神崎神社(1)
茨城県の旧稲敷郡桜川村や江戸崎町(現稲敷市)を稲敷散歩として紹介したことがあります。
この時は、古東海道の面影を追って「我孫子」-「布佐」-「龍ケ崎」-(信太郡)「稲敷市」-「美浦村」-「かすみがうら市」のルートを考えていた。
しかし、旧江戸崎町や桜川村を散策すると利根川を渡って千葉県(下総)側からの影響がかなり感じていた。
そして、香取神宮とともに気になる神社があることに気がついた。
それがこの神崎神社(こうざきじんじゃ)だ。
美浦村から国道125号線を東に走らせると、小野川を古渡(ふっと)でわたり、しばらく行くと阿波(あば)にアンバ様と親しまれている天狗の神社「大杉神社」があります。
この神社も全国の大杉神社の総本山で非常に興味深いのですが、そのまま進むと幸田の信号で県道と合流して左に曲がって、利根川沿いを走り、まっすぐ行くと銚子の方にでる。
しかし、左に曲がってすぐ右に曲がるとそのまま利根川を渡る神崎大橋に出る。
この神社はこの橋を渡った左手の森に鎮座している。
昔、総の国から常陸の国にわたってきた時にはこのあたりが常陸国への入口になったように思う。
この神崎神社という古社には何かあるに違いないという気がしていた。
常陸風土記の信太郡に次のような文章がある。(前にも書いたことがある)
諺に、「葦原の鹿の味は、腐ってゐるやうだ」といふ。
山の鹿の肉とは味が違ふ。だから下総との国境の狩人たちにも、獲り尽くされることはあるまい。
葦原は日本の昔の国のことをさすが、この常陸国も葦原と呼ばれていたとも解釈できる。
そして、そこに下総から狩人がやってくる。狩りの獲物はなんだろう。この鹿は?
いろいろな解釈ができそうだが、国境の場所として私が目をつけたのがこの神崎神社というわけです。
江戸時代にはこの下を流れる利根川は水運の大動脈であった。
「ここは神崎 森の下 梶をよくとれ船頭どのよ
主の心と神崎の森 ナンジャモンジャで気が知れぬ」
この神社下を流れる利根川を通る船の船頭には大きな森が目印となっていたのです。
ナンジャモンジャはこの神社にある大きなクスの木の名前で、水戸光圀の言葉でつけられたそうです。
こちらは後から写真でも紹介します。

車の駐車場は神社の左手から回ったところにあるが、神社への入口参道は市街方面(東)に少しいった通り沿いにある。
ここに鳥居と一対の狛犬がいる。神社の拝殿にはこの階段を上って森の中を進む。

森に入って少し行くと開けた広場に出て、左に境内社(三峯神社)があり、また拝殿まで石段を上る。

この階段の途中に古びた狛犬がまたいる。この狛犬は気になる狛犬だ。
沖縄のシーサーなどに近い姿のように思う。

右手の狛犬をアップした写真。

左手の狛犬の姿だ。これはどちらが阿形か吽形かわからない。区別はないのか?

階段を上りきったところにまた左右に狛犬がいる。こちらもかなり貫禄があるおもしろい形だ。

これが拝殿です。右手に「なんじゃもんじゃの木」があります。(紹介は明日へ)
拝殿手前にも狛犬がいます。
4種類の狛犬がすべて違った姿なのも興味を引きます。
調べていたら欄干のところにも隠れたように狛犬が配されていたそうです。見落としました。

神社の説明は上の案内板を読んでください。
白鳳時代については英語の方で673-685年となっています。
神社側の説明によれば「白鳳二年二月朔日、常陸国と下総国の境、大浦沼二つ塚より現在の地に遷座した。」となっています。
大浦沼がよくわかりませんが、利根川と新利根川に挟まれた中洲(茨城県側)に大浦と東大沼という地名が見られるのでこのあたりなのでしょう。
この中洲ではあまり高いところはないと思います。
そこの小山に下総と常陸の境界として神社が祀られたのではないでしょうか。
そしてここから現在地に移された神社も平安時代ころは「子松神社」と呼ばれていたようです。
祭神は天鳥船命(アメノトリフネ)、少彦名命(スクナヒコナ)、大貴己命(オオナムチ)、面足命(オモタル)、惶根命(カシコネ)です。
少彦名が祀られていることに興味が湧きます。また天鳥船は船の安全を祈って祀られたのでしょうか?
昭和10年にこの神崎の森は千葉県の天然記念物に指定されています。
ナンジャモンジャの木は国の天然記念物です。
(明日へ続きます。)
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この時は、古東海道の面影を追って「我孫子」-「布佐」-「龍ケ崎」-(信太郡)「稲敷市」-「美浦村」-「かすみがうら市」のルートを考えていた。
しかし、旧江戸崎町や桜川村を散策すると利根川を渡って千葉県(下総)側からの影響がかなり感じていた。
そして、香取神宮とともに気になる神社があることに気がついた。
それがこの神崎神社(こうざきじんじゃ)だ。
美浦村から国道125号線を東に走らせると、小野川を古渡(ふっと)でわたり、しばらく行くと阿波(あば)にアンバ様と親しまれている天狗の神社「大杉神社」があります。
この神社も全国の大杉神社の総本山で非常に興味深いのですが、そのまま進むと幸田の信号で県道と合流して左に曲がって、利根川沿いを走り、まっすぐ行くと銚子の方にでる。
しかし、左に曲がってすぐ右に曲がるとそのまま利根川を渡る神崎大橋に出る。
この神社はこの橋を渡った左手の森に鎮座している。
昔、総の国から常陸の国にわたってきた時にはこのあたりが常陸国への入口になったように思う。
この神崎神社という古社には何かあるに違いないという気がしていた。
常陸風土記の信太郡に次のような文章がある。(前にも書いたことがある)
諺に、「葦原の鹿の味は、腐ってゐるやうだ」といふ。
山の鹿の肉とは味が違ふ。だから下総との国境の狩人たちにも、獲り尽くされることはあるまい。
葦原は日本の昔の国のことをさすが、この常陸国も葦原と呼ばれていたとも解釈できる。
そして、そこに下総から狩人がやってくる。狩りの獲物はなんだろう。この鹿は?
いろいろな解釈ができそうだが、国境の場所として私が目をつけたのがこの神崎神社というわけです。
江戸時代にはこの下を流れる利根川は水運の大動脈であった。
「ここは神崎 森の下 梶をよくとれ船頭どのよ
主の心と神崎の森 ナンジャモンジャで気が知れぬ」
この神社下を流れる利根川を通る船の船頭には大きな森が目印となっていたのです。
ナンジャモンジャはこの神社にある大きなクスの木の名前で、水戸光圀の言葉でつけられたそうです。
こちらは後から写真でも紹介します。

車の駐車場は神社の左手から回ったところにあるが、神社への入口参道は市街方面(東)に少しいった通り沿いにある。
ここに鳥居と一対の狛犬がいる。神社の拝殿にはこの階段を上って森の中を進む。

森に入って少し行くと開けた広場に出て、左に境内社(三峯神社)があり、また拝殿まで石段を上る。

この階段の途中に古びた狛犬がまたいる。この狛犬は気になる狛犬だ。
沖縄のシーサーなどに近い姿のように思う。

右手の狛犬をアップした写真。

左手の狛犬の姿だ。これはどちらが阿形か吽形かわからない。区別はないのか?

階段を上りきったところにまた左右に狛犬がいる。こちらもかなり貫禄があるおもしろい形だ。

これが拝殿です。右手に「なんじゃもんじゃの木」があります。(紹介は明日へ)
拝殿手前にも狛犬がいます。
4種類の狛犬がすべて違った姿なのも興味を引きます。
調べていたら欄干のところにも隠れたように狛犬が配されていたそうです。見落としました。

神社の説明は上の案内板を読んでください。
白鳳時代については英語の方で673-685年となっています。
神社側の説明によれば「白鳳二年二月朔日、常陸国と下総国の境、大浦沼二つ塚より現在の地に遷座した。」となっています。
大浦沼がよくわかりませんが、利根川と新利根川に挟まれた中洲(茨城県側)に大浦と東大沼という地名が見られるのでこのあたりなのでしょう。
この中洲ではあまり高いところはないと思います。
そこの小山に下総と常陸の境界として神社が祀られたのではないでしょうか。
そしてここから現在地に移された神社も平安時代ころは「子松神社」と呼ばれていたようです。
祭神は天鳥船命(アメノトリフネ)、少彦名命(スクナヒコナ)、大貴己命(オオナムチ)、面足命(オモタル)、惶根命(カシコネ)です。
少彦名が祀られていることに興味が湧きます。また天鳥船は船の安全を祈って祀られたのでしょうか?
昭和10年にこの神崎の森は千葉県の天然記念物に指定されています。
ナンジャモンジャの木は国の天然記念物です。
(明日へ続きます。)


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