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西蓮寺の銀杏黄葉は見ごろ

 11月から12月の師走に入って、今年も残すところ1ヶ月を切った。
しかし、日本列島を爆弾低気圧が通過して、1日の早朝はまだ結構天気は荒れていた。
また、夜来風雨の声が凄まじく、このあたりの遅い黄葉も葉を散らしてしまわないか気になった。

この日は、銚子へ仕事で朝から出かけたが、家を出る時は空はすべて黒い雲で覆われ、時々雨も降っていた。
途中、行方市にある西蓮寺の大銀杏の黄葉が、毎年この頃が見頃であるので、天気はまだ回復していなかったが様子を見に立ち寄った。

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雨は上っていたが、周りにはまだ水溜りや落葉が目に付く。
天台宗、西蓮寺:別名 常陸高野山

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山門は最初は2階建ての楼門だったという。左右に仁王像が置かれている。
強風雨が吹荒れた後の境内は人の気配もなく・・・・

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境内の上ると、ハッと息を飲むほどの大銀杏が葉を黄色に染め、また地面には一面の黄色のじゅうたん。

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大きな銀杏の木が2本。
千年近い年月を感じさせてくれる。

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木の下の黄色い絨毯は、昨夜降った風雨の影響か?
ただ、まだ銀杏の葉は元気。今週末がちょうどまだ間に合いそう。
土日は結構カメラマンが多いが、こんな爆弾低気圧の直後には人はほとんど訪れていない。

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元寇の勝利を記念して立てたという国の重文である「相輪橖(そうりんとう)」もこのイチョウの葉と共に見上げてみると良い。

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薬師堂:ここには県の指定文化財の薬師如来が祀られている。

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今週末はまだ間に合いそうです。
是非訪れてみてください。

小美玉・行方地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/12/02 14:58

今日の一枚(山茶花の咲く道)

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(かすみがうら市 長興寺の五百羅漢さん)

 大分寒くなってきたね。
気をつけて行ってらっしゃい。

 ♪ さざんか さざんか 咲いた道
    たき火だ たき火だ おちばたき
    あたろうか あたろうよ 
    しもやけ おててが もうかゆい ♪

 最近は見かけなくなった光景ですね。

 焚き火で焼き芋焼いて食べた~い!

 赤より白い花がすき

今日の一枚 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/12/07 10:58

今日の一枚(なかよし道祖神)

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(かすみがうら市長興寺にて)

山道などの道端にひっそりと置かれた野仏や道祖神の石仏。
その道祖神に多いのが二人仲睦ましい姿が彫られた石像です。

何時までもお幸せにと願いたいですね。

最近は先が見えませんが、自分の生きてきた跡をこの世に残しておきたい・・・・

なんて・・・・・・・

松尾芭蕉も奥の細道の序文に

月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふるものは、日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。
よもいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋にくもの古巣をはらひて、やや年も暮、春立てる霞の空に白河の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取るもの手につかず。・・・・・・

と言っています。

今日の一枚 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/12/08 10:03

常陸国における源平合戦が本になりました。

 本ブログで紹介した内容を纏めなおして書籍としました。

まとめて読むと少し分り易いと思います。
B5サイズx138ページ 簡易製本 ブックカバー付き

近くのタカギ書店さんに置かせていただきました。
興味のある方は手にとって見てください。

またネットショップ(BASE)にても販売しています。
サイト(ふるさと風販売ショップ)は ⇒ こちら
今月から送料無料とさせていただいています。

来年4月旧八郷役場内にオープンする図書館に風の会の書籍を納入させていただきました。
ただ、この冊子は12月1日発行ですので、図書館にはありません。


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常陸国における源平合戦 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/12/09 15:28

今日の一枚<権力、人権の「権」の本来の意味>

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 中国の北京オリンピックと人権問題をどう捉えるか、日本の舵取りが難しくなっています。
この人権とか権力などに使われる「権」の本来の意味をご存知でしょうか?

私はこのブログでも取り上げた松浦静山公の甲子夜話に書かれている「水雲問答」の中で始めて知りました。

「権」という語の本来の意味は 天秤のおもり(分銅)のことを指す言葉だそうです。

「人権」は人の重さです。
天秤で量って人の重さを区別をしてはいけない・・・  同じ重さでなければいけない。
人はどんな人種でも区別してはいけないという意味が込められているのです。

では「権力」とはどんなものなのでしょうか?
水雲問答では雲=板倉綽山(上州安中の藩主)の「経国の術と権略」の質問に、水=林述斎(大学頭)は次のように述べています。

水:
 権は人事の欠くべからざることにして、経と対言仕(つかまつり)候。
秤の分銅をあちらこちらと、丁ど軽重に叶ひ候処にすゑ候より字義をとり候ことにて、固(もと)より正しきことに候。
仰せ聞けられ候所は、謀士の権変にして、道の権には非ず候。程子の権を説き候こと、『近思録』にも抄出これ有り、とくと御玩味候様存(ぞんじ)候。

(訳)
権(力)は人事において欠くことのできないもので、経(営)とは対の言葉です。
漢字の権という字は天秤(はかり)の分銅のことで、これをあちらこちらと動かして丁度良い所にあわせるということ(字義)から生れた言葉ですから、もとより正しいことです。
しかし、貴方のおっしゃっている権略は、謀士(策士)の権変であって、道の権ではありません。
程子(ていし:中国の儒学者、程伊川)が権を説いた書(程伊川が朱長文に答えた書)があり、『近思録』にも抄出(抜き書き)がされておりますので、とくと御玩味(熟読)されたらよろしいかと思われます。

政治家は権力をもっていますので、この分銅の動かし具合を正しく動かさなければいけません。
最近の政治家の不正事件はまったくもって私利私欲でこの分銅を動かしてしまっている事もあるように思います。

有権者が悪いといってしまえばそれまでですが、いまだにお金をばら撒いて票を集める事がまかり通ってしまっている事はまさに悲しいことですね。
広島をはじめ、自分の地元だってどこか狂ってしまっているようです。
私の故郷でもある新潟県長岡市の自民党支部問題は悲しいですね。
苦渋の決断で真珠湾攻撃をせざるを得なかった山本五十六の気持や、戊辰戦争で和平を望みながら傷つき倒れた河井継之助の気持ちも理解したいものです。

◎ やってみせ,言って聞かせて,させてみて,誉めてやらねば,人は動かじ (山本五十六)

◎ 八十里 こし抜け武士の 越す峠 (河井継之助)


今日の一枚 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/12/10 10:37

今日の一枚(ことば)

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道祖神に誘われて奥の細道紀行に旅立った芭蕉。
多くの山や村の片隅に、男女の道祖神が多く描かれている。

そこには、子孫繁栄、五穀豊穣などの素朴な願いがこめられている。

上の石像は親子の像だ。
親は母親だろうか?
見る人が好きに解釈すればよいだろう。
また親ではなく、祖父母かもしれない。

幼い子供は言葉を親や、その親(祖父母)などの身近な人から次第に覚えていく。
当然アクセントやその地方独特の方言もそうだ。

しかし、最近はテレビで標準語なる言葉を聴き、それも覚えていく。
わたしの子供の頃はまだ、テレビは家になく、ラジオで覚えるが、しゃべる言葉はまだ方言が殆んどだ。

それがいろいろな地方に転居したりする人が増えていくと、ことばは徐々に標準語に近づいていくのだろう。

私は新潟の生まれだが、2~3歳で横浜の本牧に移り住んだ。
ここは浜言葉で「~じゃん」という独特の方言があった。
新潟には祖父母や親戚がいたから、時々遊びにいけば、「そういが・・」「そういが~^て」などや独特のイントネーションを聞けば懐かしさが込みあげ、直ぐに同じような言葉をまねて喋る。
しかし、その地を離れればまた標準語に戻ってしまう。

横浜にいたのは小学1年までで、その後東京多摩地区に越して来た。
ここは地元の人間よりいろいろなところからやってきた家族がたくさんいて、学校でも標準語が殆んどだったように思う。

大学に入っていろいろな地方の人が入り混じり、いろいろな友達が出来、方言もたくさん聞くようになった。
特に関西系の人は関西弁を隠そうとはしないので、関西弁まる出しでその言葉に僕も一時あこがれた。

そして関西出身者が多くいた同好会に参加して遊びも、言葉も、飲み会も結構楽しかった。
伊勢二見浦の旅館の息子や、姫路の大きな文具店の息子もいて、遊びにも行かせて貰い日本各地の旅の味も覚えた。

茨城にやってきたのは就職してからだが、ここの言葉はどちらかというと抑揚がなく、早口だ。
それでも、数十年経てば茨城も北部と南部ではかなり違いを見せてきている。

言葉は生き物だ。
時代時代で人の出入があれば変っていく。

私にはこの言葉も自分としての故郷はない。
地方同士、地方と都会など物理的な距離はどんどん近づいてきており、またテレビ、インターネットなどはどの場所でも条件は同じ。

地方の言葉はこれから100年先、200年先には何処に向かっていくのだろうか。




今日の一枚 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2021/12/11 11:28

今日の一枚(コンピュータ)

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 この像はかすみがうら市志筑にある本堂家の菩提寺「長興寺」に置かれている五百羅漢の一つだ。
まさに好々爺(こうこうや)的な顔が好きだ。

私は小学生時代からどちらかというと理系の科目が好きで、暗記科目などは苦手であった。
大学も理系であり、就職しても大型機械の設計などを手掛けてきたのでまったく文系には興味もなかった。

また、電卓も桁数が大きいメモリ付きのものなどは結構高かった.
大学の卒論の計算でメモリ月の電卓を買ったが、今のノートパソコン位の値段がした(10万円位)。

企業もどちらかといえば、大型コンピュータは経理などの財務管理に使用しており、コボル言語が中心であり、専属のキーパンチャーなどがたくさんいて、技術系がコンニュータを使える時間は夜か休日に限られていた。

そんなためもあり休日は出勤せざるを得ない時代でもあったし、サービス残業など苦にもせずやってきた。
まあこれも戦後ベビーブームに生まれた日本人の宿命だったのだろう。
受験競争で明け暮れていたような・・・、
長く遅くまで仕事をしていれば頑張っていると上司に評価してもらえるなんて考えていた馬鹿な時代であったと思う。


また大型コンピュータにカードを大量に読み込ませて入力せねばならず、一度ループにはまり込むとその間違いを見つけるのも苦労した。
一般の計算はオリベッティの計算機で作られたプログラムカードを使って計算するのが一般的だった。

それがパーソナルコンピュータ(パソコン)が到来すると時代は一変した。

手書き原稿を女性がワープロ入力なんてことは全く必要なくなり、自らがパソコンで作成したり、計算したりする事は当たり前になった。ただ、ここでも使える人間と今まで通りにしたい人間の差が現れた。

表計算プログラムも最初はロータス123が天下をとるかと思われたが、EXCELに取って代わられた。
わたしがEXCELを使い始めたのはまだロ-タスが主流の時で、パソコンもNEC9800のノートPCを買って、毎日会社へ持ち歩いた。
EXCELもまだEXCEL4、5くらいの時で、プログラム機能も独特のEXCEL用の言語であった。

必要に駆られてこのプログラム(マクロ)言語を覚え、会社でも当時の先端を走っていた。
設計の計算や、過去のデータの蓄積、その利用などに大いに活躍したと思っているが、これも独りよがりかもしれない。

これもWindowsが出来て、マクロもVBA(Visial Basic Appliation)に変り、このマクロへの変換もかなり時間を要した。

また、その後にEXCEL2012までとその後のEXCELで大きな変化があり、この十年対応に追われることにもなった。
まあ、困ったものだが、退職後の今でも仕事をさせていただけているところもあり、役に立っているのだからまあ良かったのだろう。
最近、最後のご奉公にマニュアル的なものをどこかにまとめて掲載しておきたいと思うようになった。
また、別なブログを立ち上げようとも思うが、どうなることやら・・・・

海外取引のある企業などでは、昔は海外との連絡はテレックスが主体だった。
今ではこれを知っておられる方は少なくなったと思うが、当時は手書きで電文(英語)を書いて、担当の女性に打っていただいていた。まあ電報のような仕組みだ。

その後FAXが出来、直接電話で手書きでも何でも送れるようになった。
私がまだ学生の頃に始めてFAXを開発している工場を見学した事があったが、あっという間に家庭にも広がった。

しかし、パソコンが普及しメールが普及するとこのFAXはどんどん後退して、企業においては必要な機器とはいえなくなった。
でも、私の地元の自治体などにかかわりを持つと、FAXはまだ立派に活躍していて、家のFAXもなかなか捨て去る事ができない。

市役所とのかかわりで、連絡はメールで連絡を欲しいと頼んだが、しばらくは郵便とFAXで続いた。
どう仕事での連絡にパソコンメールはあまり一般家庭には広がっていないうちに、携帯やスマホのメール機能が増え、ラインなどの連絡機能が使われ始めたためだろう。
これからどうなっていくのかは分らない。
年をとってくると新しいことにはチャレンジするにもあまり意欲も興味もわかなくなる。

困ったものだ。
好々爺で、今後も仲良くやって行く事にしよう。

定年の頃から、歴史や地域おこしなどに興味をもって始めたこのブログも11年を超え、記事も3500件を超えた。
ネタも尽き始めたので、これからどうするか・・・・。

先を考えていかなければならないだろう。

今日の一枚 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2021/12/12 11:57

今日の一枚(ダブルスタンダード)

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(馬に乗った八幡大神: 銚子市白幡神社内庚申神社にて)

下記は今から7年前に毎月発行している機関誌(ふるさと風)に書いた記事「ダブルスタンダード」である。
記事内容は古いが最近のアメリカの北京冬季オリンピックの外交的ボイコットで久しぶりに昔を振り返って思い出したものである。
アメリカの大陸開拓の歴史で原住民であるインディアンを95%も殺戮した歴史を思いださざるを得ない。

よかったら下記に当時の記事を載せましたので読んでください。(少し長いです)
続きを読む

今日の一枚 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2021/12/13 10:31

木漏れ日

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(前回から2週間後の今週水曜日。また行方市の西蓮寺に立ち寄った。)

秋から冬へ。

雨上がりの寺の境内。


昨夜の風雨で1000年大銀杏も大分葉を落とし、黄色いじゅうたんもしっとり濡れている。

朝の陽射しがまぶしい。

早朝はかなり冷え込んできたが、この太陽の恵みは暖かで、心も温まる。

気持ちの良い、こんな景色も今日は独り占め。




今日の一枚 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/12/17 10:02

木漏れ日2

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古木には鳥居と神社の社が置かれている。
ここは天台宗の古刹であるが、やはりお稲荷さんが祀られていた。

そこに朝陽が射してキラキラ輝いていた。

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狐さん。
いつも守ってくれて有難う。


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この黄色い絨毯とは来年又会いましょう。


(撮影日時 2021年12月15日 午前9時半)


今日の一枚 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/12/20 12:28
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