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甲子夜話の面白き世界(第7話) 亀の話し

甲子夜話の世界第7話

前回の河童には亀に似た図も載っていた。
そこで今回は「亀」特に毛の生えた亀の記事を中心に紹介していこう。

<甲子夜話の面白き世界(第7話)亀の話し>

《1》 毛のある亀の話し

鶴亀の図にある亀の図は亀の尾が蓑の様なことが多い。

これは絵描きの創作かというと、どうでもそうでもないようだ。
昨春、江戸に居る時、織田雲州(丹波柏原の主2万石)が次のような話をした。
 わしが江戸に上がる時に遠州金谷に泊まった。
その夕刻、宿を出て、近辺を歩いた。
山の麓の沢に亀が多くいて、その亀にみな毛が生えていたのだ。
これを捕り瓶に入れて、江戸屋敷に連れ帰ると、亀はみな元気であった。
そこで、雲州に見てくれないかと請い、1匹贈ると、その場で即座にその姿を写した。

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「本草」に緑毛亀とあるのもなるほどと思う。
毛は青色である。また世の中に出回っている絵は左の絵のように毛を甲羅の下より描く。
しかし、今見ているものは、右側の画のように背面よりみな生えている。
世に出回っている絵とは似ていない(寛政5年に記す)。

巻之42 〔13〕  ← クリック 元記事

《2》 毛の生ずる亀の話し

 (平戸)藩士鮎川某が、若い時に領海生月嶋(いきつきしま)の沖で釣りをしていた。
朝日が登る頃、乗っていた舟の向い5,60間(約100m)のあたりに大亀が浮かんできた。
見ていると沈んだり、浮かんだりを繰り返している。
 その大きさは甲の径り4,5畳ほどで、背の甲の文は鮮明で絵のようだ。
そして尾には毛があって赤色をしている。
日光を受けて、海水に映じてその色はいよいよ美しい。
亀の首は見分けられないと人に語ったという。

 『本草啓蒙』には、「海亀は海中で産する大亀である。小物は2,3尺、大者は丈(1丈で3㍍)余り。甲は水亀と同じく六角の文が13ある」と書かれている。
 これら甲の径り4,5帖あまり、背の文は鮮明と云うのよく符合する。
また尾は、同書の「緑毛亀」の条に、本邦にも3,5寸ばかりの大きさは、池沢の流水の中に、一般の(よく見かける)亀と群れて泳いでいる。形は水亀と異ならないとある。
 ただ甲に黄斑があって3寸ばかりの長さの細い緑の毛が多く生じて、水中を行くときは甲の後ろに靡(なび)いて尾のようだ。
今島台に飾る多毛の尾がある亀はこの状態を像(かたど)っている。
実に尾に多毛の亀であるわけではない。

 海中にもまた緑毛の亀がいると見える。
然らば前に聞いたものは海中の緑毛亀だろうか。
但し赤毛と云えば、緑色ではない。
今画者の描いた彩色なのは、亀の尾毛のあるものはみな、赭(あか)毛で、金色の線が混じる。 
ならばこの着色もそのあかしなのか。

 俗間で、蓬萊山を亀が背負う所を画くものはみなこれである。
唐土(中国)の緑毛亀は小さいものと見える。
前42巻に出した、織田雲州が語った亀、わしは目撃した毛亀は、甲背にみな緑毛があった。
ただし赭色(しゃくしょく:赤土色)や金線があることはない。
 『本綱』に記載されているのは、
「緑毛亀、今惟(思う)に(中国)勸州方物を以て、養い、商いをする者は、渓谷などで自ら採集している。水瓶の中で畜う」という。
 魚や鰕(えび)をえさとし、冬になって水を除くと毛を生じ、その長さ4,5寸である。
毛の中に金線が混じっている。
 その大きさは大5銖銭(ごしゅせん:古代の中国の鋳造銭)くらいである。
他の亀も長く飼えば毛を生ずるが、金線は無い。
 『和漢三才図会』を調べてみると、大抵画かれている亀は、みな長い尾があり、緑毛の亀のようである。
しかれども本朝にては稀有なものである。
ただ久し飼えば毛が生ずるというものでもない。
普通の水亀も、冬は泥の中にいて、春に出てくる時は、甲の上に藻や苔を被っている。
青緑色にして、毛のように見える。これを捕え、数回撫でてもこれが脱することはない。
しかし数ヶ月もすれば毛は落ちてしまう」とある。

 しかしわしが目撃したものは、中々毛が脱するような体ではなかった。
また以上の諸説をまじえて考えると、海中に赤毛の亀がいないというものではない。
思うに画家に伝わる蓬山を負う亀は、おそらく赤毛の海亀になったのだろう。

巻之88 〔7〕  ← クリック 元記事

《3》 いろいろな色の毛の亀の話し

 平戸に野々村某と云う士があった。
かつて月夜に海中に釣りに出かけ、一物を釣り上げて見るとそれは亀だった。
甲の幅は4寸ばかりで、尾に毛があり、長さは6寸をこえる。いわゆる緑毛亀である。
口は殊に広く、鈎(つりばり)を銜(くわ)えて口を開く口内は紅色で火が燃えるようであった。
奇異からだと、釣り糸を外して、亀を海に投げたと云う。

 また近臣篠崎某も、平戸城下黒子嶋辺りの海面で見た亀は、その頭は馬の首の大きさで、頷(あご)下は紅色で美観であったという。また甲背は見えなかった。
海中に没したとき、亀の尻の部分がみえたので、尾の毛はあったと思う。そして毛の色は赤土色であったと。

また先年藩士が領海生月嶋の辺りで見た大亀も、尾の毛があって赤色だったと。
『本綱』の海亀に大小あると云うのは、これらも類か。

 また吾が中の者が、船で淡路を経たとき海中から亀が頭を出したのに遭遇したが、大きな猫の首のようで、これも甲は見なかった。ただ、海中に没するとき尻を露わすと毛があった。蓑のようにして、長からず、灰色だったと。
これまた別種か。

三篇 巻之1 〔9〕  ← クリック 元記事

《4》 ぜにがめの話し

わしの幼児(息子、肥州)が、亀の卵を持ってきた。
見ると白色で鳩の卵の様だった。
四五日して殻を割って亀が生まれた。
大きさは銭の様だった。
その腹の甲に三四寸の臍帯(ヘソノオ)がある。
色白で細い縄の様。日を経て落ちた。
虫介類も卵の中に胞(エナ)があって産後に臍帯があるのが奇である。
『本草啓蒙』にある。水亀は春に陸に出て、沙土を掘ること六寸ばかり。
卵をその中に生じて土をかける。
八月中旬に至り孵化する。
大きさは銭の様。
これを「ぜにがめ」と云う。
薬用の亀甲は腹版である」と見える。
幼児が得たのも、八月中旬のことである。臍帯は腹版甲文の際より生じている。
林が云った。
佐野肥州〈大目付〉の庭に小池があって、年々に亀雛(本文ママ、亀の子ども)を生じる。
その卵をなして土をかぶせてから孵化に至る日数は、必ず七十二日である。
しばしば試みるが違わずと云うこと。
七十二の数は、あたかも真理に叶う。
肥州は知らずに試みて、暗にその数に合致する。
もっとも奇である。

続篇 巻之31 〔2〕 篇 巻之1 〔9〕  ← クリック 元記事

《5》 亀などの卵が孵る日数の話し

林翁が話したこと。
時鳥(とき)は自ら巣をつくることなく、鶯の巣に卵を産し、鶯に暖めさせて雛になるのはよく知られている。
この頃聞いたが、鷺(さぎ)もその様に巣を持たず、鵜の巣に卵を産んで鵜に返さすという。
これは初耳だった。
又話す。
久留米候の高輪の別荘に招かれて行ったが、その園に丹頂鶴が卵を暖めていた。
去年孵った(かえった)ヒナもいた。
そこの人に聞いたが、年々1組ずつ雛が孵るのだと。
日数はどの位かかるのかと問うと、36日目には必ず孵るのだと云う。
また先年、ある人が園地で亀を養っていた。
年々子を産する。
その親亀の地に穴を掘って卵を産してからおよそ75日で孵り、小亀となっていくのを度々見たと。
ふと鶴の36日孵化を思い起こした。
亀は72日であるべし。地中の事だから、人目につくのに2〜3日は遅れるんじゃないだろうか。
6は老陰の数だから、6✕6=36。これを倍すれば、72だ。自然とこの数に合うこと、奇跡と云うべきだ。
※老陰〜周益では6の倍数。

巻之48 〔8〕  ← クリック 元記事


甲子夜話の面白き世界 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/10/01 05:54

甲子夜話の面白き世界(第8話)蛟(みずち)の話し

甲子夜話の世界第8話

<甲子夜話の面白き世界(第8話)蛟(みずち)の話し>

  蛟(みずち)

わしの小臣の某がある夜に小舟に乗って海釣りをしていた。
その時に月が白く輝き、風は清らかだった。

そして、白岳の方を臨むと、山頂より雲が一帯生じていた。
その雲は白色で綿々していた。
その綿のような雲は、だんだん広がってきて、遂には天を半分覆うようになり、まるで茶碗の様であった。

そして、その傍には、また白く鱗々とした雲が生じてきた。
すると、また急に黒雲が出てきて、次第に広がり、東北に行き渡り、暴雨が降って来て浪もまた湧かんばかりの様子だった。

少し時が経ち、空は晴れた。
このとき、雨は山の東北のみに降って、西南には降らなかったという。

わしは思うにこれは蛟(みずち)のしわざだと思う。
蛟は世にいう雨竜と呼ぶもので、山腹の土中に居るものであるという。

『荒政輯(シュウ)要』にその害の除き方が載っている。
また世に「ほうらぬけ」と云って、処々の山半分がにわかに振動して雷雨誨冥(らいうかいめい:雷と雨が起こり暗闇となる)にしてそこから何かが飛び出すものがあった。

これを「ほうら」が土中に居る様だと云うが、誰もこれを正しく見た者はいない。
これはまた、蛟が地中から出たものと云う。

淇園(皆川淇園、みなかわきえん:江戸時代の儒学者、1735〜1807)先生はかつて話されたことがあるが、ある士人の所にいてたまたま目にした事だという。
「1日その庭を見ていると竹垣の小口から白い気が生じて繊々として糸の様である。
見るうちに1丈ばかり立ち上り、遂にひとかたまりの小丸の様になった。
またとび石の処を見ると、その平石の上が3、4尺ばかりが濡れて雨水の様のようになっていた。

その人は不思議に思い、かの竹垣の小口を窺い見ると、(白い)気が生じた竹中に蜥蜴(とかげ)がいたという。
この蟲は長身4足で蛟の類だという。

するとこの属(蛟)はみな雨を起こすものであるというのもうなずけよう。

巻之26 〔5〕  ← クリック 元記事

甲子夜話に出てくる「蛟(みずち)」の話は今のところこれ1件だけである。
ただ、「みずち」の「みず」は水で、「ち」はヤマタノオロチなどの「ち」と解釈もされており、水辺にいる蛇族の一種とも考えられる。
一般に、関東以北では「みずち」という妖怪めいた謎の生き物は蛇のような姿で捉えられる場合が多いと思う。
また、東北地方になると「ミズチ」は河童などを含めた水辺の不思議な生き物全体に使われ、これがアイヌに伝わると「ミントゥチ」は本土における「河童」などの水棲の半人半獣の霊的存在の獣一般を指すようになった。

甲子夜話では主な解釈も西日本での当時の「蛟(みずち)」の考え方を書かれていて大変面白い。

茨城県の利根町にはこの 蛟=水神 を祀る「蛟蝄神社(こうもう神社)」がある。

(前に書いた記事 参考:<日本語と縄文語(29) 九州地方の地名>

甲子夜話の面白き世界 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/10/02 10:18

甲子夜話の面白き世界(第9話)狐にまつわる話(1)狐つき

甲子夜話の世界第9話


(今までの「甲子夜話の面白き世界」の第1話からは ⇒ こちら から読めます)

 今回からは「狐」です。その最初は「狐つき」についてです。
狐は古来から男や女に化けて、人をだましたり、人に取り付いたりするようです。
ここには甲子夜話からそんな話を集めてみました。

《1》 狐つき

ある者に狐がついた。
医薬は勿論、僧巫(そうふ)の祈祷でも離れなかった。

やん方なくある博徒がいて、狐を落とそうではないかと云う。
それで、頼んだ。

博徒は、鮪(まぐろ)の肉をすり身にして当の者の総身に塗り、屋柱に縛り付けた。
そうして、そこに畜犬を連れて来ると、犬は喜んで満身を舐めた。
その者は大いに恐怖を感じ震えながら叫び声を上げた。

やがて狐も落ちたとのこと。

巻之12 〔25〕  ← クリック 元記事

《2》 聾者に狐つき

わしの身内に茶道をする老婆がいる。
年七十余りで気持ちの安定が尋常ではない。
どうも狐つきらしいと思われ、よく未来を云い、また過去を説いては違わない。

ややもすれば、ここにいると害に遭うと云っている。
人がその側を離れれば、逃げ出そうとする。
家の者はこれを憂いて祈祷者に占わせた。

ガマの目の法を施せば、この妖魔は去ると云う。
わしはすぐに聞いた。
「どうしてガマの目の法を行うと去るのか。早く邸中の年少の者に、かの家にいって指矢を射させるのだ。そうしたら、妖狐は即去るだろう」。

未だかつてこんなことはなかったが、老婆が云う。
「日を置かず、ガマの目の法を行って下さい。そうすれば、速やかに去るでしょう。やらないと死んでしまいます」。
これで老婆は正常に回復した。奇跡だ。

この老婆は、もともと聾(ろう)だったと聞いたが、狐つきの間はよく人の話が聞くことができ、またいろいろ事を細かく話すことができた。
しかし、狐は去り元の聾(ろう)に戻った。
これもまた奇跡である。

続編 巻70 〔11〕  ← クリック 元記事

《3》 浮田秀家女についた妖狐(1)

『雑談集』にある話。
浮田中納言秀家は備前一ヶ国の大主である。
ゆえあってひとり娘に妖狐がついた。
種々の術を尽くせど出ていかない。

それで秀家も心気鬱になり、出仕もやめざるを得なかった。
秀吉はこれを聞き召され、かの娘を城へ召して、狐に速やかに退散する様命じた。

狐は退くという時に次の様に云った。
「私は車裂きの刑に逢うとも退くものかと思いました。しかし、秀吉さまの命にそむくならば、諸大名に令して、西国及び四国の狐までを狩り平らげよとの御心中と察しましたので、今退きます。私の為に多くの狐の命を亡くす事は、如何ともしがたい。だから涙泣きをしつつ立ち去ります」。

翌日、秀家は謝礼として登城して、その始末を言った。
秀吉は頷いて微笑んだという事(『余録』)。

巻22 〔19〕  ← クリック 元記事

《4》 浮田秀家女についた妖狐(2)

巻之ニ十ニに浮田秀家の娘に狐がついて離れ去らないのを秀吉公の命でたちまち去った話があった。
また同じ冊の後ろの段に、芸州宮嶋には狐の害がないと云っている。

この頃、太閤の令と云うものを行智に聞いた。
先年、それを見て暗記したと云うのだ。すると浮田の事はこれであろうかと思った。

『その方が支配する野干(やかん、野獣)は、秀吉の召使いの女房に取り付いた為に悩ませている。
何のつもりがあってその仇をなすのか。
その子細は無きものとして、早々に(取り付いた者の体から)引き取られたし。
もし引く時期が延びるとすれば、日本国中に狐狩りを申し付ける。
猶(なお)、委細は吉田神社に(ことごとく)口状申し含む。  
       
              秀吉          
月  日
      稲荷大明神殿え』。

巻96 〔17〕  ← クリック 元記事

《5》 安芸の宮嶋には狐つきなし

 安芸の宮嶋には狐つきがある事がない。
また他所の人が、狐につかれた者をこの嶋につれて来ると必ず落ちる。 

 また狐つきの人をかの社頭の鳥居の中にひいて入れると、苦悶大叫して狐がそく落ちると。
 神霊はこの如くである。

 近頃わしの小臣がこれは実説だったと云う。
これに依ると昔浮田の女(むすめ)が、あばれる狐がおちないので、太閤が西国四国の狐狩りをしようと云ったかどうかは疑わしい。備前宮嶋からの距離はそう遠くはないではないか。

 秀家が鼻の前の神験を知らずに、愁い鬱々した日を重ねたというのは、いぶかしい。

巻22 〔29〕  ← クリック 元記事

《6》 蝦夷の狐ばかりは人を化かす事を知らない

林の話に、そうじて狐は人を化かすのは何れの国も同じ事なのに、蝦夷の狐ばかりは人を化かす事を知らない。
如何なることにて狐の性が変わるのだろうか。

巻47 〔10〕  ← クリック 元記事





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甲子夜話の面白き世界 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/10/03 06:57

久しぶりに晴れ上がって

 昨日(土)は緊急事態宣言が解除となり、台風も無事通り過ぎて、久しぶりの青空でした。
ふるさと”風”の会も身を縮めながら活動してきましたので、やっと気分も晴れました。

そこで、長い事お休みだった公共の施設等(公民館、図書館、観光施設)に8月と9月の会報を配りに昼頃出かけました。

暑いくらいの日差しの中、町中から八郷地区、小町の里、北条と一回りしてきました。

あちらこちらで、コスモスの花が咲き乱れ、市の特産の柿も大分大きくなってきていました。
やはり秋の気配もあり、ススキの穂も風に揺られてキラキラ…その向こうに大きな筑波山を眺めながらのドライブでした。

帰りにかすみがうら市の志筑を通ったので、五百羅漢の寺「長興寺」を訪ねてみることにしました。
ここの羅漢さんたちの笑顔をまた見たくなったのです。

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柿も色づき、青空が美しい。

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長興寺入口の仁王さまもみな無事。なつかしい。

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この羅漢様たちとも久しぶり。

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どの顔が今回はいいかな・・・
今回はこの笑い顔が気に入りました。

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反対側の斜面には、仲良しの道祖神さんたちがいます。
なにかこのコロナでじっとしていた時期を振り返って、気分もどこかホットします。

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このような道祖神もあまり見かけることが少なくなりました。
いいですよね。

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でもまだ当面は家で自粛も続くのでしょうか?
1年前には今年年末まで続くとは、想像もしていませんでしたね。

石仏たち | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/10/03 14:19

甲子夜話の面白き世界(第10話)狐にまつわる話(2)鳥を化かす狐

甲子夜話の世界第10話

(今までの「甲子夜話の面白き世界」の第1話からは ⇒ こちら から読めます)

 「狐」の2回目は「鳥を化かす狐」についてです。

《1》 狐に化かされる鳥

邸の隣の住人に聞いた話。

ある者が幼い時、上野山下の根岸に住んでいた。
その時山から老狐が出てきて、よく馴れた。
食をあたえると家に入り人の傍で食べた。

狐は人ばかりでなく、鳥類も化かすと知られていたが、ある日鳥が来て樹の小枝にとまった。
するとこの狐はその樹の下をぐるぐる回ると、鳥は飛びさる事が出来なかった。

狐が樹の下にいて頭を揺らすと、鳥も樹の上で頭を揺らしてた。
狐がやる事一切を、その通りにしたのだ。

とするならば、血気あふれて飛び走る類もきっと狐に惑わされたものと見た。

巻之8 〔3〕  ← クリック 元記事

《2》 狐ににらまれた鳬(かも)

この頃また聞くには、下谷妙音寺の池に鳬(かも)が多く集まると云う。
時々狐が出てきては、水岸に鳬がいるのを見ると、その鳬の中の一羽に狙いをつけて、真っ直ぐにその方へ行くと云う。
その鳬は動く事ができず、わざわざ狐に捕らえられると云う。

これまた惑わして、引き寄せるものなのだろう。

巻之21 〔14〕  ← クリック 元記事

甲子夜話の面白き世界 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/10/03 17:39

甲子夜話の面白き世界(第11話)狐にまつわる話(3)稲荷と狐

甲子夜話の世界第11話

(今までの「甲子夜話の面白き世界」の第1話からは ⇒ こちら から読めます)

 「狐」の3回目は「稲荷、八幡社などと狐」についてです。

《1》  『ヤハタ』の森

聞いた話である。

上総下総の国境の道傍に『ヤハタの森』と呼ぶ小森がある。
その裏を看ると向こうへ見通すほどの狭い林である。

しかし、以前より、この裏に入る者は1人としてまた出ることはなかったという。
人は怪場として、「やはた知らず」と云った。
その意味は、人は未だこの林の中を知る者はいないと云う意味である。

また聞いた。
かつて水戸光圀卿がこの辺を行き過ぎようとしたとき、お供の者に、この林の中に入ろうとの言われた。
左右の者は堅くそれを拒んだ。
卿は「何ごとかあるのか」と自身1人で中に入り、出てこられるまですこしの時間がかかった。
従行の人はみな色を失った。
然るに、卿は少ししてから出てこられた。
その顔容はいつもと違っていた。そして曰くに。
「実に怪しき処であった」と、それ以外は何も言わなかった。

こうして、しばらく日数を経てから言うには、
「かつて『ヤハタ』に入ったときは、その中に白髪交じりの狐の翁が居た。
そして曰く。『何たる故にこの処に来られたのか。昔よりここに到る者は生きて帰ることはありませぬ』。
また辺りを見ると、枯れ骨が累積しておった。
狐はそれを指して曰く。『君も還ることはよしとしないが、貴方の賢明さは世に聞こえている。今、ここに留まらず、速く出給われよ。そして再び来給うな』と云って別れたものよ。
このは余りに畏怖があってな、人に語るには及ばず」
と人にの給われた。

ある人また曰く。
「この処は八幡殿義家(八幡太郎・源義家)の陣跡と云い伝わっている」と。
これは『ヤハタ』と称する説だろうか。また果たして真なのか。

三篇 巻之11 〔4〕  ← クリック 元記事

《2》 水戸殿の祠

 水戸殿の小石川邸(現後楽園球場附近)の園中には、伯夷、叔斉の祠がある。
(伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)は、古代中国・殷代末期(紀元前1100年頃)の孤竹国(現在地不明)の王子の兄弟であり、儒教では聖人とされる)

いつの頃からかその像を取り除いて祠八幡とした。
今の中納言殿〔卿〕の祖文公殿〔中納言治保卿〕の時、林子を招かれ、園中翺翔(こうしょう)にある折りから、林子に詩を乞われた。
林子は色を正して云った。
「義公(徳川 光圀公)の高風清節後世に流伝するのは、伯夷を景慕されてのことであろう。
今日その祠を見ると、いつか八幡となってしまった。
真に歎かわしいこと、甚だしい。
あわれ、八幡祠を外に新しく造られ、この旧祠には狐竹2子の像を元のように安置したまえ。
そうあらんときには、この時こそ拙も詩を呈すべく」

と陳説され、文公は大いに感動された。

その後八幡祠は別に成って、狐竹祠は昔に復したとのこと。
林子はいかにも奇男子と云えるだろう。

注:伯夷・叔斉は、孤竹の国の君主の子供であった。おなじ「狐」でも稲荷の狐とは意味が違うということか。

続篇 巻之7 〔7〕  ← クリック 元記事


《3》 王子の稲荷の狐
(王子稲荷は、大晦日に全国の狐が集まり、狐火を灯した行列があるとの民話がある)

ある士が、王子の稲荷(東京北区の王子稲荷神社:東国三十三国稲荷総司)に参詣に出かけた。
山中に至ると、穴の中に狐が伏せて寝ている。
士が「権助、権助」と狐を呼んだ。
狐は驚いて目を覚まし、思った。
「お侍さんは、オイラの事を権助と見るのか」。
狐は化けはせず、そのまま穴を出てきた。
士もまた知らん顔をして狐を連れて通って行った。

帰り道、山下の海老屋に入った。(この辺りには海老屋と扇屋という大きな料理屋があった)
狐は下僕に化け、酒肴を注文した。
そして酒肴が酒の席にズラーと並べられた。
酒もたけなわになったところで、士は厠に行き、そのままそこを去った。
下僕の狐だけが残された。
家人が怪しみ「酒肴のお代は?払ってくれるよな?」と聞いた。
下僕は「お、おいら、わかんないや!」と云った。
主人は怒り、その狐を嘲った。
下僕ははじめて悟り、すぐさま走って山に走って逃げた。
店主はあっけに取られてしまった。

士は戻ってこれを窺い見た。
ただ、この店には入らずに、餅の店に行き、饅頭を買って、再び狐穴に行った。
小狐がいて臥せっていた。
士は狐を呼んだ。
小狐はまた驚いて起き上がった。
士が云った。「おまえ、驚くなよ。饅頭をやるから」。
小狐は喜んだ!喜んだ!
それから牝狐の所に行き、このことを告げた。
牝狐が云った。
「食べないよ。おそらくは馬糞だからね」。

注:狐が化けて人間に饅頭を渡すと、それが馬糞の饅頭だったという民話は各地にたくさんあります。

続編 巻之17 〔1〕  ← クリック 元記事


甲子夜話の面白き世界 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/10/04 04:52

甲子夜話の面白き世界(第12話)狐の話し(4)狐と火事

甲子夜話の世界第12話

(今までの「甲子夜話の面白き世界」の第1話からは ⇒ こちら から読めます)

 「狐」の4回目は「狐と火事」についてです。
昔は狐が火をつけて火事になったなどという話がたくさんあったようです。

《1》 霊妙なる狐

狐は霊妙なる者である。
平戸城下、桜馬場という処の士が屋敷にて狐が火を燃すのを見た。
若い士どもは取囲んで追うと、人々を飛び越えて逃げ去った。
すると物が落ちる音。
これを見ると人骨の様なものがある。
みなが言うには「これは火を燃すものに違いない。
取り置けば、燃すことは出来ない。
持ち帰って屋内においておけば、必ず取りに来るだろう。
その時、生け捕りにしよう」。
示し合わせて、障子を少し開けて狐がやって来るのを待っていた。
果して狐は来て、伺い見るようにして、障子が開いた所から面を入れては出したりを度々繰り返した。
人々は今や入ると構えていると、遂に屋内にかけ入った。
待ち受けていた者は、障子を閉めるが閉まらない。
その間に狐は走り出た。
皆は何が起こったのかと、障子の敷居を見ると、細い竹を溝に入れ置いていた。
それ故、障子が動かず。
いつの間にか、枯れ骨も取り返されてしまった。
さきに伺っていた時に、この細竹を入れ置いたに違いない。

巻之4 〔25〕  ← クリック 元記事

《2》 狐の祟りの話しもまちまち

印宗和尚の話。播州竜門寺との文通によると。
京東本願寺が火事で焼けた時に、尾州名古屋より仮のお堂を京へ送った。
海運の途中、船数艘に積んでいたら、柱積んだ中で大船2艘に船火事が起こり、積材は燃えて尽きてしまった。
人が云うには、これは狐の祟りかと。

また松尾華厳寺の手紙には、本願寺の本堂注文の中、大工の棟梁が心得違いを起こして、柱10本の長さ1間ずつ短く切ってしまった。
大きな木材なので、にわかには取り入れられなかった。
けれども、本堂の建て方を早急に調えることは出来ず、これにより仮のお堂の沙汰に及んだのだと。

前半に仮のお堂の事は本当に起こった事と記したが、人の口はまちまちで何が真実なのか。

巻之51 〔3〕  ← クリック 元記事

《3》 狐のうらない。火事の後に寺地を変える

溜池の嶺南(れいなん)坂は、今の品川東禅寺がかつてあった所である。
その寺の開山を嶺南和尚という。
明暦の大火(1657年3月2日〜3月5日)の後、品川に寺地を下されたが、その名残りで坂を嶺南と呼ぶ。
嶺南和尚はこの火災後、寺地を移すことを決め、移転先を決めようと、この寺開基の檀那伊東候〈日向飫肥五万余石〉と共に海浜を連れ立って歩いていた。
するとそこに、一匹の狐が現れて、嶺南の衣をくわえて引っぱった。
そのため、嶺南は即その地に寺を建てた。
今の東禅寺の由縁である。
この場所は、外門の額海上禅林と面している。

また、この寺の住持(住職)が遷化する(亡くなる)時は必ず狐が現れるという。
吉凶、いかなる兆(きざ)しか。
〈林氏云う。火事の後に寺地を変えることは、昔の定例でおびただしいことであった。
皆、官家の命に出て、私的に地を交換することではなかった〉

巻之70 〔23〕  ← クリック 元記事

《4》 地雷火と狐火

 長岡侯(牧野備前守)在邑のとき、火術を心得た家士どもが地雷火を試そうと、某の野山に仕掛けてやっていた。
来たる幾日にと伺い出たので、侯は許された。
すると、その前夜に1100の狐火が、その山野に満ちてさまざまの形容を為した。
あたかも地雷火がほとばしり走る様にその中に存在感をなしていた。
狐が物事を前もって知るのは、珍しい事ではないながら、火術の真似をするのは最奇聞である。

巻之31 〔4〕  ← クリック 元記事

甲子夜話の面白き世界 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/10/04 18:36

甲子夜話の面白き世界(第13話)狐の話し(5)狐の恩返し等

甲子夜話の世界第13話

(今までの「甲子夜話の面白き世界」の第1話からは ⇒ こちら から読めます)

 「狐」の5回目(最後)は「狐の恩返しなど」についてです。

《1》 忠義の狐の話し

これは昔のこと、物語とも云えるだろう。

羽州秋田に何とかという狐がおり、人に馴れ、またよく走ったという。
そこで秋田侯の内で、書信がある度にその狐の首に手紙をまとわせて江戸までやっていたのだという。
しばしばその素速い獣の力を借りたのだ。

ところが、ある時書信がつかないということがあった。
はなはだ疑い訝った家人がその狐の行方を探し求めると、途中大雪に逢い傷ついたと見えて雪中に埋もれていたという。

巻之1 〔14〕  ← クリック 元記事

《2》 楽を聴く狐

岸本応斎〈輪王寺の坊官〉が話したと伝聞する。
かの坊官の任にある時、上野の本坊で楽があった。
その合奏の際、ふと見ると書院の上段の床の上に狐がいた。
楽を聴いて、歓喜の様子である。
人々は驚き誰彼と呼び立てて、もの騒がしくなったので逃げ去った。
感心して出たものと思われる。

巻之2 〔28〕  ← クリック 元記事

《3》 久昌夫人と野狐

久昌夫人(静山公の御祖母様)は母儀の徳がおありになり、かつ御慈悲深かりしは人もよく知っている。
また今わしが住む別荘は、そのころは樹林も密に生じ、今の稲荷祠の処も幽邃(ゆうすい)であった。
因みに世のいわゆる、稲荷の使いの野狐もこのあたりに住んでいた。

近頃、わしの病中看てくれた妾が、聞いてきた話によると、「夫人(久昌)は如何なる御ことでしょうか。夢のお告げがあって、かの稲荷祠の使い狐に、綿を与えられたそうですよ」。

またその後、稲荷祠に参詣された時、母狐らしいものが、子狐をニ、三を率いて夫人の詣の前に出たという。
それを人が見ていて、子狐がさきに夫人が母狐に与えられた綿を頭にも載せていたというのだ。
何でも夫人の恩徳が鳥獣にも及ぶとは、わしもことごとく聴いたというわけだ。

また夫人は御生前は、この邸におられたので、わしが浅草の邸からこの邸を訪ねると、この時は下女に「狐に食を与えよ」と命じられるのが耳に入った。
わしは「何者ですか」と問い申すと「狐(コン)であるが、よく馴れて縁先に来るのですよ」とお答えになられた。

かたがた前の話と思い出したものだ。

巻之71 〔15〕  ← クリック 元記事

《4》 竹千代君誕生秘話

ある日某氏の邸を訪ねて、談話する中で主人が云った。
今の増山参政の家は、そのはじめは農夫であったが、あるとき里中で小児どもが狐を捉え侮蔑し弄んているところにあった。
とても不憫に思い、その狐をどうするのかと聞くと、すぐに打殺すと答えた。
農夫は憐れみ、その狐をくれと強く求めて、家に帰って狐を放した。
狐はその恩を感じて、その夜農夫の夢に現れ、「大変感謝しております。御恩返しにはお望みのままに」と言った。
農夫は云った。「ならば、わしを将軍にしてくれんか」。
狐は云った。「このことはあなた様の代では叶えられません。けれどもお孫さまならば、必ず将軍になられるでしょう。しかしあなた様は、残念ですが大厄に遭われます」。
農夫は云った。「大厄などとるに足らねぇや。孫の代になったら将軍さまかぁ。なにしろ大きな望みが叶うんだからなぁ」。
ここで夢が覚めた。
ところが農夫は本当に叶うのかとだんだん怪しく思う様になっていった。
月日が経ち、ある日家の近くに鶴が来た。農夫は気づかれぬところから、飛び道具で鶴を殺し、人に売った。
このことが役所の知るところになり、官禁を犯したかどで、死罪に処された。
家宅は没収され、家人はその田里を去った。

その家には娘が二人いたが、この様なわけで暮らしていくために江戸に出ていった。
ある日上野山下の広小路で、地上に蓆(むしろ)を敷き、土偶(土人形)を並べてこれを売っていた。
たまたま、将軍家が東叡(東叡山寛永寺)を御参詣された。
その時、この娘の姿を輿の中から御覧なされた。
御帰輿の後、春日局を召し仰がれ、
「今日東叡山下で土偶を売る娘が二人いて、ことさら美しかった。
早く呼び寄せ、汝の部屋に置くように」。

局は、人を使って娘達を探すと、果たして有った。
局はただちに御城内に連れて入った。
これより月日経ち娘は昇進して、ついには上の幸いを得た。
そして御産に至り、竹千代君を生んだ。これが四代将軍様である。

また主人曰く。春日局は、某の家祖で狐が言うことにもまた真実味があると。

わしは『柳営婦女伝』を閲覧すると、宝樹院殿〈増山侯の祖、かのニ女は農のニ娘である〉の御事蹟とたがわない。
されども小同大異、要するに、狐異(狐の報恩話)は一聞とすべきであろう。

巻之14 〔13〕  ← クリック 元記事

狐にかかわる話もまだいろいろあるようですが、まずはここまで。


甲子夜話の面白き世界 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/10/05 08:31

甲子夜話の面白き世界(第14話)狸の話し

甲子夜話の世界第14話
(今までの「甲子夜話の面白き世界」の第1話からは ⇒ こちら から読めます)

 「狐」につづいては「狸」のお話しをいくつか載せて置きましょう。

《1》 狸を化かして、また化かされた

平戸のある人が語った。
ある者が、ある人の家に行こうと山路を歩いていた。
するとその道の傍の樹の下に狸が一匹ぐっすり眠っていた。
この者は狸を騙してやろうと思い、声を上げて言った。
「小僧!小僧!早う起きよ!わしは持ち物があっから、持ってくれんか!」。
狸は驚いて目覚めて思った。
「これって、小僧だと思っているということは、オイラは狸が化けたのをおじさん知らないのだな」。
それで持ち物を背負い、付いて行った。
出立してから大分経っていたが、目的の家は近かった。
目的の屋敷に着くと、その者は狸の小僧を小径に待たせておいて、その屋敷の中に入り、かの山径での経緯を皆に語り、「どうか決して狸を騙している事を悟られないように、狸を見ても決して咲わないでくれ」と念を押した。
そして、小僧の元へ戻り、その屋敷の中に連れ入った。
家人はみな、目配せをして全く笑うことはない。
狸はいよいよ気をよくして、その身体が獣であることなどとは考えも及ばなかった。
周りも、まったく人のように接している。
主人は客に酒を出す。狸もこれを飲む。
季節は夏であったので、ひやむぎを味わった。
客は「うまい、うまい」と言いながら食った。
小僧にも振る舞われた。そして小僧が食べようとすると!!!
皿の汁に獣である自分の姿が映っているではないか!!!
狸ははじめて、騙されていたことを知り、戸外に逃げた!逃げた!逃げた!
客も家の者みな拍車喝采して笑った。
その後、客たちはこの話題を肴にして甚だ酔い、夜更けに帰宅した。
途中妻が戸外に出て待っていた。
「夏の夜は殊に暑いわねえ。さぞや汗をかいただろ。さあ、湯を沸かしたから浴しなさいよ」。
夫は「よく気のつく嬶(カカア)だねえ」と、湯に入った。
ああ、何て爽快な!
そこへ、隣人がやって来て云った。
「おい、何で小便壺に入ってんだ?」。
その男、気づけば隣人の言うように壷に入っていた。
あら〜。妻と思ったが、あれは狸だったのか。
狸は、妻に化けて讎(あだ)に報いたんだね。

わしは、この話はこの様に評価する。
校人(番人の長)が子産(鄭の宰相)を欺いて、君子は欺くにその方を以てすると云うが、そのはじめに料理を食わせるとき、子産ははやくも知っていて、寛徳その所を得たという話を出したのを、校人は悟らず、道理のない説を発したか。
山狸もまた、冷麺の影に驚いたのが正解であろう。
だから、妻に化けたのは偽りといえよう。
読者よ、熟慮を望む。

(注:孟子にある話:
  ある時、生きた魚を鄭の子産に贈った者がいた。
  子産はこれを校人(池の番人)に命じて、池で飼わせた。
  ところがその校人は、その魚を食ってしまい、子産に復命した。
  「初め、之を池に放った時には、元気が悪かったが、少し経つと、
  元気が良くなって、悠々と泳いでいきました」と。
  子産は言った、 「其れ所を得る哉(住むべきところを得たのかな)」と。
  校人は、退出すると言った。
  〈誰だよ、子産を智者とか言ったのは…、
   オレが煮て食っちまったっつーの。
   よかったよかった、だとよ。〉
  このように、もし君子をダマしたいのであれば、それらしいウソをつけばよい。
  ただし、道から外れた行いによって、君子の目をくらますことは難しいけどね。

巻之14 〔1〕  ← クリック 元記事

《2》 古狸

 豊川勾当は例年の事でこの冬もまた天祥寺に招いて『平家』をかたらせる間、かれらの話である。
過ぎし年用事があって外出した帰路に和田倉御門に入った。
桜田の方へ行くと心得て、いつものように手引きの者と一緒にいったが、思わず草が生い茂る広野に出てしまった。
心中に、ここは御郭の中だから、このような広原があるはずもないと。
手引きの者に「ここは何処ぞ」と聞けば、手引きの者も思わず「野原に行きかかったようですね」と答えた。
勾当はこれで心づき、「これは狐の所為ならん。されど畜生は如何にして人を迷わすのか」と独り言云いつつ行った。
 柝(ひょうしぎ)を打って時を廻る音が甚だしいなる所に近づいてきた。
「されば」と暁(さと)り、手引きに「ここは御郭の内なるぞ。心を鎮めよ」と云うと、手引きもはじめて心づいた。
「やはり馬場先内で、未だ外桜田をば出る所なのだろう。僅かの間に狐は迷わしてくれることよ」と。

 そのとき坐中の人の話に、昔山里に住まる夫婦が樵(きこり)の業を為していたが、夫は片目だった。
妻はある時、その山から薪を負うて還るのを見て、(夫は)右片目なのだが今日は左片目になっていたので、「怪しい」と思い、折ふし有合の酒を強いて飲ませた。
遂に酔って眠ったのを妻はこれを縄で柱にくくりつけた。

 ちょうど夫も帰ってきて、「何だ。これは化け物だ」と罵り責めた。
これで忽ち古狸となり姿を表わしたので夫婦で打ち殺した。

畜類のかなしさとして、片目とだけ思って、左右の弁別なきは、可咲(おかし)いことだった。

続篇 巻之10 〔7〕  ← クリック 元記事

《3》 碁打ちの老狸

 世に知られた角力(相撲)の関取で緋威(ひおどし)という者は芸州(広島)の産まれである。
近頃年老いて、わしのところにいる角力(相撲取り)の錦の処に仮住まいをしている。
わしも年来知る者ゆえ、時々呼んで噺をさせちるが、その中に面白いものがあった。

 彼の故郷の邑から在郷3里ばかりいった村に老狸がいた。
この狸は常に人と話をすることができた。
ただ見た目は普通の狸と違わない。
緋威もしばしばこの狸と付き合った。

 ところでこの狸はよく碁を打った。
相手が碁の打ち手にほとほと困っていると、「あっしは目が見えませんからね」などと云って、人間と同じように相手をあなどる言い方をする。

 総じて人のようだった。
そこで、これを困らしめようと傍人が戸を閉じて障子を塞ぐが、その隙間から幻影の様にいつの間にか出て行てしまう。
また戯れに陰嚢を披いて人に被せることがある。
人は驚いて逃げようとするが、さらに包み結んで、笑っている。
そのいたずらをするのも人と違わない。

 またある人が
「あんたさんには弟子がいるかね」と聞くと、
「弟子もいるにはいるが、弟子と言っても隣村にいるちんば狐だけだね。しかしながら、この弟子は、人と話するのは未だできねえな」。
 わしは疑った。内心は信じられない気持ちを持ちであったが、時に錦もまた同席しており、かつて共に芸州に行ってその人を知っているので、虚妄ともおもえない。

 またこの狸はよく古い昔のことを語るという。
おおむね茂林寺の守鶴老貉(むじな)の談に類する。

 だから芸狸も長寿の者か。
また隣のちんば狐は、里人に時々視られていたと云う。

注:茂林寺の分福茶釜のお話は、現在昔話に取り上げられている話とは少し異なり、この茶釜は老貉(むじな:狸)が化けていた守鶴といくら汲んでも湯が尽きないという茶釜であるという。
この縁起の話は甲子夜話 巻35 30(下記) に詳しく記載されている。

巻之44 〔14〕  ← クリック 元記事

《4》 分福茶釜

甲子夜話 巻之35-30 に記載があるがまだブログにて紹介していないので、ここではその概略を述べておく。

 「池北偶談」に、僧が鶴に化けて飛去したことが記されている。
わが国にも上野(群馬)の茂林寺にて貉(むじな)が僧になって、後に飛去ったということがあった。
始めは僧でも鶴なら飛び去るのもありうるが、貉が飛ぶとは何事かと思った。
ただ、この貉は人に化けて名前を「守鶴」という。
鶴であるから飛ぶことに縁がないとは言えないだろう。
世に謂ふ「分福茶釜」というのは、この僧が所有していた釜のことだ。
縁記があるのでここに附出す。

<茂林寺縁起>
 
「往昔、茂林寺に守鶴といふ老僧あり。その僧はこの寺が應永年中(1398〜1428)に開山した時に、開山禅師にしたがつて館林に一緒に来たという。
そして、160年も経ったが第十世岑月禅師までずっとそばに仕えていた。
その少し前の茂林寺七世月舟禅師の時に、寺は大きく繫栄して会下の衆僧の千人がここに集うこととなった。
しかし、茶釜が小さく、とても千人の湯を沸かすことなどできない。なげいていると僧・守鶴はいづくともしらず一つの茶釜をもってきた。
その茶釜は昼夜茶をせんじても、湯が尽きることがなかった。
人々は不思議に思いその理由を問うた。守鶴曰く、
「これは分福茶釜と言って何千人が茶を飲んでも尽きることがありません。特にこの釜には八つの功德があります。その中でも福を分ち与えるために分福茶釜といいます。この度、この釜にて煎じた茶で喉を潤す人は、一生渇きの病を煩ふ事がなく、第一文武の德を備へ、物に対しておそるゝことがなく、智惠が増し、諸人愛敬をそへ、開運出世し、寿命長久となるでしょう。この德を疑うべからず」となり。

それより年月を経て、十世岑月禅師の代になり、ある時、守鶴が昼寝をしていると、手足に毛が生え、尻尾が出てるのを、見られてしまった。
それが誰れとなくさゝやかれていたため、守鶴はすぐにこれをさとり、住職に向つて言った。
「我、開山禅師に従って、当山に来てから120余年になります。然るに今、化けたのが分ってしまいましたのでお暇いたしましょう。
私は、本当は数千年を生きている狢(むじな)です。釋尊靈就山にて說法なし給ふ会上八萬の大衆の数につらなり、それより唐土へわたり、又日本へ来て棲むこと凡そ800年となります。
開山禅師の德に感じ入り、禅師に従ってきました。今に至るまでたくさんの高恩をうけ、言葉で表わすことも難しい。今は名残惜しいため、最後に、源平合戦の屋島のたたかいを今見せてしんぜよう」
と、一つの呪文をとなふるうちより、寺内は、たちまち満々たる海上となり、源氏は陸、平氏は船、両陣互いに攻め戦う様子、あたかも壽永の陳中にあるがごとし。人々ふしぎと見るうちに、あとかたもなくきえうせぬ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・(後略)

(巻之35 〔30〕)


甲子夜話の面白き世界 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/10/07 10:41

久々の仕事へ・・・

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 コロナの緊急事態宣言が続き、1ヵ月半出かけずに過ぎました。
夏も終り、台風の過ぎ去り、気持ちの良い晴れの天気。

昨日は1ヵ月半ぶりに千葉県銚子に出かけました。
午後1番からの仕事の打ち合わせでしたが、1ヵ月半も経つとやはり頭はぼけ、体の調子はイマイチ。

道は空いているのですが、家から片道90kmほどあり、約2時間強かかります。

やはりどこか締りがない。螺子が少し緩んでしまったか・・・・

あまりにも天気が良く、途中の三昧塚古墳で少し休憩。

古墳といっても少し人工的に形が整えられてしまって、まったく明るく見晴台のような感じ。

でもここで、8個の馬の飾りがついた冠が発見された。
部族の長は馬に乗り、頭に被った冠の周りの馬の形の飾りが揺れて音を出す。
想像しただけで楽しくなる。

そしてしたから古墳を見上げると悠々と雲が流れていく・・・

しばし頭のリフレッシュだ。

しかし、夜まで仕事をして帰ってくるとなんだか疲れが溜まったのがわかる。
車の運転も少し疲れるようになったか? まあまた慣れてくればそうでもないかもしれないな。

途中潮来を通ったら、例年通り上戸のコスモス畑に一面のコスモスの花が風に揺れて・・・・

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人もあまり来ていないようだ。

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例年より少し遅いのかもしれない。
今年の自由摘み取り開始は10月16日(土)からとなっていた。

どれだけ個人が摘み取っても摘みきれそうにないね。
例年たくさん残っている。
希望にある方は16日過ぎに言ってみてください。

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近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/10/07 15:03
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