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あゝ石岡駅(7)

 さて、石岡駅をテーマにこのブログも6回書いたが、何かまだ足りない。
やはり「鹿島鉄道」についてふれなければ物足りないのだ。
しかし、私はこの鹿鉄についてあまり知らない。
私がここ石岡に来た時はすでに廃止の話が持ち上がっていた。
存続を訴える住民、高校生などの活動も結構活発だった。
今思えば、廃止は実にもったいないことをしたと感じているのだが・・・・。
鹿鉄については、そのファンなどもいくつかHPなどでも紹介があるのでここでは
その歴史的な点のみの紹介をしてみたいと思う。
鹿島鉄道が開通したのは大正13年6月で、石岡と小川間の7.1kmで「鹿島参宮鉄道」
と呼ばれた。
大正15年8月に浜駅まで7.3km延ばされ、昭和3年に玉造まで、そして昭和4年に鉾田
まで全長27.2kmの鹿島参宮鉄道が全線開通となった。
参宮鉄道と名前がついているように、当初は鹿島神宮に参拝するための鉄道を目指した
と思われる。しかし、ご存知のようにまったく違ってきてしまったようである。
これが行き詰った原因かもしれない気がしている。
途中の浜駅には、鹿島への船の連絡船の桟橋も建設されたという。
しかし時代はもう船での輸送の時代ではなくなっていた。
また、鉄道建設の初期計画では出発駅は石岡ではなく高浜であった。
石岡にした理由は「資金調達」に有利で、当時の財界有力者の協力を得るのに都合が
良かったのである。
また、この鉄道会社の創立者高柳氏、浜氏は共に貴族院に立候補し当選した。
しかし当時の貴族院の選挙権は多額納税者200人だけしかあたえられていないため、
選挙戦に多額の買収などがあったようである。
この買収により初代社長となっていた高柳氏は選挙違反で辞任。社長を浜氏に譲るのである。
浜時代がそれから続くが、鉄道会社の役員は石岡の商人が過半数を占めたのです。
その後バス事業に手を広げ、鉄道会社も吸収合併して関東鉄道になったのです。
詳しく書くのは少しためらうし、利害関係もないのでこの程度で止めておきます。

 さて話は中途半端になりましたが、鹿島鉄道の最大のネックは鉾田駅とJRの新鉾田駅が
つながっていなかったことだと思われます。何故だったのでしょうか?
鹿島参宮鉄道というのならここが繋がらなくては意味を為さないはずですが・・・。
何かこの辺りにも身内主義的な臭いがしてきてしまうのです。
鹿島鉄道は自衛隊百里基地の燃料輸送でかなりの収益をあげていました。
しかし、これが鉄道から撤退されると急速に経営が悪化してしまいました。
醤油や生糸などの産業が衰退したのと同じ様ですね。
しかし、鉄道は市民の足でもあり、その影響力は一企業の損得でははかることはできません。
廃止が決まってから乗客が増え、最後は黒字になったと聞いていますが残念です。
同じ轍を踏まないように産業や企業誘致なども全体のバランスを考えて進める必要を痛感します。
 

あゝ石岡駅 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2010/11/19 19:49
コメント
昔の写真
http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-665.html

こんなブログがありました。
私が良く知っている姿です。
Re: 昔の写真
本当に懐かしさが伝わってくるようです。
あまり乗ったことはないのですが・・・。
休日の1日乗車券、自転車の積載OKの車両など、今思えば残念な思いです。
元々船会社が大きな力が昔あったせいなのでしょうか。
車社会につぶされたと被害意識で見ていると本質が見えないように思います。
この鉄道がなくなると小川や玉里、鉾田などとも関係も薄らぐように思えます。
しかし、ローカル線を好きだという人も多いのですが、どんどんと廃止の運命に
なってしまう現実もあります。
しかし、運転手を公募して頑張るローカル線もありますね。
ねこや犬の駅長などを話題にしても面白かったのですが・・・。

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