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鹿島鉄道の車輪

 鹿島鉄道が廃止となったのは2007年4月1日ですから、もう5年半以上経ちます。
私が石岡に越してきたのはその前の年です。

越してきた時にはすでに廃線が決まっていましたが、存続運動がまだ続いていました。

この気動車鉄道はこの霞ヶ浦北側の市民の足でもありましたが、今思えばこの地に育っていた文化の継続を断ち切ってしまったようにも思います。

鹿島神宮への参拝を目指す路線として大正時代に計画された鉄道でしたが、百里基地の燃料輸送による収益が主な収入源となり、いつしか人々の足や、文化のつながりといった本来の役割を失ってしまった結果が今に至ったようです。

廃止されたあとに、ジーゼルの車両や関連のグッヅはいくつか売り出され、車両は小川病院(こちらに記事)や鉾田市ホットパークなどに保存されています。

 国道355線の小川街道沿いの玉里駅の近くにあるバイクショップにこの車軸が展示してありました。

ここの住所は「栗又四ケ」といいます。一体何と読むと思いますか?

「くりまたしか」です。
この街道を昔は車で走っていて、この名前を見たときには正直驚きました。

でもこれも名前にはその歴史があるようです。
大昔(江戸時代か明治のはじめか知らない)に四つの村が一緒になって栗又四箇村(または四ケ村)ができた。

そして、鹿島鉄道にも「四箇村(しかむら)駅」(四ケ村とも書いた)ができていた。

IMG_4594s.jpg
(サムネルです。クリックで拡大画像を表示します。)

国道355線沿いのバイク店の駐車場にこんな形で展示されていました。

IMG_4691s.jpg

奥がこのお店です。綺麗なお店です。

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車軸と車輪は、このように花壇に木を植えて、その下に鞍馬を組んで置かれています。
大雨では濡れてしまいますが、多少の雨なら防ぐことができそうです。

IMG_4693s.jpg

IMG_4684s.jpg

この場所のすぐ先に「玉里駅」という案内があります。
そこをはいるとバス停の「玉里駅」があります。

IMG_4685s.jpg

鹿島鉄道が廃止され、その軌道の後を、専用のバスレーンとしています。
これは、茨城空港ができたため、石岡から空港までのバスの路線を、混雑した道路から回避するために設けられたものです。

1時間に3本ほどのバスが昼間も走っていますが、撮影時の少し前にバスが通過したのが見えたので、次は20分先でしたので、バスは一緒に撮っていません。

なんにも走っていないこのレーンも少しもったいないですね。

また少し前に見たバスも、乗客はあまり乗っておらず、このバス停には停車せずに行ってしまいました。

IMG_4690s.jpg

バスが遠くまで見えないので、バスレーンを歩いてこの先の先ほどのバイク店の駐車場の裏にまわって見ました。
この街道の方は結構交通量が多いんです。

ところで「玉里」という名前は昔は「田余」と書いたといいます。
読み方も「タマリ」であったり「タアマリ」であったりしたようです。
これもブログで教えてもらって気がつくようになりました。

私は玉造と同じで、昔からの名前だと思っていました。
昔の勾玉などが出たところかと思いましたが、水が豊富な場所だったのですね。
ヤマトタケルの伝説も伝わっています。

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旧鹿島鉄道沿線 | コメント(4) | トラックバック(1) | 2012/10/20 15:03
コメント
No title
Romanさん
こんにちは。ご無沙汰しています。
久しぶりにRomanさんのブログへ訪問させてもらいました。
先日はブログのほうにはコメントありがとうございました。
私の方もまた時々おじゃまさせてもらいますね。
これからもよろしくお願いします。
ふみりんさん
こんにちは。

> 久しぶりにRomanさんのブログへ訪問させてもらいました。

ありがとうございま~す。

これから寒さが厳しくなってきます。
どうぞご無理せずお過ごしくださいね。

入院したり、体が思うように動かない時など気も弱くなりますが
暖かいご家族に恵まれていますから安心ですね。
(私も7年程前に1ヶ月ほど入院生活を送りました)

> 私の方もまた時々おじゃまさせてもらいますね。
> これからもよろしくお願いします。

こちらこそよろしくお願いします。
鹿島参宮鉄道
乗車した記憶は無いのですが、近所にこの鉄道に勤務している人が居たので「鹿島参宮」の名前は聞いて育ちました。それがこの鉄道の通称でした。
、鉾田までしか行かない鉄道がなぜ「鹿島参宮」なのか、意味を知るようになったのは大人になってからで、鉾田から鹿島までは北浦を船でゆくというものだったそうですね。
開業の動機として鹿島神宮への参拝の足で成り立つ算段だったのかな、それとも名目だったのかな、と思います。ご存知ですか?
Re: 鹿島参宮鉄道
忠顕様

> 乗車した記憶は無いのですが、近所にこの鉄道に勤務している人が居たので「鹿島参宮」の名前は聞いて育ちました。それがこの鉄道の通称でした。

今はこの名前を知っている人は少ないようです。大正時代に計画したときは水運がまだ全盛で
あったので、鹿島鉄道は鹿島神宮からは離れたものになってしまったのでしょう。

> 、鉾田までしか行かない鉄道がなぜ「鹿島参宮」なのか、意味を知るようになったのは大人になってからで、鉾田から鹿島までは北浦を船でゆくというものだったそうですね。

これもいきさつはいろいろあるようです。高浜発の計画を資金を集めるために石岡に変更したそうです。
また玉造までまず完成させて、玉造手前の浜駅で船に乗れるように桟橋まで建設したといいます。

鉾田まで持っていったのも、北浦からの神宮参拝もありましたが、葉たばこがとれる地域だったので
この玉造-鉾田間を後から通したとも言われています。
これも書かれているものでは最初から鉾田まで計画したというのもありますが、途中から変更したと思っています。

> 開業の動機として鹿島神宮への参拝の足で成り立つ算段だったのかな、それとも名目だったのかな、と思います。ご存知ですか?

このあたりは石岡の商業・銀行・石岡電気や醸造業者の他、小川の実力者に鉾田の街の産業業者などの資金提供者の思惑が絡み合っています。
玉造あたりには東京のリゾート(別荘)計画なども勘定に入れていたといいますが、儲けよりいつの間にかメンツが先走ってしまったのかもしれません。

そして慌ててバス事業に参入した(関東鉄道=浜氏)。関東鉄道は鹿島鉄道の親会社です。
まあ高浜の衰退を見れば、船で神宮参拝などの計画はダメになって当たり前ですよね。
何で、新鉾田駅と繋がらないのかと昔から不思議に思っていました。
この2つの駅がかなり離れているのです。
鹿島工業地帯に行くにも、とても不便なんです。
電車なら水戸まで行って乗り換えなければいけない。
こんなのないですよね。
もっとも今ではつながっていてもダメになっていたと思いますが・・・。

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 鹿島鉄道が廃止となったのは2007年4月1日ですから、もう5年半以上経ちます。私が石岡に越してきたのはそ