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白井家-慶喜が最後に休憩した家

 鉾田市の中心部から、海岸沿いの国道にでる途中の街道沿いに大きな門構えの家があった。

門の前に説明板が置かれているので、一旦通り過ぎたが戻って見学した。

IMG_4365s.jpg

「白井家」とあります。

慶喜は慶応3年10月に大政を奉還し、翌慶応4年4月に江戸城を明け渡して、上野寛永寺から水戸の講道館の一室に身を寄せました。

そしてそれから3ヶ月後の7月に駿府(静岡)に移された。その移動時に休憩した家がこの白井家であったという。

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(サムネルです)

当時を偲ばせてくれる大きな門構えの家です。

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(サムネルです)

水戸街道で江戸に向かうのではなく、この海運ルートを通って行ったのは、こちらの方が身は安全と判断したのでしょう。
(霞ヶ浦水運ルートについては前に書いた記事 → こちら を参照下さい。4番目の那珂湊内海ルートです。)

水戸から船で涸沼へ進み、対岸より鉾田まで陸を進み、ここ鉾田で1泊。
そして、ここからまた船で北浦から霞ヶ浦を通って利根川-江戸川と通ると江戸まで船で行けます。

この白井家は立派な庭を持つ大きな家です。

IMG_4369s.jpg
(サムネルです)

慶喜は江戸城を明け渡して上野寛永寺から水戸の講道館に謹慎し、その後、駿府(静岡)に行きます。
そして明治30年に東京巣鴨に住み、大正の初めまで生きています。

さて、この白井家の前を通る街道の反対側に大きな「メロンの森」という観光施設がありました。
メロンの時期(5~7月始め、及び9・10月)にはメロン狩りやバーベキューができるようです。
鉾田のメロンは有名なんです。

IMG_4363s.jpg

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鉾田 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2012/10/17 17:45
コメント
No title
こんばんは!
秋のお祭りで忙しかった事とモデムが故障してしまい、
しばらく訪問する事ができませんでした (>_<)
その間も訪問してくださり、ありがとうございます。

お写真をみて、今でも白井家が綺麗に残されている事に驚きました。
僕は歴史に詳しくないのですが、ここで休憩をした慶喜は時代の変化をどの様に感じていたのかなぁ!とふと考えてしまいました。

貴重な史跡はいつまでも大切に残したいと思いました☆



かるがも@さん
こんばんは。訪問嬉しいです。

> 秋のお祭りで忙しかった事とモデムが故障してしまい、

お祭りだったのですか。いつも頑張っているお姿を想像しています。

> その間も訪問してくださり、ありがとうございます。

今月から仕事も暇になってしまいました。
まあ、昔は忙しかったので、この年になれば暇をどう使うかに頭を痛めます(笑)

> 僕は歴史に詳しくないのですが、ここで休憩をした慶喜は時代の変化をどの様に感じていたのかなぁ!とふと考えてしまいました。

そうなんです。歴史も教科書ではなくその風景と一緒にながめると、なんか違って見えてきたりします。
慶喜は将軍なんかになりたくなかったのです。鳥羽伏見の戦いでは、まだ戦えたのにさっさと逃げ出し、江戸城も未練もなく手放してしまいました。
でも本当の思いはどんなだったのかなどと考えちゃうんですよ。
この水運の道を通ったなどということも歴史本などには出てこないですね。

コメントありがとうございました。
こんにちは
慶喜が静岡で住んでいた屋敷は、今は浮月楼という料亭となっています。
もし、静岡においでになる事がございましたら、静岡駅から徒歩で行ける場所にありますので、昼食を取りながら散策されても良い所です。
カミさん 様
こんにちは

> 慶喜が静岡で住んでいた屋敷は、今は浮月楼という料亭となっています。
そうですか。すてきな料亭なんですね。
なかなかこういうところには出入りしませんので、すこし敷居が高いです。

> もし、静岡においでになる事がございましたら、静岡駅から徒歩で行ける場所にありますので、昼食を取りながら散策されても良い所です。

伊豆には行くこともありますが、静岡は通過するだけで、あまり行ったことがないです。
駿河府中が駿府になり、静岡という名前も茨城と似たところがありますね。

歴史も調べた面白そうですが、今は地元だけで手一杯です。(笑)
今日もお越しいただきありがとうございました。

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