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明法房(弁円)の寺と墓(2)

 昨日の続きです。
親鸞の弟子二十四輩の第十九番目が 山伏弁円こと「明法房」です。

昨日は真宗本願寺派の「上宮寺(じょうぐうじ)」を紹介しましたが、今日は真宗大谷派の「法専寺(ほうせんじ)」を紹介します。
このお寺は常陸大宮市東野(とうの)地区にある寺で、山伏弁円が最初にこの地で修験場を開いた場所です。

弁円の素性ははっきりしないとされていますが、ここでは平清盛の孫と云われています。
正確には清盛と時子の長子で平宗盛の一子「能宗(よしむね)」その人だとされています。

吾妻鏡や平家物語では壇ノ浦の平家滅亡後に捕らえられて六条河原で切られたとされておりますが、こちらの言い伝えでは、

「能宗六歳の幼童なれば、源家の権勢を豊前に遁(のが)れ、暫く武門を去る。文治元年六月、父宗盛兄清宗親子は、頼朝の為、近江篠原にて斬らる。長じて修験道に志し、十八歳の年、洛陽聖護院宮親王に師事し、始め清円と号し、後に祖父清盛、保元戦功により、授かりし播磨守を持嘱し、豊前僧都播磨公弁円と改称せり。・・・・・・・・・・久慈西郡塔の尾村字楢原(今の常陸大宮市東野)に、戒壇を構え、法徳院と号し、寺領五百石を賜り、後に関八州総司となり、末派三十五坊を総欄し、門弟百余名を擁し、崇敬を得て、権勢国中を風靡せり。・・・・・・」(楢原山法徳院常陸法専寺略縁起による)
(これはお寺の御住職から頂いた縁起書の一部です)

となっています。

国道293号線を北上し、玉川交差点を左折し、100m先を右折してしばらく行くと法専寺の前に出ました。
隣に公民館兼用の大きめの駐車場があります。

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寺は山のふもとに立っており、山間の静かなたたずまいです。
山門が美しい。

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山門の左側に大きな石の碑が二つ置かれています。
右は「元之山伏弁円 明法御房之聖跡 開基往生の地」
左は明法房が板敷山で詠んだ歌が刻まれています。

「山も山 道も昔に 変わらねど 変わり果てたる 我が心かな」

この歌は石岡市の板敷山大覚寺の近くの裏山に碑が置かれています。(弁円懺悔の地⇒こちら

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この寺の山号など正式名は「楢原山法徳院 法専寺」です。
楢原山は上宮寺と同じですが、院号が「法徳院」となっています。
この地に弁円が開いた寺の名前です。

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山門にはこのような板と木槌がありました。
来客を知らせるためでしょうか。
しかしそのまま素通りして境内へ。

近くの立て看板などの説明文を読んでいたところ、寺の母屋から奥様が出て来られ、
「お茶をお持ちしますから少しお待ちください」と

境内には木で作られたテーブルと椅子があります。
すると今度はおてらの御住職が出て来られました。

少しお話をお伺いして、私のここに来た目的などもお話して。
その話の中で、
ご住職「今本堂が修理中で・・・・」
私「今の本堂は何時頃建てられたものでしょうか?
御住職「江戸時代は今の場所ではなくもう少し右側にあったのですが、明治の初めに取り壊され、こちらに建て直した」と
私「檀家さんなどはかなりおられるのですか?」
御住職「50軒くらいでしょうか、実はこの辺りは水戸藩の政策で寺はかなり減らされ、神道の御家庭が多いのです。ただ、寺の維持や道の整備などには皆さん協力して頂いて助かっています」

そんな話をしていると奥様がお茶とお菓子をもってこられました。

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温かいお茶と和菓子(桜餅)。 この桜餅は奥様の手作りとの事。
本物の桜の葉とあんこの入ったお餅。
とても和む子持ちの良さ・・・。
また寺の縁起書や寺宝の仏像などの説明書に弁円の墓所がこの裏山の向こうにあると言って、車で行ける道のGoogle地図も頂きました。

御塔に御馳走にまでなってしまい大変ありがとうございました。

常陸大宮市の観光説明書には「お茶を飲みながら人生を語る寺」と書かれていました。

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(宝物館)

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(工事中の本堂と裏山:この山の向こう側に弁円墓所がある)

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(本堂の扁額)

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(山門と寺の母屋)

頂いた弁円の墓所の地図を参考にこの裏山の向こう側へ。 次回へ



親鸞と茨城 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2024/03/18 08:56
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