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今年も西蓮寺の大イチョウ

 毎年この時期になると行方市の西蓮寺(さいれんじ)に立ち寄ってみる。
お目当ては、境内の2本の大イチョウの黄葉であるが、今回はもう一つ確認しておきたい事もあった。

ここの大イチョウはかなり見事で、他にあまり似たような大木を知らない。

いつもだと11月最終日のこの日では少し黄葉には早く、大概は12月10日前後に行く場合が多いが、今年はかなり黄葉が進んでいた。

でも休日でもないのにかなり人が多かった。
時々は地元の幼稚園(保育園)で子供たちを遊ばせに来ている事に出会うが、この日も保育園のバスが来ていて多くの子供たちの歓声が響き渡っていた。

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ここ数年、毎年こうして立ち寄るが、子供たちと会うのも久しぶりだ。
去年はイチョウの葉が秋に大型台風がこの近くを通ったせいか少し少ない気がしていた。
今年は例年並みだろうか。
ただし、もう少し黄葉の絨毯はふかふかとしているが、今年はまだ少し早いのかもしれない。
あと数日後の方がよいかも・・・・

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こうして赤や白の花を水に浮かべていたが、最近は何処のお寺も流行なのだろうか・・・
子供たちも黄色ばかりではなく嬉しそうだ。

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この木の下で、もう少し落葉が多ければ、きっと子供たちはもっと喜ぶはずなのだが・・・

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この大イチョウの隣に、文化財指定されている「相輪橖(そうりんとう)」がある。
この西蓮寺を訪れる目的のもう一つがこの塔である。
最澄が比叡山に建てたもの、日光の輪王寺にあるものと合わせて日本三相輪橖と呼ばれるそうだ。

元寇の役で犠牲になった兵士や、住民もかなりいたのだろう。
fbfの情報で、九州の蒙古の沈んだ船や、犠牲になった島の住民などの話が今に伝えられている事を知ったが、このような塔が比叡山と日光とここの3箇所にある事が何か不思議な気がしてならない。

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相輪橖(そうりんとう)は元寇の時の死者を弔うとともに、国土発展を祈願して立てたものとされ、西蓮寺を中興した慶辦(弁)が、弘安の役(2度目に蒙古が攻めてきた元寇の役(1281年))の戦勝を紀念して弘安10年1287年に建立された。

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塔が傾き、修理した時(昭和52年)の銘板が付けられていた。

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 塔の中段にはたくさんの名前が彫りこまれている。
これは塔の寄進者などの名前か?

 相輪橖については4年前に調べて書いた ⇒ こちら

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コロナ渦ではあるが、子供達の表情は生き生きしていた。
顔をあわせると、皆、「こんにちは」と挨拶をくれた。

小美玉・行方地区 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2020/12/01 11:19

竹林の石仏群

 先日、小美玉市の玉里(下玉里)地区に江戸時代に水戸藩の罪人(政治犯)を霞ヶ浦の島に送った時の「かごぬけ地蔵」の記事を書いた。(こちら

その時に使ったGoogle地図に、すぐ近くに「竹林の石仏群」と書かれた場所がある事がわかり、また別な日に見に行ってきました。

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場所は「稗倉(ひえぐら)」バス停の少し東側の山側に少し入った場所。
通りから車で通れる道を僅かには行った所の上り坂の途中にあった。
竹林の手前の広場に沢山の石仏や石塔が並べられていた。
おそらく、近くにあった石仏たちをここに集めて並べたものだろう。

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上の写真の真中の石碑には「光明真言一百萬遍供養塔」と書かれています。
真言密教で、宇宙の中心である大日如来にお願いする・・・・。
百万遍呪文を唱えてお願いすれば、全ての災いなどから逃れられる。
これから歩む道も照らしてくださる・・・
今の時代でもよいことずくめですね。

その2つ左側には「二十三夜塔」が置かれています。

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そしてその更に左側には少しうすくなっていますが、下に三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)と青面金剛が描かれた庚申塔です。

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手前の石仏たちも興味深い像が多いですね。

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あまり詳しく知らないので、詳細は書けません。

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作られた年代などについてはあまり詳しく見ませんでした。
かなりうすくなっているのではっきりしないものが多そうです。

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石仏群を後にして、近くの霞ヶ浦沿いの道路に出て見ました。
少し高浜よりに舟溜りがありました。

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この位置から陸地側を見ると、あの青い家の右側奥に「かごぬけ地蔵」さんがあります。
バス停は「稗倉」で、聞いてみると近くに4棟の稗(ひえ)を貯蔵する蔵(木造)があったそうです。
竹林の石仏群はその右側の小山の裏側のです。

そして、この舟溜り(モータープール)あたりに船着場(昔は御蔵河岸と言っていたようだ)があり、戦後まで対岸の八木地区と舟が行き来していたといいます。

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このあたりは対岸前はかなり近い。
向こう側の町も肉眼でよく見える。
おそらく、あの町の辺りが八木地区で、昔は島であったらしい。
今ではすっかり陸続きになっている。


小美玉・行方地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/12/02 12:29

立延地区の祭り(1)青屋様

 この前の日曜日に小美玉市の旧玉里地区にあるコスモス生涯学習センターで開かれていた展示会にお邪魔した。
「小美玉市のお祭りと年中行事2020」として、民俗芸能としてのお祭りの歴史などが紹介されていた。

この日が最終日で、連絡を頂きあわてて出かけてきた。
石岡からは車なら往復でも30分くらいあればいける。

小川の素鵞神社祇園祭、竹原のアワアワ祇園祭、堅倉ばやしなどの紹介に交じって、立延の青屋様と盆綱が紹介されていた。
特に私にはこの立延(たちのべ:現在の住所では中延)地区の2つの行事にとても興味を覚えた。

他も興味深い内容だったが、まずはこの2つの行事を2回に分けて、ここに紹介したい。
先ず最初は「青屋様」から紹介しましょう。

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説明は展示会に掲げられていた説明を載せますので読んでください。
遠いところの方も、近くでも行かれなかった方も興味がある方は読んでください。

昔から伝えられ、今も残るこのような風習にどのような意味が込められていたのか?
また、それを大切に守り次の世代に伝えてこれたのはどのような人達の力だったのか・・・・
とても考えさせられるものでした。

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私も、別なところから石岡市内に移ってきて、すぐに市内の青屋祭、青屋神社の存在を知った。
石岡小学校(旧日立国府跡)のすぐ近くにある青屋神社に説明が書かれていて、そのことしか頭になかった。
しかし、この立延の青屋様の行事は、もう少し古い本来の青屋祭の姿が現われているとの思いがした。

まずは、石岡市内の青屋神社に書かれている説明を載せましょう。

「常陸国司は都から着任すると,鹿島神社に参拝するのが習わしであった。国司が参拝するには高浜から舟で行くのが通常であったが,荒天で出航不能の時は,高浜の渚にススキ,マコモ,ヨシ等で青屋(仮屋)を作り,そこから鹿島神社を遥拝し参拝に代えたという。これが青屋祭の起こりといわれている。」(石岡市HP)

常陸国の国府が現在の石岡に置かれており、奈良時代などに都から常陸国へ着任してきた国司などが、鹿島神宮に参拝するときに高浜から霞ケ浦(流れ海)を舟で行くのだが、嵐などでいけない時には青屋という仮の小屋を建てて、そこから遠く鹿島神宮に遥拝したという。これが青屋の起こりだが、それが高浜神社と、石岡市内の青屋神社に踏襲され、旧暦の6月21日に青屋祭が結構盛大に行われるようになった。

現在青屋神社ではこの旧暦6月21日に青屋祭を行っています。ススキを箸として、ウドンを食べるのが祭り行事に一つでした。

青屋祭に行った時の記事はこちらにあります ⇒ 青屋祭(2011年7月21日)

ここには立延地区に残っていた青屋祭の様子である。これは今まで知っていたものと少し違う。

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まず現在も続いているウドンをススキの箸で食べる習慣はここでは健在であった。
これは今年の写真であり、7月21日にススキ(茅)の茎で子供たちが箸を作る作業をする。

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そして食べるものは小豆粥にウドンが煮込んであるものだ。
いままでウドンとしか聞いていなかったが、写真を見たのは初めてだ。
石岡でも同じだったのだろうか?

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しかし、変わっているのはここからで、この青屋様という仮殿を組んでいたということです。
石岡や高浜ではそれぞれ神社となっていて、このような仮殿は作っていません。
こちらのものも今ではなくなってしまったようで、昭和の後期の写真だ。

立延地区は園部川から少し高台のこじんまりした地区で、高低の差が大きい入り組んだ地区だ。
園部川の川岸から茅をとってきて、竹で組んだ祠を飾り、中に青屋様という御幣を祀るという。

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その後、完成した仮殿を園部川まで子供たちが担いでいき、川に流したという。
青屋という意味がよくわからなかったのですが、この仮殿は青竹を組んで作ります。
この青竹を使うことから名づけられたように思います。

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展示会場には、青屋祭で使われる箸とお札が展示されており、その横に百万遍念仏供養の版木が置かれていました。


小美玉・行方地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/12/03 21:33

立延地区の祭り(2) 盆綱

 茨城県小美玉市立延(中延)地区に伝わる年中行事である、青屋様と盆綱について紹介しています。
今日は昨日の青屋様に続いて「盆綱(ぼんつな)」と呼ばれる行事を紹介します。

写真等は、小美玉市玉里地区にある小美玉市玉里資料館(生涯学習センター「コスモス」)で行われた「小美玉市のお祭りと年中行事2020」によります。

盆綱とはいったいどんなお祭りでしょうか?

旧暦のお盆の13日に、龍(または蛇)に見立てた縄を作り、それを子供たちが先祖の人々が眠る(共同)墓地から先祖の霊を綱に乗せて、各家庭に語先祖様の霊を送り届け、15日には又もとのお墓に送り届ける・・・・そんな行事のようです。

龍に見立てた縄を「盆綱」といい、東関東(千葉県や茨城県)に残された行事で、少子化などで消滅する恐れがあると、平成27年3月に国の無形民俗文化財に選定されているといいます。

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立延地区の盆綱(ぼんつな)は、地区にいる小中学校の男子のみで行われています。
綱の作り方などは下記の説明にあります。綱の結び目の数だけ、ホトケサマが綱に乗り移る事ができるそうです。

この綱の制作は、大人だけがやる地域もあり、またお盆の少し前に作って、川近くに水をかけてお盆の当日までおいておくところなどもあります。また参加する子供は昔は男子だけだったところも、しだいに少子化で女子も混じるところも出てきているようです。

綱の制作が終わり、夕方に共同墓地に行き、先祖の霊を綱に乗り移らせます。
そして、綱を子供たちが担いで、各家庭を廻ります。

各家庭ではその家庭のご先祖様の霊を綱から下ろすため、龍の頭(綱の先頭)を振って降ろす動作をします。
地区によっては、掛け声をかけたりもします。

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盆綱つくりはかなり力も必要ですので、大人が作るところが多いようです。
上の写真は昭和後期のもので、子供も参加して盆綱つくりをしていますが、立延地区では、現在は大人だけで綱を作っているようです。

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訪れた家の前で、ワッショイといいながら綱を放り上げて、「もむ」という動作をすることもあるようです。(地区により異なるようです)
でもこの盆綱には目が付いていますね。
この目は茄子が使われているようです。

どうですか?
この姿は龍というより、常陸国風土記の行方郡に出てくる 「角のあるへび=夜刀神(やとのかみ)」に見えますよね。

<角のある蛇 ⇒ みずち ⇒ 龍>というような変化が考えられますね。


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この橋本旅館さんは今も経営なされている旧小川町の古くからある旅館さんです。

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小美玉市には玉里地区の大井戸公園近くの地域「平山(ひらやま)地区」にもこの盆綱が伝わっています。
資料館で展示されていたパネルの写真を載せておきます。
立延にも比較的近い地域ではありますが、内容は少し違うようです。

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茨城では、この盆綱行事は上の小美玉市の立延、平山の他に、小美玉市上馬場、牛久市東瑞穴町や田宮、石岡市東田中、つくば市、阿見町など51地域に残っているという。(過去に調査した時は103地域にあったと言うので半分になった)

また、千葉県の佐倉、成田などにも多く残っており、全国的には九州北部にも少しあるという。
調査報告はいろいろ出ているようなので、興味がある方は調べてみてください。




小美玉・行方地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2020/12/04 14:51
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