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東庄町散策(8) 東大社(その4) 海の神と式年大神幸祭

 千葉県東庄(とうのしょう)町の古社「東大社(とうだいしゃ)」の紹介をしています。
名前が大社であり、いかにも何かありそうなのですが・・・・
紹介するのが後ろにずれてしまいましたが、神社の由緒・沿革などを簡単にWiki.などから拾い出してみましょう。

1) 「景行天皇が東国巡幸の折に、春臣命に命じて一社を造営、玉依姫尊を祀って東海の鎮護としたことが始まりであるという。」

・・・景行天皇はヤマトタケルの父であり、ヤマトタケルが亡くなった後に、ヤマトタケルの東国遠征で訪れた足跡をたどって東国を巡幸したとされ、総国、常陸国などの各地にその景行天皇が訪れたとする話が残されている。実際に存在したかどうかも確認はされていないが、いたとすれば訪れたのは4世紀の半ば頃となる。

ここで気になるのが今でもこの大社の主祭神となっている<玉依姫尊>だ。
この近くの阿玉台貝塚近くに「豊玉姫神社」があるが、玉依姫(たまよりひめ)は豊玉姫(とよたまひめ)の妹である。
共に海神の国(竜宮)の姫(真の姿は大ワニ)とされている。
豊玉姫と山幸彦との間に生まれた子供(鸕鶿草葺不合尊:うがやふきあえず の みこと)を玉依姫尊は育て、後に結婚して産れたのが神武天皇(初代天皇)だ。

この夫の鸕鶿草葺不合尊をこの神社の配祀として祀っている。

常陸国側のいろいろな神社も廻っているがこの海神関係の神はあまり祭られていないと思う。
それが、こちらに来ると結構あちこちの神社に祭られていて驚く。
銚子などとの神社間で20年に1度の式年神幸祭が行われているが、これはこの海神姫たちをお祭りしていることと関係しているようだ。

2) 康和4年(1102年)に堀河天皇より「総社玉子大明神」の称号を受ける
3) 寿永3年(1184年)源頼朝が御厨一処を寄進
4) 応永2年(1395年)に東左馬助胤家が社殿を造営
5) 享徳3年(1454年)には後花園天皇から勅額が贈られる
6) 明治6年(1873年)郷社に列し、大正8年(1919年)には県社に列した

名前の呼び方の変遷ですが、
○ 東宮あるいは八尾社と最初の頃には呼ばれていた
○ 1102年に堀河天皇より「総社玉子大明神」の称号を受け、玉子大明神 ⇒ 王子大明神 ⇒ 「オオジン様」と呼ばれてきた
○ 現在は東大社 東大神のどちらも使われている。


下海(菟)上国造(しもつうなかみのくにみやつこ)の総社、東荘(橘荘)の総氏神
鎌倉幕府建設に頼朝について活躍した千葉常胤の六男・東六郎大夫胤頼(たねより)が、ここ下総国東庄を領して「東氏」を名乗り、この東大社を氏神として発展してきた。
東胤頼(とう たねより):1155年~1228年、千葉常胤の六男

父の常胤(つねたね)と子の胤頼との逸話に次のようなものがある。

「文治2年(1186年)の正月、頼朝が鶴岡八幡宮に参拝した際に、宮の庭上に着座した供奉人の中で胤頼が父である常胤のほぼ真正面の位置に座したことが、子が父に対して公の場で正対して座すると言う同格の振舞を行ったとして御家人の間で問題視された。これに対して頼朝は、胤頼の位は従五位下であり、父常胤の位の正六位上より上であり、また上西門院に仕えることでは同じだ。「官位は朝廷より賜った物であるので、これに従う事」として、御家人の座次は父子の秩序よりも官位の秩序を優先させる方針を説明したという。この(東)胤頼が父(千葉)常胤より高位を贈られた理由として、和歌などの文芸に通じていたともされ、後に東氏は歌道において古今伝授を行いうる地位を確立するが、その源流がここに見て取れる。」

とある。このように和歌などの文芸に優れていた東(とう)胤頼(たねより)の流れが、この東荘地域に根付いていったのではないだろうか?


≪20年ごとに行われる式年大神幸祭:銚子大神幸≫

 東大社、雷神社(旭市見広)、豊玉姫神社(香取市貝塚)の三社で行い、各神社の神輿を中心として氏子が旗や威儀物を掲げてお供する。
始まりは、康和4年(1120)海上郡高見浦(現在の銚子市高神あたり)の海上が大荒れとなって治まらず、海上郡の総社であった当社に朝廷より宣旨があり、高見浦で祭典を執り行った。結果、波は静まり、海上は大漁、陸上は大豊作となったという。そのため、毎年4月8日を例祭と定め、三神社神輿が高見浦へ神幸するようになった。
第10回目より20年に一度行われることに変更され、平成22年(2010)には第54回の大神幸が行われた。

東大社の鳥居をくぐって右側に神輿殿があります。

神輿殿にはこの大神幸祭などで使われる神輿が納められています。また外からもガラス越しに内部が見えるのですが、ガラスに外部の景色が映りこみあまり良く見えません。
どうにかガラスに接写して写真を撮ってみました。

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この左側の金色に光る神輿が現在使われているこの神社の祭りの神輿です。
この金ぴかな神輿(総欅つくり、重さ約1トン)は文政13年(1830年)に制作され、修理をしながら現在まで使われているものだそうです。
また、この神輿を保管する神輿殿は、前々会の第52回・式年神幸祭(平成2年)のときに建てられたそうです。

PB111014s.jpg

このみこしの屋根に小さな鳳凰が乗っている神輿があります。
これは「鳳輦(ほうれん)」という輿こしだそうです。土台に二本の轅ながえを通して、人が肩でかつぐものです。
基本的には天皇専用の乗り物でここの鳳輦は昭和45年の式年大神幸祭時に造られ、その後は1度も使われていないといいます。
関東地方にこの鳳輦のある神社は少なく、全国でも使われているのは天神社と日枝神社2箇所の3箇所だけだそうです。

天皇が鳳輦に乗って行くのが「行幸」の名前の起こりで、平安時代以降に牛に曳かれて進むようになり、階級によっても種類が違っていたようです。

PB111018s1.jpg

式年大神幸祭の案内板がありましたので載せておきます。

PB111018s2.jpg

東大社、雷神社(旭市見広)、豊玉姫神社(香取市貝塚)の三社を廻るだけでなく、各地でいろいろなパフォーマンスがあるようです。
外川(とかわ)で御浜下りが行われ、銚子の海上八幡宮、渡海神社などでも盛大に行事が行われているようです。

以前の記事
 豊玉姫神社 ⇒ こちら(2013/7/8)
 渡海神社 ⇒ こちら(2013/7/31)
 海上八幡宮 ⇒ こちら1(2015/3/20)
           こちら2(庚申塔:2021/2/4)






小見川・東庄 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2022/11/20 13:45
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