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千葉の難読地名(25) 中峠、中尾余町

≪中峠 なかびょう≫ 我孫子市
≪中尾余町  なかびょうまち≫ 佐倉市


千葉難読地名25


 【峠】のことを【びょう】【ひょう】という地名が上総・下総地域の小字地名にたくさん散見される。

ただ漢字で「峠」と書かなくても、ヒョウやビョウという地名には峠と同じ意味合いがあるようだ。
この「峠 とうげ」という漢字は後から作り出された漢字で、山へんに票と書いていたふしがある。木へんなら「標」という字で峠のような場所を「ひょう」とか「びょう」と呼んでいたようだ。
この峠のような場所は行政区が変わるような場所で、そこに立札(標)を立てていたのかもしれない。
それを「ヒョウ」「ビョウ」と発音し木の標札と区別するために木へんを山へんに変えた字をこの地方だけで作り、しばらく使っていたようである。
その後「峠」という漢字が浸透してきても地名の読みはやはり「ヒョウ」「ビョウ」のままだったのか?
茨城などにも少しあるようだが、他の地域にあまりないというのも、この言葉は全国区にはならなかったのか?

調べてみると、和製漢字である「峠」の字は、1484年成立『温故知新書』にみえるのが初見のようだ。
比較的新しいのだ。


≪中峠 なかびょう≫ 我孫子市

中峠台(なかびょうだい)、中峠村下(なかびょうむらした)も近くにある。
古くは「柴原」「芝原」といったという。天文10年に中峠郷となり、文禄元年に中峠村と公称し、芝原は通称となった。(角川 日本地名大辞典)

≪中尾余町  なかびょうまち≫ 佐倉市

江戸期からの地名。城下の武家屋敷の増加に伴い、寛文年間に造成されて成立。
地名の由来は丘陵性台地の鞍部を「ビョウ」と呼ぶことによる。(角川 地名大辞典)


≪道表 どうびょう≫   茂原市

これも「道標」から変化したのか?


柳田國男の「地名の研究」
 「峠をヒョウということは、大正初年の『歴史地理』にも書いておいたが、改めてこれを問題とするために、今一度多少の重複を忍んで、ここに意見を載録してみようと思う。自分の知る限りではこの例は関東に限られ、ことに上総・下総に多かったように思う。上総は全体に地名に特色があり、下総はこれに接した部分だけにその感化が及んでいるのであった。手賀湖北の中峠をナカヒョウと呼ぶことは早くから知っていて、何かこの土地限りの事情に基くかと思っていると、印旛以南の丘陵地一帯にいくらでも同じ地名があり、片仮名をもって何々ビョウと書いた場合にも、場処は必ず岡を越えて行く路の中ほどにあった。その例は、

上総山武郡源村大字滝沢字峠道  ひょうみち
同 同  同 大字酒蔵字峠ノ崎  ひょうのさき
上総山武郡源村大字極楽寺字峠ノ腰 ひょうのこし

などのごとくいたって多いから、少なくともヒョウが他地方における峠に近いものを意味することだけは疑いがなかろうかと思った。別に同じような地形を現わすヒョウにいかなる文字が宛ててあるかを尋ねてみると、手元に今他の府県の例を集めておいたものは見当らぬが、

上総市原郡市東村大字金剛地字毛無鋲  けなしびょう
同 君津郡富岡村大字下宮田字境鋲   さかいびょう
同 同  同  大字上宮田字境俵     さかいびょう

これらがいずれもビョウと訓(よ)ませてある。毛無しとは地味の悪く、草木の生長していないヒョウのことらしい。
狐(ビョウ)というものも幾つかあった。
稲荷俵と書いてトウカンビョウと呼ぶものもあるから、おそらくは岡越えの路の頂上に、狐神を祭っていたことを意味していたと思う。
そうして上総には今でもそのような信仰がある。次にはまた山扁の票の字を作って用いている場合が少なくない。

上総市原郡姉ヶ崎町大字深城字狐※(「山+票」)
下総海上かいじょう郡海上村大字引田字中※(「山+票」)
上総君津郡平岡村大字永吉字中※(「山+票」)

 後の二つはともにナカビョウといっている。
そこで自分は※(「山+票」)はすなわち標であろうと考えてみたのである。
峠という漢字は和製であろうが、それにヒョウという音の生ずる理由はなかった。
ただ丘陵の嶺通りの、通路で横断する地点を村の境としていたために、標とは峠のことと誤解して、しかも普通の標と区別すべく、いつとなく山扁の字を使用したものかと思う。標は通例は多くは立木であった。
武蔵などではこれを榜示木(ぼうじき)と呼び、別にそのために生樹を栽えず、ただ削って白くした棒などを立てた場合には榜杭(ぼうぐい)といい、まるまる木がなければその場処を榜示戸とも法師土とも記し、かつ訛(なま)ってはまた端戸(はしど)とも書かしめた。橋もなくして橋戸と書くのも同じ場合である。
標はもと上総の方言に、右の榜示戸をヒョウといったのを、何とかして漢字を宛てておこうとして発見したものであり、峠はまったく字の本義を忘れて後に、語の内容から新たに試みた結合であった。
そうして、鋲や俵は一種無頓着なる万葉仮名であろうと思う。
・・・・・・・・・・・・・

まあこの峠の「ひょう」「びょう」についても色々な方が解釈されている。
どれが正解かはわからないが、いろいろ考察が広がり楽しいものだ。
縄文語の鈴木健さんは茨城などに多い「坪」地名との関連から
【中坪 ⇒ 中垰 ⇒ 中峠】
と変化したとの仮説を提唱された。

また白井市地域史研究者の小林 茂氏は ビョウ=廟 ではないかと「手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会会報」で述べておられた。


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千葉の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/06/24 05:15

千葉の難読地名(26) 三箇 四箇

≪三箇  さんが≫ 袖ヶ浦市
≪四箇  しか≫ 栄町(印旛郡)


千葉難読地名26


三箇、四箇 という地名は全国にかなりある。
多くが邑(村)が合併した時に「三箇村」とか「四箇村」などとなった時に付けられた名前だが、恐らく、「三ヶ村」とか「四ヶ村」などとなり、村名を除いて、三箇(サンカ⇒サンガ、ヨンカ ⇒ シカ)となったものだろう。

≪三箇  さんが≫ 袖ヶ浦市

袖ヶ浦市の【三箇 さんが】は御霊原台、松崎台、塚越の3か村が合併して出来たと伝えられるが、いつ頃のことか良くわからない。
文禄3年(1594)の上総国村高帳には『三ヶ村』と名前がある。

≪四箇  しか≫ 栄町(印旛郡)

利根川、将監川、長門川に囲まれた河川低平地で、地名の由来は、埴生郡大竹村をはじめ4か村によって開発されたことによる。(平凡社 千葉県の地名)

江戸期は「布鎌四箇村新田(ふかましかむらしんでん)」で、寛文6年(1666)に開発された15村の一つであった。
また飛地なども含め、北と南に分かれていた。
現在の四箇は北側の大字名として残ったようだ。


<全国の三箇、四箇などの地名>
茨城県小美玉市三箇        さんが
栃木県那須烏山市三箇 さんが
埼玉県久喜市菖蒲町三箇 さんが
新潟県中魚沼郡津南町三箇 さんが
富山県射水市下村三箇 さんが
富山県射水市本江三箇 ほんごうさんが
愛知県豊田市三箇町        さんがちょう
大阪府高槻市三箇牧        さんがまき
大阪府大東市三箇        さんが
福岡県朝倉郡筑前町三箇山 さんがやま
熊本県上益城郡甲佐町南三箇 みなみさんが

茨城県稲敷市四箇        しか
兵庫県たつの市龍野町四箇 よっか
福岡県福岡市早良区四箇 しか
福岡県福岡市早良区四箇田団地 しかただんち
福岡県大牟田市四箇新町 しかしんまち
茨城県小美玉市栗又四ケ くりまたしか



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千葉の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/06/24 13:00
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