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水雲問答(59) 変通を知って正を失はざる者

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答59

水雲問答(59) 変通を知って正を失はざる者

雲:
 秉政(へいせい)の者は申に及ばず、万事に変通を知らぬ者、役に立ち申さず。変通を知て正を失はざる者こそ、了事漢とも申べし。唐の徐文遠の王世充を尊敬致し、李密に驕傲(けうがう)仕候。人その故を承候へば、世充は小人にして賢を侮るが故に敬す。李密は賢を敬することを知(しる)ゆゑ斯(かく)の如しと申候。面白きことに候。ヶ様申せば、余(あまり)俗に申す利口世事者と申様に候へども、各様の手段も処世の上にては無くて協(かなは)ぬ者と存候。然し正を失ひ候ときは、何(いか)にも身を敗(やぶる)媒(なかだち)と存候。

(訳)
 政(まつりごと)を行う者はいうまでもなく、全てのことにわたってその時に応じて物事が変化していくという「変通」を知らない者は、役に立ちません。この変通を知って正しいことを失わない者こそが、本当に心得た人であるというべきでしょう。
唐初期の学者・徐文遠が王世充(おうせいじゅう)を尊敬し、李密(りみつ)は驕傲(きょうごう:おごりたかぶるさま)であるといっております。人がその理由をたずねたところ、王世充は小人で、賢を侮るからであり、李密は賢に敬意を表わす事を知っている故このようになったといっています。面白いことでございます。私から申せば、俗に云われている「利口世事者」(頭が良い世辞の巧みな人)といったところでしょうが、そのような手段も世をわたっていくのには無くてはならないものとおもわれます。しかし、正(正しい道)を失えば、そのときはその身が滅びることに繋がるでしょう。

注:ここの文の解釈は隋末期から唐建国当時の群雄割拠時代をもう少し理解しないといけないようです。とりあえずの訳と語理解ください。

(コメント)
 中国隋は400年続いた中国国内の分裂を統一した王朝であるが、2代目煬帝 (ようだい) の高句麗遠征などの対外膨張策が失敗して国内で豪族たちによるいくつもの反乱が起こった。そして618年(義寧2年)に煬帝が殺害されると、江都、洛陽、長安などでこれらの豪族が後押しした政権が立ち上がった。その中で、長安に拠る李淵が朝廷の禅譲を受け唐が建国された。
同じく禅譲をねらっていた隋朝の有力武将であった王世充(おうせいじゅう)と隋とはあまり仲の良くなかった有力群雄で勢力をかなり広げていた李密(りみつ)は対立たが、、李密は王世充との会戦に敗れ、長安に拠る李淵(唐)のもとに降った。しかし、最後は唐朝への謀反を換言されて殺された。また、王世充は唐とは別に洛陽に鄭(てい)国を樹立したが、最後は唐軍に破れ降伏した。

水:
 至当之説、間然(かんぜん)すべからず。

(訳)
 この説はもっともで、非難すべき点が一つもありません。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/04/03 06:46

水雲問答(60) 大経綸(だいけいりん)

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答60

水雲問答(60)  大経綸(だいけいりん)

雲:
 材学究門戸を争(あらそひ)候は申までもなし。王侯大人、政に臨でも門戸の気味合ままこれ有る哉に存候。寛を専(もっぱら)と致し候人は厳を知らず。厳家も亦然り。大小万事一様に致したがり申候は、俗人の情に候。故に大経綸は迚(とて)も出来申さず候。夫(それ)故に大任に当り申候人は、諸事万事残らず我胸中に引受け、才は才にて引立て遣はし、徳は徳にて引立て、勇は勇にて引立て遣はし候はねば、大事業は成がたく候。我一己の智にては、一方の事は出来申ても、八方の事はなし得申さず候。一方に当る才智の人は随分出申すべき、八方に当りて大経綸を致し候者は間気と存申候。韓(かん)魏(ぎ)公経綸を以て人に許さず候は、深意味と存候。

(訳) 材=才
 学問や才能を磨き追い求める人達はいつも門戸(学閥)を作って争うことは言うまでもありません。王侯大人(おうこうたいじん=王侯将相 おうこうしょうそう・・・高貴な身分は、才能や努力などできまり、家柄や血統ではないということ)でも、政(まつりごと)を行う場合にも派閥があることはよくある事です。寛容を主に行うと、人は厳しさを知りません。また逆に厳しくすることを主とすれば、寛容が忘れがちになります。大小の事や物事万事について一律に型にはめて行おうとするのが、俗人の情です。よってこれでは、大経綸(国の秩序を整え治めること)はとてもできません。それゆえ、大任を行う場合においては、一切合切をすべて自分の胸中に引き受けて、才のある者には才を、徳のある者には徳を、また勇気のある者にはその勇気を引き立てて十分に能力を発揮させるようにしなければ(適材適所)、大事業は成し遂げられません。自分ひとりの智力だけでは、一方向の事はできても、八方のことは到底出来るものではありません。一つの事を行う才智を持った人材は大勢います。ただ、八方全てにわたってうまく物事をこなせる人間は殆んど降りません。
韓魏公(かんぎこう:韓琦かんき)は、学問もあり、人材を愛して使ったとされていますが、この韓琦でさえ、「人材を愛して用いてきたが、完全な人物はなかなかいない。だからある所に秀でた人物を使うことで満足しなければならない。しかし本当はどこにつぃかっても安心して任せられる人物がほしいものだ。といったその言葉は、非常に深い意味があります。


水:
 この御論大経綸の深意を尽されて、八音を合せて楽は成り、五味を合せて味は成り申候。何事も一様に致候ほど小き者は之無く候。今の世にてこの意を解し、其の作用候は、彼の海畔(かいはん)の一老翁の外には有るまじくと存候。

(訳)
 このご意見は、大経綸(国の秩序を整え、治めること)の深い意味を尽されており大変結構です。音楽は八音(金・石・糸・竹・匏(ほう)・土・革・木)がちょうどうまく調和して奏でられ、料理の味も五味(甘・辛・苦・酸・鹹(かん))がうまく合わさって丁度良い味になります。何事も一様・一律に片つけてしまう者ほどつまらないちっぽけな人間はないでしょう。今の世の中で、この意見を理解し、それを実行できるのは、かの海畔の一老翁(松浦静山公のこと)置いて他には居らぬと思います。

注:ここに甲子夜話の作者「松浦静山公」がでてきます。
  やはり当時この2人とも親交があり、静山公は、人物として、とても信頼されていたことがわかります。



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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/04/03 09:36

水雲問答(61) 英豪の所為と君子

  これは江戸時代の(長崎)平戸藩の藩主であった松浦静山公が晩年の20年間に毎日書き残した随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に書かれている2人の手紙による問答集を理解しようとする試みです。

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答61

水雲問答(61) 英豪の所為と君子

雲:
喜怒哀楽は人情候へども、その時に随ひて動(うごき)申候は小量と存候。英豪は悲愴(ひそう)惨愁(さんしゅう)の中に処して、かつてことともせず、又富貴に居(をる)にも嘗(かつ)て驕忲(きょうたい)の態(てい)なし。我が分を楽(たのしみ)てことをなし申候まま、禍を福となし、敗に因りて勝を握(にぎる)の手段あり。英豪は無事にこまり申す者に候。悪事にてもあれば、それに因て一大事をなし出し申候者に候。素して行うは貧賎(ひんせん)、富貴、夷狄(いてき)、艱難(かんなん)も自得仕候こそ、君子たる故と存候。

(訳)
 喜怒哀楽は(自然な)人情ですが、その喜怒哀楽の時に随って、ただ行動するのでは器量が小さいといえましょう。一方、英雄豪傑といわれる者は、悲壮な、また惨めな出来事の中にあっても動揺することなく、また富貴の地位にいても少しも傲(おご)り驕(たかぶ)る態度がなく、持って生まれた自分の分(器量を)楽しんで事を行いますので、禍を転じて福となし、失敗してもそれによって逆に勝利をつかむ手段を心得ております。ところが、この英雄豪傑というものは、世の中が太平無事の時には、何もすることがなく困るといった者で、何か悪いことでも起これば、それによって大仕事をする者といえましょう。
それに対して君子は「その地位に素して行い(地位に合せた行いをする):『中庸』」、貧しければ貧しいなりに、金持ちなら金持ちなりに、病人なら病人なりに、夷狄(いてき)、艱難(かんなん)などどのような境遇でも、それに応じて自身が納得した生き方をします。これが君子といえる所以だと思います。


水:
 英豪の所為、大に人意を快(こころよく)すと雖(いえど)も、弊も亦(ま)た多し。帰宿の処は君子は、易(い)に居て命(めい)を俟(ま)つの外之れ無く、故に聖人の千語万語、英豪のする所を以て教(をしへ)とせず、其の意甚だ深し。然(しか)れども聖経賢伝を死看(しかん)して活看(かつかん)せざる者は、気息奄々(えんえん)死人の如き君子となり候。弊も云うべく候。これらの工夫、畢竟(ひっきょう)其人にあるのみと存候。

(訳)
 英雄豪傑の仕業は大いに人の心を痛快にしますが、弊害もまた多いものです。究極のところ(『中庸』に)「君子は、平易なところに居て、天命をまつ以外にない」とあるように、ゆえに聖人のすべての言葉、英雄豪傑のように特例をもって教えとはしませんが、その意(こころ)は大変深いところがあります。しかしながら、聖賢の経書や伝記を古臭いものとして勉強しない者は、息絶え絶えの死人のような君子になってしまいます。そういうのは弊害とも言えます。これらの工夫(心がけ)は、畢竟(ひっきょう:究極、とどのつまり)のところその人自身の問題であります。


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水雲問答 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/04/03 15:50
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