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廣慶寺(笠間市小原)

 今日10月27日の夜は旧暦九月の十三夜です。

豆名月とか栗名月と呼ばれるそうですね。

今晩、ふと外を眺めたら満月ではないけど、姿のいいお月様が輝いていました。

何で昔の人は十五夜の1ヶ月後の満月ではなく十三夜を名月にしたのでしょうか?

私のいる茨城県は栗の名産地です。
笠間が有名になったけど、石岡のとなりのかすみがうら市(旧千代田町)も栗は日本一と言っています。
大きな栗がいっぱい採れます。

今年も栗ごはん用に、栗の皮むきハサミでたくさん剥いたけど今頃食べるのがいいのだろうね。

栗は虫止め液など使わないで冷蔵庫にいれたり、水につけておいたりするけど早く処理して茹でたほうがやはり美味しいです。

では今日の記事です。

 先日御前山の方に行く途中、いつもと違う脇道を走っていた。
途中道がよくわからなくなり、国道50号線を目指して友部の近郊を適当に走った。

すると、少し古びた寺の前に出た。近くに古墳もある矢印があった。
寺の名前は「廣慶寺」と書いてあった。

後で、すぐ目の前に茨城の名前発祥の地ではないかという「小原神社」のそばであったことに気がついた。

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どういうわけか寺の入り口が2つ並んでいた。

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となりの入口は直接本堂の方に入る車道なのだろう。

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左側の階段を上ると、参道があり、古い桜の古木があり、春は桜並木になるのかもしれない。

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こちらは山門です。

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山門入口左手に「禁葷酒(くんしゅ)」の戒壇石が置かれているのでここは禅寺だ。
やはり、これがあると少し酒は飲んでいないにしても、口が臭くないかなどと気になる。
やはり山門で一礼して中に入ります。

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山門を入った右側に石仏像が置かれています。

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この寺を調べてみると、資料は少ないが、

「文亀2年(1502)に、小原城主里見義俊が養堂祖禅師の道風を慕い開基したといわれ、曹洞宗鳳台院の末寺である。友部・内原・岩間地区の寺院を参詣する「新秩父三十四番」では、八番住吉山小原院廣慶寺とある。」

という記事を見つけた。

さて、こうなるともう少し調べなければならなくなった。
小原城とは? 里見氏とは? 千葉の里見氏とはつながるのか?
そもそも小原氏というのは里見氏と関係があったと思うが・・・。
宍戸城や佐竹氏との関係は?

この辺を調べ出すと時間が足りない。少しだけでとりあえずお茶を濁しておくことにしたい。

小原氏をサイト「武家家伝」で見てみると

「北奥の戦国大名和賀氏の「四天の重臣」のひとりとして知られている小原氏は、物部姓あるいは源姓などといわれるがその出自は不明である。そもそもは平清盛に仕えて、山城国小原(愛宕郡小原か)を知行したことから小原を称するようになったのだという。
 他方、清和源氏の一族である里見義俊の五代の孫、が常陸の国茨城郡大茨(おばら)に住んで大茨氏を名乗ったことに始まるとする説もある。関東の兵乱を避けて奥州に流浪した忠義は、大茨から小原姓に改め、和賀氏に仕えるようになったのだという。」

と書かれている。

上の説明の下段の方の説明がこちらの小原地方になる。

特に面白いのが、この土地の名前は「大茨(おばら)」といったという点と里見義俊という里見氏の祖から分かれているという点です。

里見氏は元は上野の国出身で房総の里見氏(後の南総里見八犬伝でお馴染み)になっていきますが、同じ系列ということになります。

これは充分調べてみる必要があるが、これ以上は、またの機会に譲りたい。

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この寺には江戸時代初期(享保元年(1716))と言われる市指定「紙本著色釈迦尊涅槃像図」があるという。(縦202.5㎝ 横170.5㎝)

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こちらは寺の脇に置かれていた石像だが、小僧さんが寝ているような姿だが、上の涅槃図からこのようなものを置いたのだろう。

さて、これはありやなしや? 

釈迦の涅槃図はあくまで釈迦が入滅した時に周りを弟子たちが取り囲んだ図であるのだから・・・。

まあいいかな。


笠間方面 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/10/27 18:17
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