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甲子夜話の面白き世界(第21話) 船幽霊(グゼ船)

甲子夜話の世界(21)

(今までの「甲子夜話の面白き世界」の第1話からは ⇒ こちら から読めます)

 今回は船にとり付く幽霊の話です。
やはり当時は船は重要な役割を担っていたと思われます。
そのため、船に幽霊が出るというのは話しとしては良くあったものと推察されます。
この幽霊船のことを「グゼ船」というと書かれていますが「弘誓船」のことでしょうか?

甲子夜話では巻之26 〔8〕にまとめて記載されていますが、ここでは5つの話として分けて紹介します。

《1》 船幽霊  その1

  我が領分の海中に船幽霊というものがある。グゼ船ともいう。
これは海上で溺死した人の迷った魂が妖を為したものである。
その物は夜影の海上で 往来の船を惑わす。
 ある人が舟に乗って城下の海を北に1里半出て釣りをし、夜になって帰ろうとした。
その時に小雨が降り、あたりは闇のように真っ暗だった。
その北10余町のところに24,5反(1反:300坪)にも見える大船が帆を揚げて走って来るのが見えた。
よく見ると風に逆らって走っているが、帆の張り方は順風を走っいるように見える。
また船首の方に火があってよく燃えている。
だが焔がなくて赤色に波を照らし、ほとんど白日のようだった。
 また船中には人が数人いて揺れているようだけれども、その形ははっきりしない。
怪しく思っていると、その釣人の乗った舟は止まってしまい進まなくなった。
漕いで漕いでそこを去ろうとするが、動かない。
また目指していた嶋が忽ち陰没して見当たらなくなり、ついに方向を見失ってしまった。
 「船幽霊は苫(とま:管や茅で編んだもの)を焼いて舟端を照らせば立ち去るなり」ということを思い出し、舟端を焼くと果たして四方の視界は晴れた。
舟は動き出して、気がつけば鎌田の横嶋の瀬先きに乗り掛け、巌に触れて穴があかんばかりであった。
いそいで碇を下して難破の危機を脱れた。
この為に迷わされたこと、凡そ一時(今の2時間ほど)余り、ようやく城下に還ることができた。

巻之26 〔8〕-1  ← クリック 元記事

《2》 船幽霊  その2

 また城下の南9里、志自岐浦で、舟で夜帰る者が途中にわかに櫓が動かず舟が止まってしまった。
怪しんで見回すと、乱れた髪の人が海面から首を出して、櫓に喰いついていて、動かせなかったのだった。
はじめて舟幽霊なるものを知り、驚いて水棹で突き放そうとするが離れない。
 そこで灰をふりかけると、しばらくして離れたという。
海面も判別できないほどの闇夜であったが、舟幽霊の顔色ばかりがよく見分けられるというのも訝しい。
これもグゼの所為だろう。

 また志佐浦で兄弟が夜中の風雨が頻(しき)りに来てい中を舟で行っていたが、2人の人を乗せた破船が近づいてきた。
よく見ると白衣に乱れ髪の体で、こちらの小舟に付きまとうようであった。
その2人の顔色は雪のように白く、兄弟を見て歯をむき出して微笑んだ。
言いようのないほど恐ろしく、兄弟はその場を脱しようと、力を尽くして漕いだけれども、怪異の船は離れない。
そこで、一か八かで燃えさしの薪を投げつけたところ、みるみる離れていき、無事に還ることができたという。
これも船幽霊の一種であろう。
兄弟はその後、この時の顔色が事あるごとに眼に浮かんできて、恐ろしくなり、舟の稼業はするものではないと思って、ほかの仕事に就いたそうだ。

巻之26 〔8〕-2  ← クリック 元記事

《3》 船幽霊  その3

 また先年、城下の辺りに大風が吹いた。
これによって船々大小数知らず沈没した。溺死も数人でた。

これから夜々に舟幽霊が出て、往来の船に邪魔をして通船がかなわなくなり、役所へ願い出た。
そして、瑞岩寺に申しつけて、施餓鬼をすることにした。
多くの僧が舟で海へ出て誦経をし、また舟形数百を作り、これに燭をともし海面に浮かべた。
数百の舟形は潮に流漂(ただよ)い、火の光は波間に夥(おびただ)しくあった。
それからというもの殃(わざわ)いは止んだと云う。
この時その辺りに停泊してうた商船も、みな燭を舟形にしてともし弔いをしたので、倍々(ますます)火の光は海上に満点したという。

 また生月(いきづき)の鯨組の祖に、道喜と云う者があった。。
ある夜、舟行きをしていたら、舟端に何か白いものが数十出てきてとりついた。
よく見ると小児のような細い手だった。
道喜は驚き、棹で打ち払ったがなはれない。
離れても、また度々とり付いてくる。
道喜は思いついて、水棹の先を焼いてそれで払ったら、遂に退いていったという。
これも舟幽霊の類であると云う。
総じて笘(チョウ)をやき、焚さしの薪を投げて、灰をふり、棹を焦がすやり方は、「陰物は陽火に勝ことなきを以ての法」だと舟人は云い伝えている。

巻之26 〔8〕-3  ← クリック 元記事

《4》 船幽霊  その4

 またわしが直接親しく聞いた話しだが、壱岐に住む馬添の喜三右衛門という者が、勤番して庭にいたとき、ふと舟幽霊のことを言い出した。
某が壱岐から本土への渡海の中途でグゼに逢ったと云う。
それで「如何なるものか」と問うた。

「はじめは遥かに人の声が多く聞こえました。
船頭はこれを知って、『間もなくグゼが来る。決して見てはいけないよ。
見ればこの舟をたたるからね。少しも見るんじゃないよ』と制します。
船中に平伏していたら、間もなくかの声は近くに来ました。
大きな喧騒が耳に入り、見てはいけないと思いましたが見たくて、すこし顔をあげて見ると、大船の帆を十分に揚げているは、その乗っている舟に横ざまに向けて走り来る。
人は大勢だが、みな影のように腰から下は見えませんでした。
手毎に何か持って、私が乗っている舟に潮をくみ込もうと譟動(そうどう)します。
船頭は舟のへ先に立って、何か誦(とな)えて守札のようなものを持って、祓いをする体になって、灰を四方にふりました。
するとグゼ舟はわたしどもの舟を透きぬけたようで、さきほどまで左にあったものが、右に来ており、次第に遠くなりました
この時船頭は『もはやよし』と云ったので、それから舟中の者は頭を上げました。もはやグゼは跡形もなくなりました」
と語った。

巻之26 〔8〕-4  ← クリック 元記事

《5》 船幽霊  その5

 ある人が語った。
 佐伯侯〔豊後〕の家老の某は、領邑往来する時に3度舟幽霊を見ているという。
そのさまは、遥か沖の方から船が来る音が聞こえた。すると船子等は甚だ恐れる体であった。
何ごとかと問えば、『舟幽霊です』と云うので、顧みると、はや我が船に4,5人も乗って居た。
その形は烟(けむり)のようで、20歳から24,5歳くらいの男であったが、船のへ先を歩き廻って、ほどなくして海に入ったという。
その後は船子等も恐るる体なく、止まっていた船も動きだし走っていったと云う。

 また語る。
 人吉侯〔肥後〕の侍医佐藤宗隆が、東都(江戸)に出るとき、船中で舟幽霊を見たと云う。
元来播州の舞子浜の辺りはこれ(幽霊)の出るような所ではない。
その夜は陰火が海面を走るので、怪しく見えた。
程なく大きさ4尺余りのクラゲ〔海鏡〕らしい物が漂ってくるのを見ると、人の形が上にあって、船子に向かって何かものを云おうとこちらにやってきた。
船子たちはすぐに笘を焼いて投げかけると、そのまま消滅したと云う。
 また同藩の毉宗碩(そうじゃく)も、備後の鞆の浦の辺りで舟幽霊を見たが、これは正しく手を海中から出して、『柄杓かせ、かせ』と言ったと。このようなことは某の邑人の外にも、みなみな知っている話しだと語っていると。

また隠邸の隣地に大道と云う僧が居た。
この僧は筑前秋月藩の人で、もとは黒田支侯の士であった。
ある年上京したとき、3月18日に長門の赤馬ヶ関に船がかりしたところを、船幽霊を目の当たりにしたと語った。
船頭どもが言うには、「今日は何ごとをも申されなさるな。話など無用だと禁じます。」如何なる訳かという「、「今日は平家滅亡の日ゆえ、もし物語などすれば、必ず災難があります」と云った。
 それから見ていると海上一面に霧がかかり、おぼろげなる中に何か人の形が多く表れた。
これは平家敗亡した怨霊だと云う。
この怨霊は、人声を聞けば即その船を覆すゆえ談話を禁じると云い伝えるとのこと。
 昔から17日、18日の夜は必ずこの禁があると云う。
またその14日、15日の頃から海上は荒く激しい渦潮などがあって、かの辺りはものすごい有り様であるという。
 これは私のみならず、同藩の者もかの地に滞船したとき見た者は多いとも語った

〔『盛衰記』所蔵の文には平家は八嶋を落ちて九国へは入れず、寄る方もなく浮かれて、長門のだんの浦、あかま、もじのせき、引しまに着いて、浪の上を漂い、船中で日を送ったと見える。
 また義経の注進状には、長門国だんの浦で、3月24日、平氏悉く打ち取ったと見える。
然れば、18日はその7日前である。
 また長門に檀浦の名はなく、檀浦は讃州屋島にある。また長門国、赤馬関の向地、豊前国に門司浦がある。
然れば、だんの浦は田浦の称に似ている。もしくはここか。また24日の文は、もしくは18日と違うか。
または赤馬関の合戦はこの月日であろうか〕。

巻之26 〔8〕-5  ← クリック 元記事

甲子夜話の面白き世界 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/10/14 05:27
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