小高山不動院
もうだいぶ前に小高地方を歩いて記事を書いたが、その時に訪れていなかった(小高山)不動院に行ってみた。
すぐ近くだが少し奥まった感じの通りの曲がり角にこじんまりとあった。

少し高台に鳥居のある神社と並んで、不動院があり、入り口に説明板が置かれていた。
しかし、字が薄れてしまってあまりよく読むことが出来ないが、ここに安置されている2体の小さな仏像(市指定文化財)の説明であった。
こちらは市のHPより転載させていただこう。
1)小高山不動院 木造不動明王坐像(市指定有形文化財)
指定年月日:平成17年7月21日
所在地:行方市小高1280 小高山不動院
「不動尊縁起」によると、この不動明王像は小高殿の守り本尊。
大永年中(1521~1527)字中城に城を構えた小高繁森殿の実子、小高太郎行方刑部少輔貞久殿の時代に、京都の東本願寺より不動尊の御姿を移し参らせて勧請しました。
いわゆる小高殿42歳の厄払い、守り本尊として城内より東方に位置する鍛城久保(カジヤ久保)というところに荘厳なる御堂を建立して、この不動尊を安置しました。
この不動尊は、親鸞上人自作の尊像と伝えられています。
像高は、41.5センチメートル。寄木造り。玉眼(欠落して破損しており、右眼のみ残っている)。
写真・記事は ⇒ こちら
2)小高山不動院 銅造十一面観音懸仏残欠(市指定有形文化財)
指定年月日:平成17年7月21日
所在地:行方市小高1280 小高山不動院
この「十一面観音」は、畑木氏伝来の家宝です。
畑木氏の先祖は山中三河守といい、小高城の客分でした。
天正年間に小高城落城後、高尾佐仲と改名して土着し、次いで畑木姓を称したと伝えられています。
像高は、9.4センチメートル。
背面に木片がはめ込んであり、「自浄造之」の4字が彫ってあります。
また、坐像底の部に「空海」の2文字が刻まれています。
写真・記事は ⇒ こちら

この不動院の社の中に安置されているようだが、今まであまり大事にされてこなかったのかもしれない。
鎌倉室町時代の作であり、何処か空調に聞いた保管場所などで保管展示などをすることが出来ないものだろうか。

この不動院の隣には石造りの小さな社だが、色鮮やかな鳥居を有した稲荷神社が建っている。

小高の地は、江戸時代にはあまり注目されてこなかったのかもしれない。
ここにあった神宮寺などの情報が全く得ることが出来ない。
すぐ近くだが少し奥まった感じの通りの曲がり角にこじんまりとあった。

少し高台に鳥居のある神社と並んで、不動院があり、入り口に説明板が置かれていた。
しかし、字が薄れてしまってあまりよく読むことが出来ないが、ここに安置されている2体の小さな仏像(市指定文化財)の説明であった。
こちらは市のHPより転載させていただこう。
1)小高山不動院 木造不動明王坐像(市指定有形文化財)
指定年月日:平成17年7月21日
所在地:行方市小高1280 小高山不動院
「不動尊縁起」によると、この不動明王像は小高殿の守り本尊。
大永年中(1521~1527)字中城に城を構えた小高繁森殿の実子、小高太郎行方刑部少輔貞久殿の時代に、京都の東本願寺より不動尊の御姿を移し参らせて勧請しました。
いわゆる小高殿42歳の厄払い、守り本尊として城内より東方に位置する鍛城久保(カジヤ久保)というところに荘厳なる御堂を建立して、この不動尊を安置しました。
この不動尊は、親鸞上人自作の尊像と伝えられています。
像高は、41.5センチメートル。寄木造り。玉眼(欠落して破損しており、右眼のみ残っている)。
写真・記事は ⇒ こちら
2)小高山不動院 銅造十一面観音懸仏残欠(市指定有形文化財)
指定年月日:平成17年7月21日
所在地:行方市小高1280 小高山不動院
この「十一面観音」は、畑木氏伝来の家宝です。
畑木氏の先祖は山中三河守といい、小高城の客分でした。
天正年間に小高城落城後、高尾佐仲と改名して土着し、次いで畑木姓を称したと伝えられています。
像高は、9.4センチメートル。
背面に木片がはめ込んであり、「自浄造之」の4字が彫ってあります。
また、坐像底の部に「空海」の2文字が刻まれています。
写真・記事は ⇒ こちら

この不動院の社の中に安置されているようだが、今まであまり大事にされてこなかったのかもしれない。
鎌倉室町時代の作であり、何処か空調に聞いた保管場所などで保管展示などをすることが出来ないものだろうか。

この不動院の隣には石造りの小さな社だが、色鮮やかな鳥居を有した稲荷神社が建っている。

小高の地は、江戸時代にはあまり注目されてこなかったのかもしれない。
ここにあった神宮寺などの情報が全く得ることが出来ない。
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