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千葉の難読地名(27) 四方木 四天木 四木

≪四方木  よもぎ≫ 鴨川市
≪四天木  してんぎ≫ 大網白里市
≪四木  しもく≫ 八街市


千葉難読地名27


≪四方木  よもぎ≫ 鴨川市

上総国望駝郡(もうだぐん)に属し、房総丘陵の背梁部にある山村。
文禄3年(1594)の上総国村高帳に村名が見える。(平凡社 千葉県の地名)
もとは蓬萊(よもぎ)であったのを後に改めたという


≪四天木  してんぎ≫ 大網白里市

 九十九里浜沿岸、掘川流域に位置する。
地名は、古くは四大天王の像が漂着したので「四天寄(してんぎ)」と称したことに由来するという(山武郡郷土誌)(角川 日本地名大辞典)
この像は現在の山武市(成東町(旧松ヶ谷村))の勝覚寺に安置されている。


≪四木  しもく≫ 八街市

八街村の大字地名の一つで、昭和24年から八街町の大字名として存続。
江戸期は小間子牧のうち。
「四木(しぼく、しもく)」をWikiipediaで見ると、

四木(しぼく、しもく)は、江戸時代に栽培された特に重要な4種の木で、
『茶(飲用)、桑(絹を作る蚕のえさ)、漆(漆器、蝋燭の材料)、楮(紙の材料)のこと。』

とある。


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千葉の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/06/25 05:24

千葉の難読地名(28) 和良比

≪和良比  わらび≫ 四街道市

千葉難読地名28


小名木川の水源地にあたり、集落は台地上にある。
天文19年(1550)の妙見宮の記述には「蕨(わらび)」とあり、慶長19年(1614)の台帳にも「蕨村」と記されている。
また、元禄13年(1700)頃の郷帳には「和留比村」と書かれていた。
明治22年の頃は旭村に属し、昭和30年から四街道町(市)に属した。

地名の由来についてははっきり残されたものはないが、埼玉県の蕨市のHPには
 「蕨という名前は歴史が古く地名の由来は文献にも残されていないが、諸説伝わっているうちの主に2つの説が有力とされている。
・ 源義経が立ちのぼる煙を見て「藁火村」と名付けた、在原業平が藁をたいてもてなしをうけたところから「藁火」と命名したという「藁火」説
・ 僧慈鎮(じちん)の「武蔵野の草葉にまさるわらびをげにむらさきの塵かとぞみる」の歌をもって名付けた近隣の戸田市や川口市にもある地名の青木、笹目、美女木などの植物にならって命名したという「蕨」説

<全国のワラビ地名>
北海道石狩郡当別町蕨岱 わらびたい
北海道二海郡八雲町わらび野 わらびの
北海道山越郡長万部町蕨岱 わらびたい
北海道釧路郡釧路町わらび わらび
宮城県気仙沼市本吉町蕨野 わらびの
宮城県伊具郡丸森町蕨平 わらびだいら
宮城県亘理郡亘理町逢隈蕨 おおくまわらび
山形県酒田市大蕨         おおわらび
山形県東村山郡山辺町大蕨 おおわらび
山形県飽海郡遊佐町大蕨岡 おおわらびおか
山形県飽海郡遊佐町上蕨岡 かみわらびおか
福島県東白川郡塙町大蕨 おおわらび
福島県相馬郡飯舘村蕨平 わらびだいら
茨城県筑西市蕨         わらび
群馬県富岡市蕨         わらび
埼玉県蕨市         わらびし
新潟県新潟市秋葉区蕨曽根 わらびそね
新潟県柏崎市蕨野         わらびの
新潟県岩船郡関川村蕨野 わらびの
福井県大野市蕨生         わらびょう
長野県上高井郡高山村蕨平 わらびたいら
岐阜県美濃市蕨生         わらび
静岡県静岡市葵区蕨野 わらびの
広島県呉市仁方町(蕨谷) (わらびたに)
徳島県美馬市山夏蕨    なつわらび
愛媛県宇和島市蕨         わらび
愛媛県北宇和郡松野町蕨生 わらびょう
高知県四万十市蕨岡         わらびおか
高知県香美市香北町蕨野 わらびの
高知県吾川郡仁淀川町大蕨 おおわらび
高知県吾川郡仁淀川町蕨谷 わらびだに
長崎県五島市蕨町         わらびちょう
熊本県水俣市わらび野         わらびの

このように実にたくさんあります。
ここで注目すべきなのはやはり北海道の地名です。
当然アイヌ語が多いはずです。

【蕨岱 わらびたい】という地名が2箇所に出てきます。
これはまさしくアイヌ語地名だと言います。

【わらびたい】=アイヌ語の【warumpe-hur (ワルンピ・フル)=(ワラビの丘)】が元で、ワラビがたくさん生えていた丘だそうです。
この【warumpe ワルンピ = ワラビ(蕨)】です。

すると日本語のワラビはアイヌ語(縄文語)なのでしょうか? それとも和語由来でアイヌ語になったのでしょうか?
どうやら昔の樺太などではワラビを食する習慣がなかったようで、もともと植物の新芽を「tuwa ト゚わ」と言っていたようです。
これに和語のwarabi(ワラビ)がアイヌにも伝わって「warumpe(ワルンピ)」とか「Warambi (ワラムビ)」などの言葉が後から加わったようです。
(アイヌ語地名の傾向と対策 (428) 「蕨岱・トマムナイ川・知来」による)

地名も由来は結構難しいですね。


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千葉の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/06/25 12:36

千葉の難読地名(29) 丁子

≪丁子  ようろご≫ 香取市、香取市大倉

『丁』という漢字を「ヨウロ」と読む地名が全国に数件ある。
これはかなり古いもので、律令制の始まり頃にあったようだ。

千葉難読地名29


もともとの「丁」は象形文字で、釘を垂直に立てた形状を文字にしたものといわれている。
また読み方も「ちょう」「てい」などは普通に使われるが、それ以外に
・「ひのと」(火の弟)・・・、十干の4番目で、陰陽五行説では火性の陰に割り当てられているため。
・「よぼろ」「よほろ」「ようろ」・・・漢字では「膕」(ひかがみ、よほろ)と書き、膝の裏のくぼんだところを指す言葉だった。

現在朝鮮語で、「ねえあなた」というような言い方を「ヨボ」というが、古代朝鮮語の「ヨボ」は、若者を呼ぶ言葉であったようだ。
日本でも防人(さきもり)の時代の階級には

1、【國造丁 こくぞうのてい】:軍団長とされていたが、従軍神職(神官)ではないかとされている
2、【助丁 すけよぼろ】:福軍団長とされていたが、おそらくは一番上。
3、【主帳 しゅちょう】:文章の伝達が役目の官職。防人の中で選ばれた者。
4、【火長 かちょう】:10人ほどのリーダー的な存在。
5、【上丁 かみつよぼろ】:一般兵士。
とあった。
昔は「よぼろ 丁」は若者をさした言葉であったようだが、次第にこの「上丁(かみつよぼろ)」をいうようになり、令制では課役負担者となる成年男子(21~60歳)を指した言葉となった。


≪丁子  ようろご≫ 香取市、香取市大倉

古くは鎌倉時代の1300年頃に確認される村名で「丁古村」と書かれていた。香取社神領の一つだった。

地名は香取神宮祭に御輿を担ぐ若者(丁)を出す地域で、本来は神主(大宮司)の職領であったと考えられます。
(香取郡誌)(角川 日本地名大辞典)

現在の京都市左京区八瀬に「八瀬童子(やせどうじ)」と呼ばれる人々が住んでいたが、これらの人々は比叡山延暦寺の雑役や駕輿丁(輿を担ぐ役)を務めていた。そして室町時代にはいると天皇の駕輿丁とか、棺を担ぐ役なども行っていたという。
この輿を担ぐ役を駕輿丁(かよちょう)といったのだ。駕輿丁は課役免除の特権が与えられたという。


さて、江戸時代からたくさんある屋号に「丁子屋(ちょうじや)」があるが、これは、丁子(ちょうじ)という香料を扱う店であった。
丁子(ちょうじ)は、フトモモ科の木であるチョウジノキの開花前の蕾を乾燥させたもので、その形状が釘に似ていることから丁子という名が付いた。現在では一般的な呼び名は「グローブ」と呼ばれる。

この丁子屋は、丁子に由来する商号で、丁子の絵柄が含まれる家紋を持つ商家が名乗った。
とろろ汁・丁子油・香料・漢方薬など)の丁子に関する商売を行う者が屋号として使うケースもあったという。
そこから広がって、植物に関係する職業(藍染屋)などでも、丁子屋の屋号が使われ出して各地に広まったものだ。

石岡(茨城県)にも江戸時代の商屋「丁子屋」がのこされており、この建物の元は染物屋だった。
現在は観光用の「まち蔵藍」として利用されている。

また江戸時代には日本刀の手入れに「丁子油」が使われた。そのため、刃物の町とも言われた大阪市堺市にもこの屋号の店が残されている。

その他「丁」=「ようろ」地名を探すと、
福井県大野市上丁 かみようろ
福井県大野市下丁 しもようろ
福井県大野市中丁 なかようろ
滋賀県長浜市小谷丁野町 おだにようのちょう

がありました。
福井県大野市の「ほたるの里」といわれる3つの「ようろ」地名には、次のような話がついていました。

<丁(ようろ)の由来>

「昔、昔、お嶽山(飯降(いふり)山)の山上で、美人の尼さんが、三人、姉妹同様仲よく修行を積んでいたそうです。この三人の尼さんの、仏道への熱心な修業、精進ぶりに、天の神様が毎日、三度三度、三箇の大きなおにぎりを降らして下さったということです。
このことから、この山を「飯降山」と呼び、麓の村を飯降村と、呼ぶようになったのだそうです。

ところが、ある時のこと、三人の意見が、幾度話し合ってもくいちがって、そのことがもとで、一緒に暮らすことにひびが入り、毎日の修行にも差しつかえが出るようになりました。そうするうちに、どうしたことか、ピタリと天からおにぎりが降らなくなり、三人は飢えと、寒さに耐えられなくなって、よろよろとよろけながら、山を降りることになりました。

途中の急な坂では、三人が三人とも、ころころと転んで、すべり落ちたという場所が、今でもあります。「尼転ばし」と呼ばれる坂がそれです。 大へんな苦労をしながら、三人の尼僧は手足をすりむいて、血だらけになり、膝頭やお尻を思いきり木や岩角に打ちつけて、着ていた着物がさけたり、破られて、ぼろぼろになって、空腹と疲労で、よろよろと倒れんばかりに杖にすがって、お嶽山の北の方へ下山してきたのでした。

この麓の地名が「丁(ようろ)」といわれるのは、この三人の尼僧が、T形の杖をつき、よろよろ、よろよろ、よろよろと、よろめきながら降りついてきた土地だからだという言い伝えがあります。 そして、一番年上の尼僧が上丁に、次の尼僧が中丁に、一番若い尼僧が下丁に、それぞれ住みついて、上・中・下の丁の村の御先祖様になられたそうです。
三人の尼様は、下山してきてからはまた仲よくなって、行き来はされていたらしいのですが、三人一しょに仲よく住むことは、もうなかったということです。」

どうですか。地名由来もこうなるのですね。


<丁=マチ>地名

千葉県夷隅郡大多喜町新丁 しんまち
千葉県夷隅郡大多喜町田丁 たまち



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