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潮来の古刹・長勝寺へ

 潮来で、桜を見るのに毎年のように立ち寄っている源頼朝由来の古刹長勝寺さんに立ち寄りました。

桜に丁度良いかと思ったのですが、既に散り初め、少し遅かったようです。

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ただ、今回ここに来たのは芭蕉の句碑を確認するためですので、桜は二の次です。

鹿島紀行(鹿島詣)の時に、潮来の自準亭(本間道悦宅)で詠んだという句の句碑です。
前にも何度も見ていたのですが、説明看板が泣く、石碑もよく読めずにあまりよく調べてもいなかったのです。

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本堂に向かって左手の文治梅の碑のとなりにありました。
説明の看板はありません。

鹿島紀行には

帰路自準の家に宿ス
塒(ねぐら)せよわらほす宿の友すヾめ  主人
あきをこめたるくねの指杉   客
月見んと汐引のぼる船とめて  曾良

とありますが、芭蕉が鹿島へ月見に来たのは「貞享四年(1687)八月」のことです。
帰りに潮来の天王河岸そばにあった医師本間道悦の自準亭に立ち寄りそこで詠んだ3句です。

上の主人とあるのは本間道悦のことで号は「松江」といいました。
また「客」とあるのが芭蕉のことで「ここには「桃青」と彫られています。
曾良についてはカタカナで「ソラ」とあります。

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潮来の教育委員会などの解釈は、芭蕉が自準亭に15日余り宿泊して、道悦から薬草や医術の知識を教わったとされ、この鹿島での紀行文などをこの自準亭で作成したとされ、その後本間家に残されていたこの文を「鹿島詣(まいり)」として1758年に本間家から発行された。というようだ。(あまり明確にではないが)

鹿島紀行としては寛政二年(一七九〇)刊行となっていますので、名前の表現の違いなどは別々に発行されたためだと思われます。

ここ長勝寺の句碑は昭和7年に潮来の俳人達が建てたといいます。その時に残されていた場所の書いたとされる書を石碑に刻印したようです。
石碑の裏面に何やら説明が書かれているのですが、よく判読できません。

もう一つ芭蕉の句碑がこの長勝寺にあります。

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それはこの大きな紅葉の木の下に置かれています。
新緑がきれいにはえています。

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「たび人と吾が名よばれむはつしぐれ」
これは芭蕉の「笈の小文(1709年)」にある句です。
貞享4年(1687年)10月の父の三十三回忌の時に詠んだ句のようです。

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この碑は、寛政元年(1789年)10月の建立とありました。

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緑も美しいですね。




潮来 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2024/04/11 15:01
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