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啓蟄

今日は二十四節気の啓蟄(けいちつ)。虫が土の中から這い出して来る日だという。
最近はテレビなどでも「啓蟄」ですよ、となんだか知っていますか?と言わんばかりに言い出したように思う。

私も、こうして昔不得手だった文章をいまから10年ほど前からブログに書くようになって、6年ほどの間、毎日書くのを日課としてがむしゃらに書いて来た。

しかし、最近になって、何とかもう少しうまい文章が書けないものかなどと考えるようになった。

何か参考になる本はないかと考え、私が若い時に山好きだった頃によく読んでいた串田孫一さんの随筆をまた読んでみて、参考にしたい考えた。

最初に先ず選んだのが、串田孫一さんが朝日新聞に1961年8月から翌年の9月まで61回に亘って連載された随筆をまとめた「わたしの博物誌」という本である。

もう大分古い本だが、未だにこの本は愛読者が多いらしい。
ネットで古本を購入し、手元に届いた本をまだざっと眺めているだけだが、その中に「虫のめざめ」という話しがあった。

その書き出しは、
 「今年の啓蟄は三月六日、午前十時三十分。この時、太陽の黄経は三四五度になる。・・・・・・・・・・
  毎年私はこの啓蟄に、虫たちの動きを見てまわる。・・・・・・・」
とある。

まあその時の気候や感じたことなどを読みやすい文章でまとめられていたが、私は、この出だしの「午前十時三十分。この時、太陽の黄経は三四五度になる。」にひっかかってしまった。

こう書かれると、この「時刻や、太陽の黄経」がどのような意味を持つかを知りたいという私の中の「虫が目覚めて」くる。

早速調べてみた。
この太陽の黄経とは、北極を北に自転している地球を球体の中心にした「天球」を考える。
その天球上を太陽が1年かけて回る。1日に約1度弱となる。

その太陽の動く道が黄道で、地球で言えば赤道に当たるが、地球の経度が、天球上では黄経と呼ばれる。

1年360度を24等分した点が24節気となり、0度を春分に定めている。
啓蟄は最後なので黄経は345度となる。
あと15度動けば(約15日後)は1周回って春分である。

今年(2021年)の啓蟄は今日3月5日の08時53分 だそうだ。

毎年こうして春夏秋冬は廻ってくるが、今年のような暖冬もあり、また雪の降っている日も中にはあろう。
また地域によってもかなり感じ方は違ってくるはずだ。

幸い、余り雪の降らない地方に住んでいると、雪国のことを忘れてしまうが・・・・・・

さて、今朝庭に出て、地面を眺めてみた。
春の日差しが差し込み、暖かくなってきていたが、虫が這い出しては来なかった。
まあ、気長に待てば、とも思ったが・・・・ 余りのんびり時間を過ごすこちらの心のゆとりがなかった。

残りが少なくなっていく人生をどのように過ごしていくのか。
余り真剣には考えないが、これがだらだらと過ぎていくのも困り者かもしれない。

庭には馬酔木(あしび、あせび)の花が咲いていた。
毎年このかわいらしい花をよく観察していない事に気が付き写真に収めた。


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我が家の馬酔木はかわいらしいピンク色。白い花もあるという。

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この房状のピンク花に朝日が当たり透き通るぴんくがまたかわいらしい。
葉には毒があり、馬や鹿が食べると酔っ払ったようになることから名付けられた名前だという。
このため、葉を食い荒らされる事が少ないので、奈良公園などでもよく植えられている。


ひとこと | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/05 08:53

デコポン、ザボンなど

 昨日の土曜日は「ふるさと風の会」の会報178号の印刷日。
あと2回で180号となり、15年間の発行になる。

10年前には東日本大震災がおこり、その半年前にこのブログを開設した。
その頃から時々このふるさと風の会の集会に無会員のまま時々お話し会などにお邪魔していた。
正式に会員になったのは2011年の9月頃。

ブログも毎日書くと始めて1年を過ぎた頃だ。
何処まで続けていけるのか未だ不安が頭をよぎる。

印刷機も大分古い中古を入れて、15年までもてば、後はいつ壊れても・・・・
壊れたら、そこでやめるもよし、ネット印刷などの別な手段に変更するのも良いかなどと思ってきた。
でもそれはきっと突然やってくるのだろう。

心配してもなるようにしかならないので、私だけが心配してもしょうがないので心の準備だけしておく事にしよう。

昨日朝、印刷を始める前に、1年前にお亡くなりになったSさん方から、皆さんへといってデコポンとお菓子を頂いた。

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この不細工なデコポンも 熊本の宇城地方で品種改良されたものというが、最初は人気も無かったという。
でも甘さもまし、「不知火(しらぬい)」という品種名の愛称を「デコポン」としたことから全国的に有名になったものだという。

おかしなものだ、この形からは「出べそ」・・・・など、いろいろ想像されてしまうが、おでこ+ポンカンが語源らしい。

最近は「おでこちゃん」などとの呼び名もあるようだ。

さて、私が此の記事を書こうと思い立ったのは、デコポンもこの北のほうの茨城でも栽培されているのかなどと考えたことで、少し違った「ザボン」が筑波山麓でも栽培されていた事が有るらいいという記事を昔、ブログで読んだ記憶が蘇ったからだ。

それは室生犀星が書いた詩がある。

<筑波山の山ふところ>

其処には見事なザボンが
暖かい青青したいろを湛へて
どっしりと重く
日をあびながら実ってゐた
本当に立派だ
大きい果実のもつ強い力が
すぐさま快適に
どっしりとやって来る
むしろそれは大きさの迫る力だ
暖かな山ふところに
静かな日の光をあびながら
この果実の太った心も今はわかる
この土地の温かみを感じるだけでも
彼の微妙な生育がわかる
若いむすめのやうに肥り込んでゐるのだ
その大きなやつを一つ
しっかり抱いて東京へ帰へる

この詩は室生犀星が、筑波山の麓、真壁の伝正寺温泉(桜井館)に滞在していた時に見た光景をうたったものと思われる。
桜井館は温泉というより鉱泉で、山人などが利用していた旅館で、芥川龍之介なども逗留していたといわれている。

此の辺りは、比較的小粒のみかん「筑波みかん」を栽培している農家は多いが、この南国の大きな「ザボン」(ブンタン)は、余り見かけたことは無い。

しかし、この詩は、ザボン好きで知られる室生犀星が確かに見た光景であったという。
それを捜して、此の地方を訪れたという方がブログを書かれていて、以前何処かで読んだのだが、何処にあったのか・・・・

時間をかければ捜す事はできそうだが、ここは少し手を抜き、その方には申し訳ないが、記憶で書かれた内容を書くと、

確かに昔、ザボンを栽培していたという農家の方を見つけ、話を伺ったという。
今はザボンは栽培していないで、別な種類の果物を栽培していると確か書かれていた。

確かにこの大きな南国のザボンがこの筑波山北側の真壁地区で栽培されていた風景を想像すると
「若いむすめのやうに肥り込んでゐる・・・」
などとつい言ってしまいたくなりそうだ。

また、この伝正寺温泉には10年以上前に夫婦で行った記憶がある。

今は旅館も確かきれいに改築されたと思うが、当時は山人、釣り人などが利用する温泉宿で、鉱泉のため、確か温泉を沸かして風呂に提供されていた。

私たちが入浴を申し出ると、男湯と女湯があるが、「お二人で女湯?(少し大きい)へよければどうぞ」などと言われる。

風呂から上ると、休憩室で熱いお茶を出していただき、なんかホッとする温泉宿であった。

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風呂の壁には鉄平石?」などで立派な筑波山の風景が描かれていた。

ひとこと | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/07 12:23

あれから10年

 東日本大震災から10年。
あれだけの大被害をもたらした大地震と津波、それに原子力発電所の爆発。
多くの避難民が未だに故郷に戻れない。
忘れてはいけないと何時も心に言い聞かせている。

震災の前に脚本家の白井啓治(ひろじ)氏が書いた詩を思い浮かべている。

 【汝(な)は愛(いと)しきもの】 白井啓治 作詞

 名もない花はありません
 あなたが知らないだけなのです
 名もない花の可愛さを
 私が知らないだけなのです
 側溝にしがみついて咲く小花
 名は何とたずぬるも 応えの見えず

 名もなき草はありません
 あなたが知らないだけなのです
 名もなき草のささやきを
 私が聞けないだけなのです
 大地に雑草という名の草はなく
 気付かれず 踏みつけられて声忘れ

 名もなきものはありません
 あなたが知らないだけなのです
 名もなきもののいとしさを
 私が知らないだけなのです 

 作 詞 : 白井啓治
 作 曲 : 野口喜広
 オカリナ演奏・歌:  野口 喜広

 歌は ⇒ こちら

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(ホトケノザ)

震災関連 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/08 12:30

水雲問答(1) はじめに

 江戸時代の後期に平戸藩主であった松浦清(まつらきよし)公が隠居後松浦静山(まつらせいざん)と号し、20年間休むことなく書き連ねた随筆(ブログ)がある。
「甲子夜話(かっしやわ)」と題されるその記事の数は実に7000ほどにもなるという。
それを話の語り手の題材としてひも解き、フェースブックに投稿してくれているfbfの労力に啓発され、それを本FC2ブログの裏メニューとして、記事を転載させていただいている。

 「甲子夜話のお稽古」 ⇒ こちら

その中で、「水雲問答」という記事がなかなか面白い。今の政治にも見落とされている点が多く書かれている。
(まだブログやFBには投稿されていません。今は自分の参考までにまとめて見ました)

  雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
  水:墨水漁翁・林 述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖

 まだ若き上州安中の藩主である板倉綽山(雲)は、若いながら学識も豊かで、勉強熱心な学者風の藩主であった。
その板倉綽山(雲)が師と仰いで意見を求めたのが、林述斎(水)で、江戸幕府の大学頭に抜擢され、その後の江戸末期に活躍する多くの賢人を育てる礎を築いた儒学者である。
年齢は師・林述斎(水)の方が17歳ほど上だ。また、この問答やりとり書簡に興味を持ったのが、松浦静山公で、年は林述斎よりさらに8歳ほど上である。

安中藩主の雲:板倉綽山はなかなか学問に熱心で優秀な若い藩主であったようですが、残念な事に35歳くらいで早死にしています。そのため、この問答も最終的には未完となってしまいました。

一方の水:林述斎はこの甲子夜話にはたびたび「林いわく」などとして登場する幕府の大学頭です。静山公とはかなり頻繁に親しくしていたようです。

これから、この水雲問答を筆者の拙い訳を加えて紹介していきます。
内容的には同じようなことが所々に出てきますので、全部を終えてから整理できれば手を加えたいと思います。


水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/08 15:00

久しぶりに茨城空港へ

 コロナ渦で茨城空港も全便が休止しておりましたが、3月より一部運行開始され、先日より全便が運行再開となりました。

妻が、2月末に羽田から伊丹経由で神戸の娘の所に手伝いに行っていてしばらく家にいなかったのですが、昨晩神戸から茨城空港に帰ってきました。
孫と楽しんだようでもありますが、元気に戻ってやはりこのような時ですのでほっとしました。

ただ、神戸からは朝早い便と夜の便しかありません。
夜の便は19時5分発で、20時10分着です。

またこの20時になると茨城空港のほとんどの店や出発便もなくなり、空港カウンタも閉ってしまいます。
この20時過ぎに、神戸からの便と福岡からの便が相次いで到着します。

レンタカーカウンタも予約の客などがあればいているようですが、おおむね20時で閉ってしまいます。
いかにもローカル空港という感じですね。

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デッキに出てみると、空港の明るさは一部で、見上げると星空が広がっています。

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到着の滑走路には誘導灯がきれいに並んでいました。
空港建設当時しばらくは、自衛隊の基地方面(左側)に見えないように遮蔽ガラスを使っていましたが、今はそれもなくなり見渡すこともできます。

昼間はよく戦闘機がここからスクランブルで飛び立ちます。
超音速は早いけどその下への爆音がすごいので、真下の住民はいつも悩まされ続けています。

行方のほうのお寺などへもよくいっていましたが、時々このコース下にいると、会話もできないくらいな騒音が響きます。
上を見上げても戦闘機の姿は見えないことがほとんどです。

さて、到着まで少し暇だったので、1Fの中国向けのカウンター前を今は空いているので展示ブースに使っていますが、ここで写真展が開かれていました。
「ありがとう学校写真展」とあります。

今は統合されたりして廃校となった小美玉市の小、中学校の思い出の写真が飾られていました。

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玉里北小学校

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玉里東小学校

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橘小学校

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小川小学校

その他、玉里小学校、玉里中学校などがありました。

玉里村が多くを占めていました。
また、「玉里」の名前の由来がまとめられていました。

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田余(たあまり)村+玉川村=玉里村 ですね。

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空港のエスカレーター上には、年末にこの場所でチョークアート展を開いていたRIKAさんの大きな作品が飾られていました。
小美玉の宣伝でもありますね。




茨城空港 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/12 10:27

もう春ですね。

 まだ車は冬用タイヤをつけていますが、もうノーマルでよさそうです。
今年の冬は雪が殆んど降らないで終わりそうです。

桜ももう少しでこの辺りも咲きそうです。
早咲きの桜はもう満開でしょうか?

あまり出かけないので、季節の移り変わりがピンとこないで、知らぬ間に過ぎていこうとしています。

今年になったばかりなのにもう三月半ば。

庭には色とりどりの水仙やヒヤシンスなど花が咲き始めました。
いかにも春ですね。

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近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/12 11:50

水雲問答(2) 経国の術と権略

水雲問答の2回目です。

これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

今回からは甲子夜話の本の抜粋を友達からお送りいただいたので、その記述の順に書いていこうと思います。

甲子夜話 巻39 <1>

 安中侯板倉伊与守は年少傑出の資なりき。勤学も頗(すこぶ)る刻苦せしが、不幸にして疾を得て早世しぬ。頃(このごろ)その遺せる一冊を獲て懐旧に堪(たへ)ず、且一時の問答と雖ども実学の工夫を助くべし。因て予が『叢薈冊子』の中に攙入(ざんにゅう)す。白雲山人は侯の匿名なり。墨水漁翁は林子の匿名。

安中藩主の雲:板倉綽山はなかなか学問に熱心で優秀な若い藩主であったようです。しかし35歳くらいで早死にしています。
一方の水:林述斎はこの甲子夜話にはたびたび「林いわく」などとして登場する幕府の大学頭です。

水雲問答2

水雲問答(2) 経国の術と権略

雲:
 経国の術は、権略も時として無くばかなはざることに存候。余り純粋に過ぎ候ては、人心服さぬこともこれ有る様に存ぜられ候。去りとても権略ばかりにても正を失ひ申すべく候間、権略を以て正に帰する工夫、今日の上にては肝要かと存候。

(訳)
国をおさめるには、権略(その場に応じた策略)も時としては必要でしょう。
余り純粋に過ぎると、人心が服さないこともあるように思われます。
とは言っても、権略ばかりでは正を失ってしまい、本来の意図することを見失ってしまいます。
そのため権略をもって正に帰する工夫が、今日の上(幕府)には大切だと思います。


水:
 権は人事の欠くべからざることにして、経と対言仕(つかまつり)候。
秤の分銅をあちらこちらと、丁ど軽重に叶ひ候処にすゑ候より字義をとり候ことにて、固(もと)より正しきことに候。
仰せ聞けられ候所は、謀士の権変にして、道の権には非ず候。程子の権を説き候こと、『近思録』にも抄出これ有り、とくと御玩味候様存(ぞんじ)候。

(訳)
権(力)は人事において欠くことのできないもので、経(営)とは対の言葉です。
漢字の権という字は天秤(はかり)の分銅のことで、これをあちらこちらと動かして丁度良い所にあわせるということ(字義)から生れた言葉ですから、もとより正しいことです。
しかし、貴方のおっしゃっている権略は、謀士(策士)の権変であって、道の権ではありません。
程子(ていし:中国の儒学者、程伊川)が権を説いた書(程伊川が朱長文に答えた書)があり、『近思録』にも抄出(抜き書き)がされておりますので、とくと御玩味(熟読)されたらよろしいかと思われます。

 
<ポイント>
 ここに、権の持つ意味をよく理解して、人はいかにあるべきかをよく心得て権略をなすことがきわめて大切だと説いています。
権は天秤の分銅であり、政治も圧力団体の陳情などに惑わされず、自分の分銅が常にぴたっと止まる心の位置を守っていれば間違える事はないというのです。

裁判所や弁護士バッチにも使われている天秤の図はよく目にするものですが、この「権」の持つ本来の意味(天秤の分銅)を理解したいものです。

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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/14 08:15

水雲問答(3) 治国の術と人心

これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答3

水雲問答(3) 治国の術と人心

雲:
 治国の術は人心を服し候こと急務と存候。人心服さねば良法美意も行はれ申さず。
施し寛に非ざれば人心服し申さぬなり。人心服し候肝要の御論伺ひたく候。
英明の主、とかく人心服さぬ者と。いかがのことに候や伺ひたく候。

(訳)
治国の術は人心を服させることが急務と思います。
人心が服さなければいくら良い法を作って、美しい気持で政治をやっても、それがきちんと行われません。
そのため人民に施すことやまた寛大に対処しなければ人心は服しません。
どうすれば人心が服するようになるのか、肝要のお考えをお伺いいたしたい。
また、世に優れた英明の主に、とかく人心が服さぬ者が多いといわれておりますが、これはどうしてなのかお伺いいたしたく思います。

水:
 施に過ぐることは濫賞(らんしょう)の幣あり。寛に過ぐるときは又縦弛(しょうし)の幣これ有り候。是れ等を以て人心を得候は、最も末なる者に候。我が徳義おのづから人を蒸化候処之れ有り候へば、人心は服し候者と存候。英明の主に人の服し申さぬは、権略にかたより候より、人祖(そ)の為(す)る所を詐欺かと思ひ候ゆゑに候。蕩然(とうぜん)たる徳意・内にみちて外に顕はるる時、あるもの誰か服せずして有るべきや。施もすさまじきには非ず。人君の吝(りん)なるは至っての失徳に候。寛も捨つべからず。苛酷納瑣(のうさ)の君は下堪へ難きものに候。

(訳)
人民に施(ほどこ)しが過ぎますと、賞をみだりに乱発する弊害となり、また寛容に過ぎますと、規律が弛(ゆる)むという弊害があります。
そのため、施しや寛容などをもって人心を得ようとするのは、最も末なる者です。
自分に備わった徳義がおのずから人を蒸化(心服)させるところがあれば、自然に人心は服するものです。
英明の主に人が服さないのは、頭が良いのでどうも手段・手法などの権略に片寄ってしまいがちです。そのため、人々はそのする所が人々を騙す詐欺ではないかと疑いをいだき、信用しません。
自分に備わった大きなスケールを伴った徳が満ちて、それが外にも現れた人物には、誰もが服するものです。
施しも度が過ぎるのはダメですが、ある程度は必要で、人君(君主)がケチであると徳を失います。
また寛容も必要ですが、あまり小さなことまで立ち入ってしまいます下々の者は堪えられないものです。


(コメント)
 当時の体制化での人心を服させる方法であり、今の政治とは少し比べられないところがありますが、施しや寛容もケチだと思われない程度には必要だけれど、あまり重箱の隅をつつくような小さなことまではしてはだめだという。
また、あまり頭の切れる上司などは、警戒されて部下から真に慕われているものが少ないようです。
ここでのポイントは、徳がその人の外に自然と現れるときに、人は従うということでしょうか。

水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/14 17:53

水雲問答(4) 武の備え

これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答4

水雲問答(4) 武の備え

<雲>季世に至りて武の備(そなへ)怠らざる仕法は何(い)かが仕(つかまつ)るべきや。甚(はなはだ)むづかしきやに存(そんじ)候。

(訳)
 戦乱の世から時代が経ち、末の世になりますと、武の備えを怠らないようにする方法はどうあるべきでしょうか。
この方法はかなり難しいと思います。

<水>太平に武を備(そなふ)るは何(いか)にも難(むづかしき)ことに候。愚意には真理を暫くおき、まず形より入り候(そうろう)方が近道と存(ぞんじ)候。まず武具の用意をあつくして、何(い)つにても間に合ひ候ように仕(つかまつる)。
そのわけは火事羽織を物好にて製し候時は、火事を待(まち)て出たき心に成候が人情に候。武具備れば、ひと働き致したく思ふも自然の情と存候。
さて武伎も今様通りにては参らず候。弓鉄は生物猟を専(もっぱら)とし、馬は遠馬、打毬(ポロ)などよろしく、刀槍は五間七間の稽古場にて息のきれそ候類(たぐい)、何の用にも立ち申さぬ候。
広芝原などにて革刀の長仕合、入身(いりみ)など息合(いきあい)を丈夫に致し候こと専要と存じ候。是等(これら)より漸々(ようよう)と実理に導き候外(ほか)は、治世武備の実用ととのひ申すまじくと存候。

(訳)
 太平の世に武を備えるのは、いかにも難しきことと思います。これに対する私の真理の回答はしばらくおき、まず形より入る方が近道と考えます。
まず武具の用意を十分にして、何時でも間に合うようにすることです。 そのわけは火事羽織を物好きで製作しますと、火事が起こったときに活躍するのを待つような心になるのが人情でしょう。 このように武具が備わると、ひと働きしたくなるのも自然の情と思われます。(形が整えば、気持も一働きしたいと思うようになるものです。)
ただ、武伎(武術)については、今までのままで良いとは言えないでしょう。
弓鉄は生き物の猟(狩)をするのに専用とし、馬は遠馬(とおのり)や打毬(だきゅう、ポロ:馬術競技)などをするのに使うのが良く、また刀槍は五間七間(9m×13mの広さ)の稽古場では息がきれそうな類(たぐ)いであり、何の用にも立ちません。
広い芝原などで、革刀の長試合をして、入り身(相手の攻撃を外す身の処し方)など息合(気合)の鍛錬をすることをすることが大切です。
このことなどから、漸々(ようよう)と実理に導くこと以外は、今の様な治世において武備の実用を整える必要はないと思います。

(コメント)
入り身は現在「合気道」などでよく使われる言葉です。稽古場で息を切らせて稽古するだけでは、あまり訓練にならないと考えているようです。外に出て、実戦で試合相手との呼吸などを計ることが必要だといっています。



水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/14 18:53

水雲問答(5) 人を知りて委任

これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答5

水雲問答(5) 人を知りて委任

雲:
 徳義の幣は述情に陥り、英明の幣は叢脞(そうざ)に成申候。人君は人を知りて委任して、名実を綜覈(そうかく)して、督責して励すより外、治世の治術は之れ有るまじくと存候。

(訳)
 徳義(人として守るべき道徳上の義務、ここでは過ぎた施し)の弊害は、これに片寄ると情に溺れてだらしがなくなってしまうことであり、これにたいし英明(頭のよい)の弊害はいろいろ事細かくうるさくなってしまうことです。上に立つ人君は、よく人を知って、その人に委任し、名実(名と実体)を照らし合わせて、よく督責(厳しく吟味)して励ますより外に治世の術はないと思います。

水:
 名実綜覈(そうかく)、人を知て委任するの論、誠に余蘊(ようん)なく覚え珍重に存候。

(訳)
 名実をよく照らし合わせ、人を知って、その人に委任するという論は、誠に不足が無く結構な意見であります。


(コメント)
上に立った人は、一人で何でもできると思わずに、部下やその他の人材の名実をよく吟味して、理解し、その上で、その人に委任することは大切ですね。

水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/03/15 10:30
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