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日本語と縄文語(30) 地震ナマズと鹿島の神

 この日本語と縄文語シリーズは1か月連続投稿という目標で始めたことですので、ほぼ目標達成です。
ここで本シリーズ記事も終わりにしたいと思います。

今回のテーマは地震とナマズ、それと鹿島の神を縄文語で考えようという趣旨です。
少し難しそうですね。

もちろん皆さんはナマズが騒ぐから地震が起きるという言い伝えがあることは知っていますよね。
また鹿島神宮ではこのナマズを要石が押さえつけているといわれていることもご存じだと思います。

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(以前書いたブログ地震お守(こちら)より)

さて、この話しはどこから始まっているのでしょうか?
ナマズが大昔からこの地方にいたという記録はないのです。

関東地方になまずが知られたのは江戸時代になってからだとも言われています。
また、地震神として鹿島神宮が記録に現れるのは12世紀半ば以降との文献もあるようです(「地震神としての鹿島信仰」「歴史地震」8号1992年)。
鎌倉時代の伊勢暦には地震蟲(むし)の想像図が載っています。頭が東で尾が西を向いており、10本足のムカデのような姿がえがかれています。

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(地震虫(こちら)より)

しかし、この「なまず」はアイヌの言い伝えにも似た話があり、ナマズではなく巨大なアメマス(雨鱒、エゾイワナ)なのです。

<アイヌの伝承>:(日本の民話3)より

 「この世をつくった神「コタンカラカムイ」が、この地上に世界を作る前に、ただ一面の泥の海に、ただ一匹のおおきな「あめます」がおった。
大きな大きな、途方もなくどでかい「あめます」は、どろ海の中に姿を隠して、うとうとと眠りこけておったのだ。
それを知らぬコタンカラカムイは、よい土地を見つけたとばかり、島つくりにかかった。
大きな島をどっかりと背負わされて、あめますはおこったのなんの、おれさまに、断りもなしに、なんと勝手なやつめ。
そうして大暴れをやらかすもので、この地上に地震が起きるようになった。
この世界はあめますの上につくられたから、あめますは、モシリニッチウチェプ(島の腰骨の魚)と名がついたのだ。」


 さて、このモシリニッチウチェプは今のアイヌ語では【mosirruikkewechip】は、 鯰(なまず)のことです。でもこの昔の伝承があるように「あめます」のことを最初は指していたようです。

mosir:世界、国土 であり、「背中に世界(国土)が乗っている魚」の意味になります。

一方アメマス(雨鱒)はかなり大きくなる魚で北海道の島牧では毎年「海アメダービー」の釣り記録大会を実施し、全長70cm~80cmほどのあめますが釣れているようです。またロシアには1m近いものも釣れることがあるようです。

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(模様のきれいな巨大魚ですね)

北海道の過去の地震記録を調査する目的で集められた資料(日本原子力機構)の中に「アイヌの口碑伝説」をまとめたサイトがありましたので紹介させていただきたいと思います。(サイトは ⇒ こちら (pdf))

(1) 『世界はアメマスの上につくられた』

「国造神が天から世界を創るのにおりてきた。「さてさて、どこさ陸をつくるべ?」
国造神が泥海の中のかたいところだと思って島をつくったところは、実は大きなアメマスの背中の上だった。
アメマスがうっかり睡っているうちに、どっしりと島を背負わせられてしまったのだ。
アメマスはすっかりおこって、大あばれをやるので、地震が起こった。国造神も失敗したのに、すっかりこまってしまって、アメマスを押さえるために二柱の神さまを地上におろして、アメマスの右と左とに一人ずつ置いて、魚があばれないように押さえさした。
一方が食事をしていると、その隙をみてアメマスがガバガバとあばれる、そうすると大地震になる。
それで神様は腹へったときも片手で魚を押さえつけて、泥だらけの片手で食べ物を口に運ぶよりない。
でもそんなときを狙ってはアメマスはあばれる。それでこの世からはなかなか地震がなくならないのだ。
こいつがまたときどき海の水を呑んだり、吐きだしたりする。
体の具合がよくなくて、機嫌が悪いと、ガップリと大口をあけて水を呑んで、ゲーッとはきだしたりすると大変だ、大津波が起きて部落でも何でもさらって行ってしまう。

(2) 『屈斜路湖の中島と大鯇(アメマス)』

「屈斜路湖の中島はもと現在の奔渡(ぽんと)のところにあった山であった。ところがこの湖に昔大鯇(あめます)が住んでいて、頭は沼の上手の岩のように水の上にまで現われ、尾は釧路川の出口のあたりにゆれ、脊鰭(せびれ)は湖上に現われて天の日にこげ、腹鰭は湖の底の石にすれているという大きなもので、湖を渡る舟でもあると波を起して舟をくつがえして人をおぼらせ、退治に行った神々も寄せつけないというおそろしい魚であった。
或るときそれをききつけたアイヌの英雄オタシトンクル(歌棄人)が、銛(もり)をもってこれを退治に来て、みごとに大鯇の目玉を突いた。
大鯇も必死であばれたためについに山が抜け、湖の中にくずれ込んでしまった。そのため鯇は山の下になって動けなくなってしまったが、その山が現在の中島であり、山の抜けた跡に水がたまったのが、奔渡(小さい湖)であるという。
現在でもこの地帯で時々地震が起るのは、山の下になった鯇がまだ死にきれずにあばれるから起こるのだろうという。

(3) 『支笏湖の鯇(アメマス)伝説』

「大昔支笏湖に大きな鯇(あめます)がいて、それがあばれると島がゆれて地震になるので、人間の祖先のオアイムルシクルがそれを退治するために出かけ、魚扠(やす)で魚を突くことができたが、魚の力が強くてついに魚に負けて湖の中に引き込まれて死んでしまったので、この地上にいることができなくなり、妻と二人の子供を残して天に帰ってしまった。それを苦にして子供達の母親もまた天に帰ってしまったので、幼い姉と弟と二人だけが残された。

(4) 『鰍(カジカ)』

「鰍ってやつは海や川ばかりでなく、どこにもいるもんだ。土の底にもいるし、夜の天にある天の川にも棲んでいる。
あいつはなんでも食うんだ。川の石まで呑むことがあるが、魚なら何でもかんでも、おかまいなしに呑んでしまう。
天の川にいる奴は毎日烏ばっかり食っているんだ、餌の烏がなくなると野郎おこってあばれるんだ、そうすると大地震になる。
土の中の大鰍(かじか)はフシリコロエッケウチェプ(島を支配する腰骨魚)といって、こいつも動くと大地震になる。
だから地震がおきたら、火箸を爐の中にさして「こら!あんまりあばれると腰に刺さるぞ」というんだ。
(これは、いわゆる“アメマス伝説”の一つで,アメマスがカジカに変化したものである.)


(1)~(4)の>「アイヌの口碑伝説」を紹介しましたが、似た話は未だ沢山あります。
その中で、(1)の伝承が「日本の国造り神話」と似た話しになっています。

そしてその中に「アメマスを押さえるために二柱の神さまを地上におろして、アメマスの両端を押さえさせる話」になっています。
これは今の鹿島神宮に伝わる要石(かなめいし)で地震を起こすナマズを押さえつけているという話しにつながります。
鹿島神宮と香取神宮に凹凸2つの要石があり、タケミカヅチとフツヌシの2人の最強の武人神をもってこのナマズ(鯰)を抑えさせ、地震が起こらないようにしているといわれています。

このように、アイヌでは「アメマス」で、日本本土では「ナマズ」になったのですが、

アイヌ語で 「あめます」は【tukusis トゥクシシ】といい、この話の国を背負っている魚【mosirruikkewechip】は「ナマズ(鯰)」を指すアイヌ語です。

でも今でも北海道アイヌの話しでは、地震が起こると、囲炉裏の灰に小刀や火箸を刺し、「エッケウ!エッケウ!」と唱えるとい話も伝わっています。
「エッケウ」は腰骨のことで、アメマスの腰骨を押さえつけ、地震を鎮める呪いなのです。

この鹿島神宮に伝わるナマズの話と、アイヌに伝わる「アメマス伝説」が何処かで一緒になっているのは、どのような経緯があるのでしょうか。

鹿島神宮の設立の謎に迫るのかもしれません。

縄文語研究者の鈴木健さんは、この「鹿島神宮の森」は元は縄文人の聖地だったのではないかと考えているようです。

アイヌ語で【sikakasima 支配する、見守る + kamuy 神】 ⇒ 鹿(しか)嶋神 ⇒ 鹿(か)島神」

また、【si 真の+ kasi その上の mat 女 + kamuy 神】=【sikasimatkamuy 大いなる天の女神】」

これが縄文系原住民がヤマト朝廷に制圧される前の「鹿島」であり、ここがかれらの聖地であったというのだ。

いっぽう香取は、

【kantorikamuy 天高くある神】 ⇒ カンドリ ⇒ 「香取神」 であったとみています。
(kanto 天 + ri 高くある + kamury 神)

とても面白いが現実的な見方だと思います。

縄文語のヤマト語(和語)に変換される時にはいくつかのルールがあるようです。
例えば、【ram 胸】【rama 魂、心】【ramat 霊魂、生命】ですが r⇒t の変化が起こり、「タマチ」⇒ 魂(たましい)となるという。
また、驚くことは【ramutuy=ramu 魂 tuy 切れる】 ⇒ 魂切り(たまぎり)⇒ たまげる と変化する

こんなことを延々と調べていくとこの縄文語が現在の日本語(ヤマト語、和語)へ変化したことがわかってくるようです。
詳しくはそれぞれの縄文語に関する本などでご確認ください。
私はこのあたりで幕引きとします。1か月間お付き合いありがとうございました。

またいつかこのテーマを深く理解できたら、また続きを書くことにします。

今日も茨城で朝早く(6時頃)大きな地震がきました。また9時半頃にも鹿児島で大きな地震がおきました。
いずれも震度4クラスの地震でしたが、両端を押さえていた神の手が少しゆるんでアメマス(またはナマズ)が騒いだのかもしれません。

今までの「日本語と縄文語」を1から読みたい人は ⇒ こちらから

日本語と縄文語 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/06/01 16:25

千葉の難読地名(2) 匝瑳

 茨城の難読地名シリーズが終了して、今年は千葉県をとり上げると正月に宣言したのですが、まだ少しも先に進んでいませんでした。
日本語と縄文語も終りましたので、いよいよ着手してみたいと思います。
郵便番号簿で千葉県の気になる地名を拾い集めたら400ヶ所位になりました。
この中をこれから少しずつピックアップして全国の似た地名も調べながら、纏めて行きたいと思います。
目標は100回くらいになると思いますが、今年中に終るでしょうか?

当然途中でかけなくなることもあると思いますが、もしご興味ありましたら読んでいただければ嬉しく思います。

最初は
「匝瑳」<そうさ> 

千葉難読地名2

まあ読める人にとっては容易いのですが、何の縁もない地方の人にとっては読めない地名の代表でもあります。
銚子市より少し南側に隣接する「匝瑳市」です。
なぜこのような地名になったのでしょうか。

現在の匝瑳市は平成の大合併時に八日市場市と匝瑳郡野栄町が合併してこの市名になりましたが、元々「匝瑳郡(そうさぐん)」という郡名が平安時代中期の辞書「倭名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)」(和名抄)の下総国に記載されています。
ただ読み仮名(漢字)はなく、そうの字も少し違います。「迊瑳郡」と書かれています。

市のHPから「匝瑳」地名の謂れを載せて置きます。

「匝瑳という地名は、現存のものでは、奈良東大寺正倉院に伝わる庸調(ようちょう:朝廷に納めた特産物)に見られる天平13年(741年)の記録が最も古いとされています。

匝瑳という地名の由来は、平安時代前期の歴史書「続日本後紀(しょくにほんこうき) 」によれば、5世紀の終わり頃から6世紀のはじめにかけて、畿内(現在の近畿地方)の豪族であった物部小事(もののべのおごと)という人物が、坂東(現在の関東地方)を征した勲功によって、朝廷から下総国の一部を与えられ、匝瑳郡(さふさごおり)とし、小事の子孫が物部匝瑳(もののべのそうさ)氏を名乗ったと伝えられています。
匝瑳の語源については、諸説あって定まっていませんが、発音での「さふさ」という地名があり、「さ」は「狭」で美しい、「ふさ」は「布佐」で麻の意で、“美しい麻のとれる土地”であったとする説や、「さ」は接頭語で、「ふさ」は下総国11郡中で最大の郡であったことに由来するという説があります。匝瑳は、「さふさ」に縁起のよい漢字を充てたものと考えられています。
なお、漢和辞典によれば、漢字の「匝」は、訓読みで“匝めぐる”と読み、一巡りして帰るという意味があり、「瑳」は、訓読みで“瑳あざやか”あるいは“瑳みがく”と読み、あざやかで美しいという意味があります。」

となっています。

また、平安時代の匝瑳郡は、栗山川以北の九十九里浜沿いの平野部一帯で、匝瑳郡の中に18郷があり、その中の「匝瑳郷」が現在の匝瑳市や多古町、栗源町あたりまで含んだ地域であったと思われます。
延喜式に記載された神社名に「老尾神社(おいおじんじゃ)」があります。

また香取神宮の境内には「匝瑳神社」がおかれています。

この香取神宮境内に鎮座している「匝瑳神社」から匝瑳郡匝瑳村大字生尾の老尾神社(別名:匝瑳神社・祭神:阿佐比古命)に分祀されたと伝承されているようです。
また、老尾(おいお)神社の祭神である阿佐比古命は香取神宮の祭神「経津主命」の御子神ともいわれています。

匝瑳神社


また角川の日本地名大辞典には、

・「坂上系図」によれば坂上田村麻呂の子高雄は匝瑳九郎と称した。
・千葉大系図」によれば、千葉常広は匝瑳八郎と称して、下総国匝瑳郡に居住し、その多くの子孫は「匝瑳党」と称した。

という事が書かれています。


千葉の難読地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから


千葉の難読地名 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2020/06/05 13:28
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