見慣れない石碑(榑桑回国巡礼碑)
先日、小美玉市の旧小川町にある「天聖寺」を訪れた。
ここに中国から伝わる海洋の女神といわれる「天妃尊像」を友人に紹介するためである。
天妃尊像については、前に記事を書いているので今回は省略します。
(前の記事は ⇒ こちら)
今回は、この寺の表参道川入口近くに置かれているある石碑についてです。

上の写真が寺の表参道入口です。
竹林と、古びた板碑などが並ぶ石段を上った所にコンクリの収納庫があり、ここにこの天妃尊像が安置されています。が、
この趣のある上り階段正面には、禅寺でよく見かける「不許葷酒入山門」と彫られた大きな石碑が置かれています。

不許葷酒入山門:葷酒(くんしゅ:ニンニクなどにおい強い臭いや酒臭いもの)の者は山門から入ることを許さず。
ですが、これは寺院をいくつか訪れているうちに自然と理解出来るようになりました。
さて、今回はこれではなく、入口の右側に置かれた巡礼の石碑です。

回国巡礼碑であろうことは何となくわかります。
一般に「回国供養碑」「六部(六十六部)回国供養碑」「大乗妙典回国記念碑」などと書かれているものは今までに結構多く見かけて来ました。
中世には回国聖と呼ばれた全国行脚の僧や、後世には一般の篤志家が、法華経六十六部の写しを持って全国の霊場に収めて回ったもので、全国を回り終えたときにこのような供養碑を建立したものと思ってきた。
そのため、この回国の文字の前は「大日本」「日本」「大乗妙典」などの文言が書かれたものを目にすることが多かった。
しかし今回の物は違う。
何と読むのだろう??
「榑桑(ふそう)」
と書かれているようです。
榑桑=扶桑(ふそう) と同じらしい。
かつて中国における伝説では東方の彼方に不老不死の巨木・扶桑があり、その巨木の生えている土地を扶桑国と呼んだと言う。
そしてそれが次第に日本国をそのように見なすようになり、日本の異称としても使われたという。
するとこの石碑は中国から日本に巡礼に訪れた人たちがいたのだろうかという思いに駆られた。
これは想像するだけであるが、ここは旧水戸藩の所領であり、中国から来た心越禅師が携えてき天妃(后)尊像」の写しが伝わる貴重な寺であることは確かであるので水戸の祇園寺などとの関係もまだまだ知らないことも多い気がする。
ここに中国から伝わる海洋の女神といわれる「天妃尊像」を友人に紹介するためである。
天妃尊像については、前に記事を書いているので今回は省略します。
(前の記事は ⇒ こちら)
今回は、この寺の表参道川入口近くに置かれているある石碑についてです。

上の写真が寺の表参道入口です。
竹林と、古びた板碑などが並ぶ石段を上った所にコンクリの収納庫があり、ここにこの天妃尊像が安置されています。が、
この趣のある上り階段正面には、禅寺でよく見かける「不許葷酒入山門」と彫られた大きな石碑が置かれています。

不許葷酒入山門:葷酒(くんしゅ:ニンニクなどにおい強い臭いや酒臭いもの)の者は山門から入ることを許さず。
ですが、これは寺院をいくつか訪れているうちに自然と理解出来るようになりました。
さて、今回はこれではなく、入口の右側に置かれた巡礼の石碑です。

回国巡礼碑であろうことは何となくわかります。
一般に「回国供養碑」「六部(六十六部)回国供養碑」「大乗妙典回国記念碑」などと書かれているものは今までに結構多く見かけて来ました。
中世には回国聖と呼ばれた全国行脚の僧や、後世には一般の篤志家が、法華経六十六部の写しを持って全国の霊場に収めて回ったもので、全国を回り終えたときにこのような供養碑を建立したものと思ってきた。
そのため、この回国の文字の前は「大日本」「日本」「大乗妙典」などの文言が書かれたものを目にすることが多かった。
しかし今回の物は違う。
何と読むのだろう??
「榑桑(ふそう)」
と書かれているようです。
榑桑=扶桑(ふそう) と同じらしい。
かつて中国における伝説では東方の彼方に不老不死の巨木・扶桑があり、その巨木の生えている土地を扶桑国と呼んだと言う。
そしてそれが次第に日本国をそのように見なすようになり、日本の異称としても使われたという。
するとこの石碑は中国から日本に巡礼に訪れた人たちがいたのだろうかという思いに駆られた。
これは想像するだけであるが、ここは旧水戸藩の所領であり、中国から来た心越禅師が携えてき天妃(后)尊像」の写しが伝わる貴重な寺であることは確かであるので水戸の祇園寺などとの関係もまだまだ知らないことも多い気がする。
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