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石岡の街並み(11)

 さて、昨日紹介した国分寺手前の入口にある「青柳新兵衛商店」さんの赤レンガ塀は前に一度紹介しています。(こちら)(赤レンガ特集はこちら

この時は手前にガレージ用の屋根があり、塀も目立たなかったのですが、このガレージは取り払われました。しかし、地震での損傷も多いようです。修復していつまでも残して欲しいと願っています。

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さて、この赤レンガ塀の一番端に「青柳倉庫南通用門」と書かれた門がありました。
この部分を一部取り去って、ここに今年1月にコンビニができました。

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そして、屋敷内にあった大きな木を切らずに残しています。
コンビニ駐車場の一部にこのように残った木を大切にして保存していきたいですね。
木の奥に見えるのは青柳さんの倉庫の建物だと思います。

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コンビニの反対側はやはり石蔵のような建物があります。比較的新しいかもしれません。
その向こうに見える工事中のところは「茨石商事」さんの駐車場をきれいにしていました。
この茨石さんの手前に細長い空き地がありますが、ここには「塚本製綿練炭店」の工場があり、少し前まで看板の一部が残っていたように思います。

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真ん中右側に見える木がコンビニ駐車場に残された木です。
手前の車がたくさん止まっている場所は「イベント広場」と呼ばれている場所です。
ここに「小口製糸」の大きな工場がありました。
前にイベント広場の変遷として紹介しています。(こちら

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この通りを西方面に見たところです。
「ミナミボウル」の大きな建物が見えます。昭和53年にオープンした22レーンを持つ明るいボーリング場でしたが、震災の影響で建物が大きく損傷を受け、平成23年3月で営業終了しています。
ボーリングは2階で、1階はコインランドリーなどがあります。こちらは営業しているかもしれません。
建物の修理もしているようです。外壁塗装も綺麗になっています。
(訂正:確認したところこの建物はすべて閉鎖されていました。従ってコインランドリーも閉鎖されています。)
ボーリング場の前は少しこじんまりしていますが青果市場があります。
突き当りは柿岡街道です。

しかし、昭和10年の地図を見ると、この道はまだできていなかったようです。道は細く今の路地のようにクランク状に曲がりながら十一面観音堂(馬頭観音)の方に続いていました。
このまっすぐな道は破線で示されていますので、計画中だったのかもしれません。

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イベント広場の斜め前にある「石岡市立中央図書館」です。
これがなかなかすごい歴史のある図書館なんです。
明治22年に私設の図書館としてオープンしたそうです。当時の石岡がかなりの街として栄えていた証拠でもあります。

茨城県の図書館では最も古い図書館です。茨城県立図書館より14年も早かったのです。
また私設図書館として後に公立の図書館に受け継がれた図書館でいまでも現存するのは日本で2箇所のみだそうです。
もっとも、図書館は最初は設立者「手塚正太郎」氏が校長をしていた現石岡小学校の校長室に作ったそうです。
石岡もこの図書館を新しくする動きもありますが、是非この輝かしい歴史をもっとアピールするように素晴らしい図書館や歴史資料館などを造っていただきたいと思います。

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イベント広場の駐車場から見た、コンビニと青柳家の塀。

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青柳家の塀を拡大してみました。
震災後修理をしていましたので、とりあえず取り壊しはまぬがれたのでしょう。

この駐車場は今回の震災で出た屋根瓦や大谷石などのガレキを砕いで地面に埋め込みました。
我が家の屋根瓦もきっとこの下に眠っていると思います。
ここの駐車場の整備前に史跡調査のためにこの地面を掘り返しています。
出てきたのは小口製糸工場で女工さんが使ったと思われる練り歯磨きの入れ物などだそうです。
また昔の国分寺関連の建物の跡なども見つかっているようです。(詳しくは知りません)

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駐車場整備後に出来た綺麗なトイレです。
国分寺に見学にこられたときは、境内にトイレがありませんので、こちらを利用してください。
また来るまで来られた時にも、ここはしばらく無料でおけますのでぜひ利用ください。

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イベント広場はお祭りの時には駐車場になり、時々各種の市が立ちます。先日はB級グルメ大会のあり盛り上がったようです。

遠くに見えるのは筑波山です。


石岡の街並み | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/11/15 18:30
コメント
街道
>昭和10年の地図を見ると、この道はまだできていなかったようです。道は細く今の路地のようにクランク状に曲

この道は水戸方面から来て柿岡に抜ける主要な街道の一つだったようです。地図では1本南側の青木町の通りのほうが広いですが、明治のころからあった家は、この道に面して玄関を構え青木町の側が裏庭につづく裏木戸があるという家がありました。境屋酒造も青木町の側に入口は無かったし、青木町は裏通りだったのかもしれません。
主要な街道がなぜクランク状でいいのかわかりませんが、自動車は無く荷馬車程度の交通にはとにかく近い道なら良かったのかもしれません。
青柳商店は米や肥料の商家で、この街道そして岩間街道も交わる辻にあたり商品の集積に便利がよかったのでしょう。
忠顕さま
> この道は水戸方面から来て柿岡に抜ける主要な街道の一つだったようです。

石岡(府中)の町は地図を見ると放射状にいろいろな道が集中していたようです。
昔は中心地だというのがわかります。
柿岡方面と宇都宮・瓦会方面から若松町で合流します。
ここには長法寺という大きな寺があったそうですね。今の十一面観音のあるあたりと言われています。
ここにも市が立ったようです。
水戸・笠間方面からは国分寺近くに市が立ったと思います。
この両方を結ぶみちがこの道で主要道路だったのではないかと思います。

> 地図では1本南側の青木町の通りのほうが広いですが、明治のころからあった家は、この道に面して玄関を構え青木町の側が裏庭につづく裏木戸があるという家がありました。境屋酒造も青木町の側に入口は無かったし、青木町は裏通りだったのかもしれません。

貴重な情報ありがとうございます。これでイメージは湧いてきました。

> 主要な街道がなぜクランク状でいいのかわかりませんが、自動車は無く荷馬車程度の交通にはとにかく近い道なら良かったのかもしれません

これはきっとそれで良いのでしょう。この笠間(岩間)方面も江戸時代の地図では千手院を巻くようにクランクになっています。
昔(中世)の城の守りを意識したものが続いていたのかもしれません。

貴重な情報ありがとうございました。
ただ、あまり身近な情報はあまり細かなことを書くのには少し躊躇われることがあります。
でも、このような情報を知らせたり、残しておくことも必要だとも思っています。

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