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仏の浜(2)

 昨日書いた「仏の浜」については、現在どうも風土記の遺称地とは違うのではないかという意見が多くなっているようです。

理由としては、
① 常陸国風土記に書かれている流れからすると、「藻島の駅家」と「飽田の村」との間にあると読めそうで、これらの遺称地がそれぞれ、日立市十王町伊師北部と、日立市相田町と考えられており、この度志観音のある日立市田尻町は相田町より少しばかり南であり、位置が違っている。
② この度志観音の彫られた時代が室町時代初期ごろではないかとみられ、奈良時代の風土記制作時期より後ではないかと考えられる。
③ この岸壁の位置が当時の海辺ではなく、少し内陸部ではないかとみられる。

などが言われています。

そのため、もう少し北の海岸に近い場所として、日立市小木津町の東連津川河口付近の岸壁に摩崖仏の像があるというので探しに行ってみました。

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小木津町の北側の東連津川近くの海岸付近まで行ってみました。
しかし、ここには海岸に降りられるような場所がなく、コンクリートの津波除けの塀が張り巡らされており、人が降りられる場所も密漁防止の看板とともに塞がれていました。

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浜辺には入れませんでしたが、東連津川の河口付近を塀の上から眺めてみました。
このように波打ち際まで岸壁が連なっていますが、摩崖仏らしきものはわかりません。

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ただ、この波打ち際に摩崖仏が1300年前にあったとしてもこの波と風ではとても今に残されているはずもないでしょう。

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ただネットには摩崖仏の写真があるので、もう少し内陸側の壁面に残されているのかもしれません。
まあ、なかなかここを訪れるのも少ないでしょうから、どこかでまた情報を得ながら探してみたいと思います。



常陸国風土記と共に | コメント(0) | トラックバック(0) | 2023/11/07 08:05
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