碁石の浜
常陸国風土記には「藻島(めしま)の駅家(うまや)の東南の浜に碁石あり。色は珠玉(たま)の如し。所謂常陸の国に有る麗しき碁石は、唯、是の浜のみなり。」と書かれている。
このきれいな碁石がとれる場所が現在国民宿舎として有名な「鵜の岬」の北側の海岸と考えられれている。
ここ「伊師浜海岸」は江戸時代初期頃から使われている名前で、その前は「石浜」と呼ばれていたらしい。

この海岸入り口には「伊師浜海水浴場」と鵜の鳥絵の看板が掲げられていた。

そしてその奥(南側)の高台に立派な国民宿舎「鵜の岬」の建物が聳えている。

鵜の捕獲場所(鵜の岬)から続く岩場がここで途切れ、ここから白い砂浜が続いている。
この浜で白や黒の碁石が採れたという。
囲碁の歴史を見ると、奈良時代初期頃に中国から日本に伝わり、貴族に愛好されたという。
ただ、今の碁石は白石はハマグリの貝殻を使い、黒石には自然石が使われるというが、この浜あたりでは白い石と黒い石の両方が採れたようだ。
今はハマグリの貝をくりぬいて白石が作られているが、これも宮崎県日向地方で採れるハマグリが使われていたが、今ではあまり採れなくなり、メキシコ産のハマグリが使われているというが、これもいつまで続けられるのだろうか。

浜の北側にもしばらく砂浜が続いている。
このきれいな碁石がとれる場所が現在国民宿舎として有名な「鵜の岬」の北側の海岸と考えられれている。
ここ「伊師浜海岸」は江戸時代初期頃から使われている名前で、その前は「石浜」と呼ばれていたらしい。

この海岸入り口には「伊師浜海水浴場」と鵜の鳥絵の看板が掲げられていた。

そしてその奥(南側)の高台に立派な国民宿舎「鵜の岬」の建物が聳えている。

鵜の捕獲場所(鵜の岬)から続く岩場がここで途切れ、ここから白い砂浜が続いている。
この浜で白や黒の碁石が採れたという。
囲碁の歴史を見ると、奈良時代初期頃に中国から日本に伝わり、貴族に愛好されたという。
ただ、今の碁石は白石はハマグリの貝殻を使い、黒石には自然石が使われるというが、この浜あたりでは白い石と黒い石の両方が採れたようだ。
今はハマグリの貝をくりぬいて白石が作られているが、これも宮崎県日向地方で採れるハマグリが使われていたが、今ではあまり採れなくなり、メキシコ産のハマグリが使われているというが、これもいつまで続けられるのだろうか。

浜の北側にもしばらく砂浜が続いている。
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