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新年おめでとうございます。

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

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今朝の日の出。 石岡市高浜地区 恋瀬川下流 「平和橋」にて

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今朝の筑波山

あいさつ | コメント(2) | トラックバック(0) | 2024/01/01 08:20

ふるさと風の会、今年最初の会報発行

 このブログも2010年8月から8年5か月、これは今所属している「ふるさと風の会」での活動とほぼ同じです。
この風の会のスタートは2006年の6月であるが、私がこの会に入会し、最初にここ会の会報に記事を書いたのは2012年11月号からです。
ただ、ブログを始めた頃にはすでに、この「ふるさと風の会」は存じており、非会員として白井先生などの会員の勉強会?などに時々顔を出しておりました。
会報に毎月記事を投稿する自信もなく、ただ何となくこの会の皆さんとの話しも居心地がよく、好き勝手なことを聞いたり、喋ったりして2年も経ってからの入会でした。
こんな2年間も態度をはっきりさせずに、会費も払わず、生臭坊主のような会員はいないんです。

ただ、このブログの方は毎日書くことを決めて、東日本大震災もあり、停電でパソコンが使えなくなっても、原発事故があっても、なんとか情報発信に徹したりしながら休まずに続けてきました。
そんなこともあり、理系人間がこんな郷土史家などと云われる何かを得たのかもしれません。

ふるさと風の会は、脚本家の白井啓治さんがまとめておられたのですが、御病気のため2019年6月に亡くなられ、折角立ち上げて頑張ってきた皆さんの意志を無くすわけにはいかないと記事の編集、印刷、配布、宣伝、HPなどに奮闘しておるわけです。

ただ毎月の会報発行は、流石に少ししんどくなり、1年前から年四回の発行にしたわけですが、どうも人間は不精が根っからの性分の様でして、原稿締切日は相変わらず過ぎても原稿が半分くらいしか集まりません。

自分の勤め人生活にては、この決められた締切日は遅れたら商売としては意味をなさなく成り、何としても徹夜をしてでも守ることが習慣ついていますので、これもまたイライラして・・・まあ健康第一ですからイライラは体に悪いので極力しょうがないと割り切る以外にありません。

今回も1月13日会報発行に対し、原稿の最終締め切り日を1週間前の1月6日にしたにもかかわらず、最終原稿は1月9日の夕方。
その原稿(手書き)をパソコン入力に翌日半日費やして、ページの穴を埋めるために、適当に今までに書いていた記事を捜して追加したりして、11日に印刷を終わらせました。
本来はこんなやり方は御法度ですね。
原稿を遂行したり、編集会議したり、誤字脱字のチェックをしたりすべきだと思います。
でも、完全を私は求めていないのです。
私の優先するのは、休まずに発行すること。これなのです。

会報の記事を読まれた方から、時々誤字脱字などのご指摘を頂きます。
これはこれで、読んでいただけていることを感謝し、御礼を申し上げますが、どうぞこんなやり方で作っているものですので、どうか大目に見逃してほしい!

今回発行の会報「ふるさと風 204号」です。

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記事はこちらからPDFで読むことが出来ます。⇒ こちら
(過去のもものなどもすべて、ふるさと風のホームページにリンクされています。 HP ⇒ こちら

また、今年は耳の聞こえないろうあ者との会話ができるように「手話の勉強会」を1年かけて来月から行います。

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これも、勇気を出して手話は積極的に使わなければ覚えられないでしょうね。
本来恥ずかしがり屋の私に習得できるでしょうか??
まあ、最近は年取って、あまりこの性分は影を潜めているから何とかなるかな?

現在テキストを印刷中です。これも本づくりのノウハウが生きますね。



ことば座・風の会 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2024/01/14 15:39

さようならホテル「ぎょうけい館」

 昨日、1月半ばであったが、今年正月過ぎて初めての銚子へ出かけた。
正月に前に銚子で老舗のホテル「ぎょうけい館(暁鶏館)」で前にランチを食べたことを思い出した。
今もランチはやっているかな? と検索してみたら、何と昨年1月(1年前)に営業停止していた。

様々な文豪たちも宿泊したという明治初めにできた老舗ホテルだが、とうとうコロナ禍最後に閉店してしまったという。
たしかに建物も老朽化し、周りにいくつもホテルは林立しているのだから、無理もないかもしれない。
混むのは恐らく正月の初日の出が最も早く見られる時だけなのかもしれない。
創業は明治7年(1874年)というので約150年の歴史があるホテルだけに残念な思いがします。
銚子は多くの文豪たちも訪れていますが、東京よりも夏場は気温が低く、冬場は暖かいというので、避暑などで昔から人気があったようです。

 <前の記事>
 2014年7月の記事 ⇒ こちら
 2016年12月末の記事 ⇒ こちら
 上の記事の時の犬吠埼などの写真記事 ⇒ こちら
 2019年9月の記事 ⇒ こちら

ただ、この閉店後どうなったかが紹介されている記事が少ないようなので、今回様子を見に行ってみることにした。

場所は何度か行っているので見当をつけてホテル入り口近くにやってきたが、ホテルの駐車場からその前の海岸への道は通行止め。

犬吠埼灯台から、南の長崎鼻までの海岸線は奇岩なども多く、磯遊びにも向いている。
この間の湾曲した海岸線は「酉明浦(とりあけのうら)」と言い、1億5000万年まえからの地層がで出来ているそうです。
この「酉明浦」の名前も、「ぎょうけい館(暁鶏館)」の名前もどうも意味は同じようですね。
この海岸で、たくさんの野鳥が 夜明けと共に鳴き始めるということなのでしょう。

またそこからの犬吠埼の眺めは素晴らしく、北側の君ヶ浜側の眺めよりもスケール感が大きくて好きです。

そのため少し南下して、酉明浦の湾曲した少し南側の「長崎海水浴場」という砂浜の海岸に行ってみました。

酉明浦

酉明浦の磯場と比べ砂浜が広がり、夏には海水浴客が賑わうのでしょうか?
ここから犬吠埼方面を眺めてみました。

犬吠埼灯台

波がもう少し高ければかなり雄大な眺めとなりそうです。

では酉明浦沿いには多くのホテルが建っているのが見えます。

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写真右側の高い建物は「銚子グランドホテル」、手前左側の大きな建物は「犬吠埼観光ホテル」のようです。
少し影となって隠れていますが、「ホテル海と森」「ホテル&スパ太陽の里」「ホテルニュー大新」などのホテルや温泉施設などがあります。

しかし、海岸線の中心部分にあった3階建ての「ぎょうけい館」がすでに取り壊されてしまったようです?
1台の大きなクレーン車が見えます。

調べて見ると昨年6月からこの解体工事が行われているようです。
とても残念なことですが、これも時代の流れなのでしょう。

目に焼き付けておきます。


銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2024/01/17 11:21

智恵子抄と銚子ぎょうけい館

昨日銚子の老舗ホテルのぎょうけい館が閉鎖されていたことを書いた。(こちら
この宿には皇族、政治家や文豪など数多くの有名人が宿泊したと書かれている。

特に高村光太郎が智恵子と最初に親しくなった場所というので、青空文庫で「智恵子抄」に書かれている内容を探した。
一部ではあるが、見つかったので参考のため紹介しておきます。

<抜粋>

追憶の中の彼女をここに簡単に書きとめて置かう。
 前述の通り長沼智恵子を私に紹介したのは女子大の先輩柳八重子女史であつた。
女史は私の紐育(ニユーヨーク)時代からの友人であつた画家柳敬助君の夫人で当時桜楓(おうふう)会の仕事をして居られた。
明治四十四年の頃である。
私は明治四十二年七月にフランスから帰つて来て、父の家の庭にあつた隠居所の屋根に孔をあけてアトリエ代りにし、そこで彫刻や油絵を盛んに勉強してゐた。
一方神田淡路町に琅※(「王+干」)洞(ろうかんどう)といふ小さな美術店を創設して新興芸術の展覧会などをやつたり、当時日本に勃興(ぼつこう)したスバル一派の新文学運動に加はつたりしてゐたと同時に、遅蒔(おそまき)の青春が爆発して、北原白秋氏、長田秀雄氏、木下杢太郎(もくたろう)氏などとさかんに往来してかなり烈しい所謂耽溺(たんでき)生活に陥つてゐた。
不安と焦躁と渇望と、何か知られざるものに対する絶望とでめちやめちやな日々を送り、遂に北海道移住を企てたり、それにも忽ち失敗したり、どうなる事か自分でも分らないやうな精神の危機を経験してゐた時であつた。
柳敬助君に友人としての深慮があつたのかも知れないが、丁度さういふ時彼女が私に紹介されたのであつた。
彼女はひどく優雅で、無口で、語尾が消えてしまひ、ただ私の作品を見て、お茶をのんだり、フランス絵画の話をきいたりして帰つてゆくのが常であつた。
私は彼女の着こなしのうまさと、きやしやな姿の好ましさなどしか最初は眼につかなかつた。
彼女は決して自分の画いた絵を持つて来なかつたのでどんなものを画いてゐるのかまるで知らなかつた。
そのうち私は現在のアトリエを父に建ててもらふ事になり、明治四十五年には出来上つて、一人で移り住んだ。
彼女はお祝にグロキシニヤの大鉢を持つて此処へ訪ねて来た。
丁度明治天皇様崩御の後、私は犬吠(いぬぼう)へ写生に出かけた。
その時別の宿に彼女が妹さんと一人の親友と一緒に来てゐて又会つた。
後に彼女は私の宿へ来て滞在し、一緒に散歩したり食事したり写生したりした。
様子が変に見えたものか、宿の女中が一人必ず私達二人の散歩を監視するためついて来た。
心中しかねないと見たらしい。
智恵子が後日語る所によると、その時若(もし)私が何か無理な事でも言ひ出すやうな事があつたら、彼女は即座に入水して死ぬつもりだつたといふ事であつた。
私はそんな事は知らなかつたが、此の宿の滞在中に見た彼女の清純な態度と、無欲な素朴な気質と、限りなきその自然への愛とに強く打たれた。
君が浜の浜防風を喜ぶ彼女はまつたく子供であつた。
しかし又私は入浴の時、隣の風呂場に居る彼女を偶然に目にして、何だか運命のつながりが二人の間にあるのではないかといふ予感をふと感じた。
彼女は実によく均整がとれてゐた。

 やがて彼女から熱烈な手紙が来るやうになり、私も此の人の外に心を託すべき女性は無いと思ふやうになつた。
それでも幾度か此の心が一時的のものではないかと自ら疑つた。
又彼女にも警告した。
それは私の今後の生活の苦闘を思ふと彼女をその中に巻きこむに忍びない気がしたからである。
其の頃せまい美術家仲間や女人達の間で二人に関する悪質のゴシツプが飛ばされ、二人とも家族などに対して随分困らせられた。
然し彼女は私を信じ切り、私は彼女をむしろ崇拝した。
悪声が四辺に満ちるほど、私達はますます強く結ばれた。
私は自分の中にある不純の分子や溷濁(こんだく)の残留物を知つてゐるので時々自信を失ひかけると、彼女はいつでも私の中にあるものを清らかな光に照らして見せてくれた。

汚れ果てたる我がかずかずの姿の中に
をさな児のまこともて
君はたふとき吾がわれをこそ見出でつれ
君の見出でつるものをわれは知らず
ただ我は君をこよなき審判官さばきのつかさとすれば
君によりてこころよろこび
わがしらぬわれの
わがあたたかき肉のうちに籠(こも)れるを信ずるなり

と私も歌つたのである。
私を破れかぶれの廃頽(はいたい)気分から遂に引上げ救ひ出してくれたのは彼女の純一な愛であつた。

<抜粋 ここまで>

ここに出てくる高村光太郎が写生に行ったという犬吠の宿が「ぎょうけい館」であり、別の宿にいた智恵子をこの宿に宿替えして、二人で散歩したり話し合ったり・・・・ でも自殺者ではないかと宿の女中から常に監視されていたという。

また結婚後、精神を病んでいた智恵子を、ここよりさらに南の九十九里浜に静養させるために、昭和九年5月より12月迄の約八か月間転地させたという。
場所は九十九里町真亀納屋にあった「田村家の別荘」で、智恵子の実妹斉藤せつ夫妻が仮住まいしていたという。
光太郎は毎週1回は東京から必ず見舞ったという。


<風にのる智恵子>
狂つた智恵子は口をきかない
ただ尾長や千鳥と相図する
防風林の丘つづき
いちめんの松の花粉は黄いろく流れ
五月晴(さつきばれ)の風に九十九里の浜はけむる
智恵子の浴衣(ゆかた)が松にかくれ又あらはれ
白い砂には松露がある
わたしは松露をひろひながら
ゆつくり智恵子のあとをおふ
尾長や千鳥が智恵子の友だち
もう人間であることをやめた智恵子に
恐ろしくきれいな朝の天空は絶好の遊歩場
智恵子飛ぶ

<千鳥と遊ぶ智恵子>
人つ子ひとり居ない九十九里の砂浜の
砂にすわつて智恵子は遊ぶ。
無数の友だちが智恵子の名をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
砂に小さな趾あしあとをつけて
千鳥が智恵子に寄つて来る。
口の中でいつでも何か言つてる智恵子が
両手をあげてよびかへす。
ちい、ちい、ちい――
両手の貝を千鳥がねだる。
智恵子はそれをぱらぱら投げる。
群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
人間商売さらりとやめて、
もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える。
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち尽す。

智恵子抄碑
(智恵子抄の碑:九十九里総合案内より、碑は詩人の草野心平の建立)


ただ残念ながら病状はそれほど良くならなかったらしい。
この後、この九十九里から東京の病院(南品川のゼームス坂病院)に入院した。
この病院の跡地に慰霊碑「レモン哀歌の碑」があるという。
でも、こうして文学を読み直してみるのもイメージがわいてよいと思う。

銚子 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2024/01/17 20:58

神之池と鹿島コンビナート

 銚子へ行く途中、神栖で鹿島コンビナートの高い塔から白い煙が目に入り、市内の神之池(ごうのいけ)に立ち寄ることにしました。
立ち寄ると云っても街道沿いにあるので、通りからすぐに車を駐車場に停められます。

この神之池は現在池の周りは緑地ベルトがめぐらされ、緑地公園となり、静かで朝からジョギングする人などが沢山います。
また、市役所などの行政機関も並んでいます。

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神之池(ごうのいけ)の現在の面積は44万平方メートル。
実はこの池は常陸国風土記に「寒田(さむた)」として名前が出てきます。
西暦649年に、この寒田沼の北の那賀国から5里(さと)とすぐ南の海上国の軽野(かるの)の南1里(さと)を合わせて香島郡が成立したとなっています。
Wiki.によればこの沼(池)は、西暦600年頃に淡水の池となり、周りの地域の水田などの水として使われていたようです。

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しかし、鹿島コンビナト建設に伴い、建設前に305万5千平方メートルあったというこの池は1/7だけ残して北側はコンビナト用地として埋め立てられたそうです。
ですから今見る池の7倍の広さがあったのですね。

ここから北側にフレアスタックなどの煙突が見え、白い煙を空に向かってはいています。

このフレアスタックも時々赤い炎がみられる時もありますが、いろいろなところから漏れたガスを燃やし、水蒸気なども空に向かって流します。
煙突を高くしてここにシールから漏れたガスなどを誘引し、無害化するために燃やします。

私も、企業でこのようなコンビナートに使われる大型の回転機械のエンジニアをしていましたので、このコンビナートの工場(鹿島石油さんなど)には何度かお邪魔しております。
まあ今はすっかり外から見るだけになりましたが・・・・
日本の高度成長を牽引していたものなのですが、・・・
煙突の白い煙と、真っ白な空の雲が全く区別がつかないようになっていますね。
ただ夜になると赤い炎が見えるかも知れませんね。

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現在池の中ほどに両側をつなぐ橋が設けられ手織り、水鳥たちもゆったりくつろいでいました。


神栖 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2024/01/19 12:56

水郷北斎公園(牛堀)

 霞ヶ浦の茨城側(北東側)の国道355号線は潮来市手前で水戸・鹿島-香取成田千葉間をつなぐ国道51号線一緒になり、香取(旧佐原)まで国道51号線と一緒になります。
しかし、潮来市街にはこのまままっすぐに進むと、そこは「牛堀」となります。
この牛堀も今は潮来市の一部となって居ますが、江戸時代から明治時代頃には「常州牛堀」と呼ばれた水郷地区の一部で、葛飾北斎も富岳三十六景の19番にてここからの富士山を描いています。

  常州牛堀(富嶽三十六景) ⇒ こちら

また、川瀬巴水も大正から昭和初期にかけて、この牛堀地区の水郷景色を好んで版画制作をしています。

私も銚子への道すがら時々この牛堀にある「水郷北斎公園」に立ち寄ります。
今回も途中休憩のためにちょっとの時間でしたが立ち寄りました。

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目の前は霞ケ浦の水が利根川の方に流れる「常陸利根川」と呼ばれる川です。
そして東南方面が銚子側なのですが、午前中のため太陽が輝いていて、川面はキラキラ輝いています。
江戸時代から明治、大正頃はこの牛堀は水運なども発達し、沢山の帆掛け船(高瀬舟)が行き来していたようです。
また、牛堀は「風待ち湊」と呼ばれ、ここを行き来する舟が、海風・陸風の風の方向の変わるのを待つ港でもありました。

いまこの「北斎公園は川沿いに少し緑地の芝生地が広がっていますが、ここは河の上に浮かんで緑地となるように作られたもののようです。
川岸に行くと、この緑地の下にゴムタイヤなどが並べられて浮いているのがわかります。


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銚子の反対側の霞ケ浦側を見て見ると、国道51号線の橋が見えます。
右側が鹿島・水戸方面、左側が香取・成田・千葉方面です。
この51号線辺りまでが霞ケ浦(湖)で、ここから常陸利根川となって、銚子手前で利根川と合流します。
合流地点には水門があり、海からの水がさかのぼらないように調整し、また霞ケ浦の水位をコントロールしています。

さて、上の写真の川の対岸(左側)に水門が見えます。ここから横利根川といわれる川が利根川とつながっています。
この水門は上下に開閉しますが、反対側の利根川近くの水門は「横利根閘門」といわれる国の文化財に指定されている観音開きの開閉扉の水門があります。
赤レンガつくりの水門は見ごたえ十分です。
霞ヶ浦水運発達のために、この横利根川が運河として機能したのです。

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さて、川と反対側の山側を見ると、この写真の左側が駐車場で、私は時々この場所でトイレ休憩に立ち寄ります。
奥に見える神社は「三熊野神社」という古い神社があります。

前に書いた三熊野神社と巴水の版画 ⇒ こちら



潮来地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2024/01/20 11:46
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