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驚きの小幡城跡(茨城町)

 正岡子規の「水戸紀行」を読み進めていて、気になった場所を探しながら旧水戸街道の「小幡宿」にやってきました。
ここは水戸から「長岡」のつぎにあたる2番目の宿場町でした。

その旧宿場の通りの中ほどの大きな木の根元に石像や「聖徳太子」などと書かれた石碑が集められている場所があり、そこに「小幡城跡」の矢印看板が置かれていました。

どの程度の城跡なのかはよく知りませんので、先ずは行って見ないことには・・・

車で畑の中に続くような1本道をくねくね走って、道路の脇に大きな駐車場があり、中世の城としてはしっかり整備されていそうです。

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まあ天気の良い日に来ればいいのだろうけど、あいにくの雨模様。傘をさすほどではなかったのだが・・・

この駐車場から少し行った所から城跡への入口がありました。

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大きな入口です。

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茨城町指定史跡となっています。

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ここから城跡へ入ると、その遺構の規模に圧倒されます。
「何だここは!」といった衝撃が走りました。

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こんな中世の城跡は見たことがありません。

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それ程大規模な城跡でもないのですが、その一山の中をこのような掘り込みの道がグネグネとつづいていて、そこから城の建物などがあった場所などを見上げるように・・・

一般に堀は敵の侵入を防いだりする役目がありますが、この「堀底道」と名付けられた道は、一般の通路としても使われていたようです。

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確かにこれはなかなか面白い。

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これは「土橋」と呼ばれていますが、小さな山の上にそれぞれ「郭(くるわ)」があり、七つあったようです。その郭と郭を繋ぐ土で盛った通路の橋のことだと言います。

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このような堀底道がこの城跡の中に迷路のように続きます。

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ただし案内板はしっかりしていますので道に迷うことはないでしょう。

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階段を昇って、櫓(やぐら)跡などをみて、また下の堀の道を本丸方向へ

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やっと本丸のあった場所に到着しました。

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それ程大規模ではないが、かなりコンパクトにまとまっていて、中世の城マニアであれば必ず押さえて置くべき遺構のように思います。
最近は御城印などがはやりのようですが、この周りにはそのようなものはありません。
私にはそのような印集めには興味はありませんので、そのようなブームは、かえって煩わしく感じています。

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この城の歴史的説明版は、入口の近くにありました。

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城の築城が2つの説が書かれているが、最初の「大掾詮幹の三男の義幹」とあるが、これは??
石岡では現在の石岡小学校の所(旧国府跡)に1350年頃に府中城呼ばれる大きな城が築かれたと言われており、それを築いたのが「大掾詮国(だいじょうあきくに)」だと言われています。
一般に大掾(だいじょう)氏は「幹(もと)」という字を名前にいれています。
この詮国(あきくに)も元の名前は「文幹(ふみもと)」でした。
足利室町幕府への功績が認められ、2代目足利将軍である足利詮国(よしあきら)から一字「詮」の字を頂いて「詮国(あきくに)」と名乗ったと言われています。

ここに出てくる「大掾詮幹」は詮国のことだろうと推察できますが、茨城町教育委員会はこの名前に「だいじょうのりもと」と読み仮名を振っています。
「のりもと」なのか「あきもと」なのか??

もう少し調べて見ないといけないのだろうね。
この近くには国の史跡の「小幡北山埴輪製作遺跡」があります。
古代から歴史のある地域ですので私もも少し勉強しないとだめですね。

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この城の入口から道路の反対側をながめると神社の鳥居が見えました。
この神社は「香取神社」といいます。

まあよくわかっていないという城跡ではありますが、この近辺の中世の城跡としては今までに一番驚いたという表現があてはまる程の場所でした。
一度見学をおすすめします。



水戸・茨城・ひたちなか | コメント(0) | トラックバック(0) | 2024/03/06 11:28
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