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コロナ自粛も少し明け

 先週末の土曜日は「ふるさと風」の印刷日。

いつものように会員が7人ほど集まって500部ほどの会報の印刷・製本を行った。
石岡市はまだ一人も感染者が出ていないが、緊急事態宣言は解除されても市の公民館や観光施設などは今月(6月)からようやく再開となった所が多い。

そのため、この会報も置く場所を失い先月は手元にかなり残ってしまった。
午後からこの先月号と今月号を配りにマスクをして出かけた。
まず一番遠いところのつくば市北条のお休み所「田村家」へ。

皆さんが食事中だったがいつもと変わらず元気にやっておられた。
聞くと施設オープンは本日だという。
そういえばここは土日しかオープンしていないので本日土曜日が再開初日だったようだ。
そして、そのまま宝篋山(三村山)麓を通って土浦市の小町の館へ。

相変わらず宝篋山は登山者が多い。多くの登山者グループとすれ違った。
登山は息苦しいのかマスクをしている人は少なめのようだ。
まあ緊急事態宣言下でも登山者は少なからずいたが、やはり明けると気分転換にやって来るようだ。
小町の館もお休みが続いていたが、再開された。

ただ最近ここが随分変わった印象を受けた。
まず、手前の駐車場の隣にかなり広いスペースでもう一つ駐車場が出来た。
それもほぼ満車なのだ。これは先月の館が休館の時もかなりの車が停まっていた。
調べてみると昨年この裏の小町山(361m)へのハイキングコースが出来、気軽に子供連れでもハイキングが楽しめるようになったのだ。
宝篋山へも行くこともできるという。このハイキングの人達の車が駐車されていたようだ。
数にして40~50台くらいはあるだろうか。
それにしてもかなり人気があるようだ。

しかし再開した小町の館はパンフレットなどのラックはどこかに片づけてしまったようで、私たちが何時も会報を置く場所が無くなっていた。
もう少ししたらこれも元に戻るとは思うが、やはりまだいつも通りと言うわけにはいかない。

そしてそのまま朝日トンネルを越えて石岡市へ戻り、柿岡を通って瓦会へ。
蕎麦処「まんまや」さんへ。
昼時を過ぎてはいたが、店は開いていても駐車場に車がない。
店内に入ると客がいない。聞くと蕎麦が今日はもうないという。
ただ客足はまだ戻っておらず、打つ蕎麦の量を少なくしているのだそうだ。
ご飯ものならできますということで「かつ丼」を注文した。

P6060048s.jpg

すぐ前が瓦会郵便局で、その隣の家がこんどの新石岡市長のご自宅だ。
また何か機会があれば石岡地区、八郷地区の発展に向けて意見を伺ってみたい。
私も今度のコロナをめぐるテレワークなどの動きを見ていて今後の石岡市の方向性に少し新しい光が見えてきた気がする。
「ふるさと風の会」の会報つくりも6月がスタート月なので今月から15年目に突入した。

会員の皆さんの原稿を編集してギリギリ印刷日に間に合わせるともう終わった気になって、ホームページへのUPを忘れてしまう。
前は自分の原稿を書くだけだったので、白井先生が編集を一手にやってくれた。そして出来上がった原稿を送ってもらってホームページにUPするだけで良かったので忘れることもないのだが、近ごろは忘れていてUPが数日遅れてしまったりしている。
またホームページのリニューアルも手がつかない。
矢張りもう若くないので、気力も落ちて来たようだ。困ったものだ。

他にだれもやる人(やれる人)がいないというのも、こうしてできる人に作業が集中する。
今のテレワークなどという会社仕事の変化も同じように特定の人に作業は集中するのだろう。
日本の社会がこれを機に、大きく変わっていくきっかけになってほしいものだ。



近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/06/08 06:43

千葉の難読地名(5) 新生、荒生

 ≪新生≫ (あらおい)     市原市    
 ≪新生町≫(あらおいちょう) 銚子市 
 ≪荒生≫ (あらおい)     東金市 
 ≪荒生≫ (あらおい)     九十九里町 

千葉難読地名5

千葉県には「生」とつく地名が多いようだ。
「黒生(くろはい)」を先に紹介したが、今回は2つの「あらおい」地名について紹介しよう。

これはどちらも「新しく開発された土地」の意味だろうという。
漢字では「新しい」とか、「荒れた」とか意味が違いそうだが元の意味は同じだったと思われる。
ただ、九十九里町の「荒生」地名は、東金市の飛び地と考えられている。

全国に「新生 あらおい」という姓の名前があるようだが、人名のリストからはこの市原市の「新生」が名前の起こりだろうと書かれていた。
文禄3年(1594)の検地表には「海保郡新生之郷」と見える。

一方「荒生」の地名は文禄3年(1594)の上総国村高帳に村名が記載されており、その後の寛政5年の上総国村高帳には「荒笈村」と記載されているという。

また、同じ寛政5年の上総国村高帳には「新笈村」という村名もあるという。

その他、千葉県の「生=オイ」の地名を拾ってみると

・千葉市若葉区愛生町(あいおいちょう)
・旭市高生(たかおい)
・匝瑳市生尾(おいお)


<愛生> ・・・・ 元は千葉市源町の一部で、開発により昭和26年に成立した新しい町名
<高生> ・・・・ 江戸時代に椿海を干拓して成立した新田18か村の一つ
<生尾> ・・・・ 延喜式式内社に「生尾神社」の名前がある。(旧八日市場市)
伝承としては、当地を訪れた某が尻尾のない白馬に乗って通りかかった際、一夜のうちに尾が生えたので、「生尾」と名付けたという。(角川 大日本地名辞典) まあいかにも後から考えられた地名伝説と言ったところだろう。
ただ、この「生尾神社(おいおじんじゃ)」は現地では「老尾神社」と扁額などには書かれている。
香取神宮などとも関係が深かったようだが、名前の詳細はわからない。

がある。


千葉の難読地名シリーズ最初から読むには ⇒ こちらから


千葉の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/06/08 09:24
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