘇民将来、蘇民将来…」と唱えながらくぐるそうです。
門にこの「蘇民将来」と書かれた札が掛けられています。

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多くの神社で行われている茅の輪くぐり(厄除け、無病息災)はこの蘇民将来に関係しているとされています。

この天王社が全国に広がりました。
そして、平安時代の貞観5年(863)に全国的に疫病が流行り京都神泉苑で疫病退散を祈願して時の朝廷が御霊祭(雅楽や稚児の舞い)を執り行ったのです。

その後貞観11年(869)に現在の東日本大震災と同じ規模の大地震が起こり、この御霊祭の規模を拡大して66本(全国の国の数)の鉾を立て京都の祇園社(現在の八坂神社)からこの神泉苑まで神輿を担ぐ儀式が行われました。
これが祇園祭の始まりです。(これは一説です。他の説もあります)

今でも神泉苑では神仏(聖観音と善女龍王)が祀られています。

江戸時代全国の天王社で祇園祭(天王祭)が盛んに行われていました。

しかし廃仏毀釈で天王社の名前は消え、多くは八坂神社や須賀神社、素鵞神社などになりました。
特にこの天王社はその標的にされ、強制的に名前を変えられ、牛頭天王を祀ることを排除されました。
そして多くがスサノオの命が祀られるようになりました。

石岡も中町にあった天王社は八坂神社となり、天狗党事件などで混乱していて祭りどころではなかったと思われ、祭りは無くなりしばらくして総社宮に合祀されました。

今の「石岡のおまつり」は天王社の時に行っていた町内の祭りを総社宮が県社に昇格した時に何とか盛大に復活しようと旧町内の区長さんが集まって協議して考えだされたものです。

ですから私は石岡の祭りは「祇園祭」だと思っています。

山車などは江戸の祭が架線式の路面電車などのために神輿中心に変わったため、山車製作の職人さんや人形師が職がなくなり、地方のまちに声掛けしたところ、地方からこの山車や人形などの買い付けに集まりました。

石岡の町内会でも、良いものが先に買われてしまうと、自分たちの町内の人形が他の町内に対してみすぼらしいなどと考えれば自然と先陣争いもあったかもしれません。


石岡のおまつり | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/05/03 06:38

日本語と縄文語(2) かめ(亀)

 さて、日本語と縄文語というタイトルで書き始めたのはいいのですが、最初から躓きました。
鈴木健さんのご本「日本語になった縄文語」は序説で
1)本書の構成
2)縄文語とその特徴
3)異言語の侵入と縄文語の変身
4)発音習慣の適応
5)語彙と文法
6)借用と偶然
7)ハ行音
などかなり具体的に今まで調べて得た知識を分類し、詳細に述べています。
そしてその後に日本語の転音の例を具体的に述べています。

転音というのは日本語にも同じ事をあらわす言葉があります。
自分を指す言葉に「わたし」と「あたし」がありますが、どちらが先にあった言葉かを見分けるのです。
この時は、どちらがより多くの地域で使われているかなどを考えて、 あたし(atasi) ⇒ わたし(watasi)、
あし(asi) ⇒ わし(wasi)などの ア行とワ行の転音がおこっていると見ていくようです。

もう私はここで先に進めないのです。
これが結構たくさん例を挙げて説明されています。
しかし並みの集中力ではついていけないのです。
でもここでギブアップしてはなりませんので、具体的な名前の例を見ていきます。

生き物の名前として まず「カメ」(亀)について述べています。

鈴木健さんがこの本の最初にこの「カメ」をとり上げたのにはきっとわけがありそうです。
自然界の生き物として、古来から北海道には「亀」が生息していないのです。
ですから北海道に暮らすアイヌの言葉には「亀」を指す固有名詞がないのです。
もしカメをあらわすことばから似たアイヌ語が見つかれば、縄文語が全国にあり、そこからアイヌ語が縄文人の子孫としてのこったということを言葉(日本語)から証明する事になるからです。

ではどんな風に書かれているのでしょうか。

かめ=ka (表面、・・・の上)+ma(泳ぐ)+i(もの)・・・kamai ⇒ kame(かめ)

アイヌ語で【ka】は「表面」「上面」「・・・の上」「・・・のほとり」などの意味があり、【kam】【kama】が水面を泳ぐという意味のアイヌ語で解釈できるという。
【i】は動詞や形容詞を名詞にする時に用いられる言葉で「物」と「時」「所」「事」などをいうという。
また【kamai が kame】となるのはアイヌ語の発音の「メ」が 「mai 」と類似しているからだという。

カメに同じような言葉として「かも」「かもめ」などががやはり「水の上」の言葉から来ている。
また「水すまし」などのことを 隠岐の島では「カメ」というのも同じとされる。

カメというといろいろ昔話があり、この話の分布などを調べていくと何か見つかるかもしれません。
もっとも有名な話は「浦島太郎」ですが、これも時代により話しの内容は変化しているようです。やはり北海道にはないのでしょうね。

鶴は千年、亀は万年とよく言われますが、亀の長生きの記録は250年くらいまでいろいろあるようですが、確認された記録では152年だそうです。その他100歳以上の記録はたくさんあるようです。
でもこの亀は遺伝子解読の結果、カメの祖先は約2億5000万年前の生物大量絶滅が発生した時期の前後にワニ、トリ、恐竜等のグループと分かれ独自の進化をしたと考えられています。まあ恐竜が絶滅した時に生き残って今の亀が誕生したなどと考えるとなにか亀を見る目も変ってきますね。

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(類題)

「カジカ」 (蛙の一種:河鹿、淡水魚のゴリ、ゴロの中間の魚:鰍(かじか))などがあり、これらはすべて目が頭の上についている。
アイヌ語では 【ka 上】【sik 目】【a 坐している】でカジカになるという。
しかしこのカジカも今のアイヌ語にはない。

従って、これも縄文語が本州で変化した言葉だろうという。



日本語と縄文語 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/05/03 10:33
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