子生(こなじ)の浜
鉾田の少し北の鹿島灘に面した浜に近いところに子生(こなじ)(旧旭村?)という場所があります。
この変わった名前の場所は、石岡の一部の人にとっては有名な場所なんです。
石岡に残る「国分寺の鐘伝説」(こちら)では、この場所に国分寺の雌雄2つの鐘が最初にこの浜に浮かんだ場所だからです。
そして、この伝説が石岡駅の下りホームに壁画として飾られているのです。(こちら)
この話は石岡では有名な話なのですが、この話をモチーフに作られた石岡の銘菓「釣鐘最中(つりがねもなか)」は知っていても、この話を知らない人も結構いるようですので、石岡の方でこのブログを読んでおられて、知らなかったら上にリンクしたHPを読んでみてくださいね。
この話は石岡以外にも、霞ヶ浦周辺にいくつも伝わっています。
この子生周辺の話では、ここから2つの鐘を常陸国府(現石岡)の国分寺に運んだのは「弁慶」になっていたりします。
逆に石岡では一つの鐘が盗まれてしまいますが、盗んだのはやはり「弁慶」だというのもあります。
伝説ですから力持ちは皆弁慶になってしまうようです。
もちろん時代も合いません。
子生は少し内陸よりなので、適当に玉田あたりに検討をつけて海を目指しました。

正面に海が見えてきました。ここで車は通行止めになっています。
歩いていくのは良いようなので、空き地に停めて歩いて坂道を下っていきました。
通行止めの入口に工事中らしく警備員さんが立っていました。

道路の両サイドにカラーコーンが置かれており、路肩が危ないのかもしれません。
この近くも地震と津波で被害を受けたのでしょう。

(サムネルです)
海岸にでました。
台風が過ぎたと思いましたが、かなり波が高いです。
北側は大洗海岸の方向ですが、波消しのブロックが置かれているのかと思いましたが、形が傘の弧のような形をしています。
先ほどの警備の方に、砂の流出防止だと後で伺いました。

昔は砂浜ももっと遠くまで広がっていたそうです。
今ではこのように波で流出してしまったのでしょう。
鹿島灘は波が荒く、船の難破も何度もあります。

(サムネルです)
南の方を見ると、波のしぶきで薄らと白いもやのようになっていました。
こんな波の高い海に船で鐘を運んできたとも考えられません。
さて、何故ここが子生という名前で、国分寺の鐘がここから運ばれたと伝説が何故生まれたのだろう。
荒れた海を眺めながらそんなことを考えていた。
そうそう、先ほどの入口に立っていた警備のおじさんも人が良さそうな方だったので、声をかけてみました。
「今日は暑くなりましたね。」
「そう。だからここ(木の陰)に立ってるの」
「でも大変ですね。昨日はもっと海の波は高かったのですか」
「いや、こんなものでしたよ。今日と同じくらい。」
「砂浜が少ないですね。」
「昔はもっと沖まで砂浜だったようだが、波で持って行かれてしまったらしい。」
「そうですか。昔みたいに戻ればいいですね。」
てな具合です。お粗末です。
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この変わった名前の場所は、石岡の一部の人にとっては有名な場所なんです。
石岡に残る「国分寺の鐘伝説」(こちら)では、この場所に国分寺の雌雄2つの鐘が最初にこの浜に浮かんだ場所だからです。
そして、この伝説が石岡駅の下りホームに壁画として飾られているのです。(こちら)
この話は石岡では有名な話なのですが、この話をモチーフに作られた石岡の銘菓「釣鐘最中(つりがねもなか)」は知っていても、この話を知らない人も結構いるようですので、石岡の方でこのブログを読んでおられて、知らなかったら上にリンクしたHPを読んでみてくださいね。
この話は石岡以外にも、霞ヶ浦周辺にいくつも伝わっています。
この子生周辺の話では、ここから2つの鐘を常陸国府(現石岡)の国分寺に運んだのは「弁慶」になっていたりします。
逆に石岡では一つの鐘が盗まれてしまいますが、盗んだのはやはり「弁慶」だというのもあります。
伝説ですから力持ちは皆弁慶になってしまうようです。
もちろん時代も合いません。
子生は少し内陸よりなので、適当に玉田あたりに検討をつけて海を目指しました。

正面に海が見えてきました。ここで車は通行止めになっています。
歩いていくのは良いようなので、空き地に停めて歩いて坂道を下っていきました。
通行止めの入口に工事中らしく警備員さんが立っていました。

道路の両サイドにカラーコーンが置かれており、路肩が危ないのかもしれません。
この近くも地震と津波で被害を受けたのでしょう。

(サムネルです)
海岸にでました。
台風が過ぎたと思いましたが、かなり波が高いです。
北側は大洗海岸の方向ですが、波消しのブロックが置かれているのかと思いましたが、形が傘の弧のような形をしています。
先ほどの警備の方に、砂の流出防止だと後で伺いました。

昔は砂浜ももっと遠くまで広がっていたそうです。
今ではこのように波で流出してしまったのでしょう。
鹿島灘は波が荒く、船の難破も何度もあります。

(サムネルです)
南の方を見ると、波のしぶきで薄らと白いもやのようになっていました。
こんな波の高い海に船で鐘を運んできたとも考えられません。
さて、何故ここが子生という名前で、国分寺の鐘がここから運ばれたと伝説が何故生まれたのだろう。
荒れた海を眺めながらそんなことを考えていた。
そうそう、先ほどの入口に立っていた警備のおじさんも人が良さそうな方だったので、声をかけてみました。
「今日は暑くなりましたね。」
「そう。だからここ(木の陰)に立ってるの」
「でも大変ですね。昨日はもっと海の波は高かったのですか」
「いや、こんなものでしたよ。今日と同じくらい。」
「砂浜が少ないですね。」
「昔はもっと沖まで砂浜だったようだが、波で持って行かれてしまったらしい。」
「そうですか。昔みたいに戻ればいいですね。」
てな具合です。お粗末です。


今まで何て読むのか、全然分かりませんでした(笑)
石岡の”国分寺の鐘”に大いに関係のある土地だったのですね(*^_^*)
あの伝説はてっきり、石岡独自のものだと思っていましたが、他にもあったんですね
まあ、伝説なんて所詮、そんなものかもしれませんね。
それにしても石岡って本当に伝説が多い街ですよね(*^_^*)ゆかりある土地を訪ね歩く旅も面白そう!!
明日は土浦の花火ですね。
NHKで中継するそうですね。
私は多分行かないかな? 混むのが苦手で。
> 『子生』=”こなじ”でしたか^^;
> 今まで何て読むのか、全然分かりませんでした(笑)
そうですか。確かに読めませんよね。
吉生(よしう)より難しいですね。
> 石岡の”国分寺の鐘”に大いに関係のある土地だったのですね(*^_^*)
> あの伝説はてっきり、石岡独自のものだと思っていましたが、他にもあったんですね
そうなんですよ。たくさんあるんです。
霞ヶ浦に沈んだ鐘を水戸黄門さんが女性の髪の毛を束ねて太い綱を作って引き上げさせたけど、途中で切れてまた沈んでしまったなんてものもありますよ。
> それにしても石岡って本当に伝説が多い街ですよね(*^_^*)ゆかりある土地を訪ね歩く旅も面白そう!!
伝説はたくさんあるはずなんですが、大切にしないのでまったくバラバラで根付いていないんです。
悲しいことですね。
何か知っている面白い話があったら教えてくださいね。