石岡の街並み(13)
今日も国分寺方面入口のところを紹介します。
駅の方面から355号に突き当たり右折し、香丸通りを進むと「国分町」の信号があります。
昔の水戸街道はここを右折します。
逆に左折してすぐに右に曲がったところに常陸国分寺(跡)があります。
この信号のところの角に大きなビルが建っています。「青柳鐵店」の文字が見えます。
この大きなビルは残念ながら今は使われていないようです。
そしてその手前には「塚本寝具店」と書かれた看板があります。
お店の中は布団・寝具などが置かれています。
こちらは昭和10年の地図では「塚本打綿練炭店」となっており、この先の少し西に行ったあたりに工場があったようです。

このような立派なコンクリート造りのビルも窓は皆閉じられています。
この会社は今では珍しい合名会社です。
おそらく同じような考え方を持った数人の人が社長などおかずに同列で事業を起こす時のやり方です。
昭和10年頃の地図では「矢口鉄店」「青柳米穀店」などがあったようです。
いまでも会社は少し離れた場所にありますので、ビルが傷んだ為そのままになっているのだと思います。

この頃のコンクリートのビルは見た目は大丈夫でも、雨漏りなどで使えなくなることが多いようです。

ビルに並んで石の倉庫があります。

その隣にも倉庫があります。

この倉庫の作りを見ると中町の登録文化財である「看板建築」(昭和4~8年頃)とよく似ています。

昔のギリシャの建築様式を真似たものが見て取れます。

この石岡の町にはこのような石の倉庫もたくさん点在しています。
これらもここを訪れる観光客には町並みとして整備されていればもう少し趣のある街になると考えられます。
町並みを保存するというのはとても大切なことだと思いますが、生活が便利になることにばかり目がいってしまうのは残念なことだと思います。
私がこの街で一番最初に感じたのはこの石蔵の多さでした。
また敷地が細長く、間口が狭い京都などと同じ区割りがされていることです。
空き地となった場所が駐車場になっていても、細長い敷地の一部に蔵が残されていたりします。
しかし、この大震災で多くの蔵にも被害が及び、今ではなくなってしまったところもいくつもあります。
誰かが記録としても残す努力をしなければそのうちに消えてしまうのでしょう。
少しずつこのブログにも取り上げていきたいと思います。
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駅の方面から355号に突き当たり右折し、香丸通りを進むと「国分町」の信号があります。
昔の水戸街道はここを右折します。
逆に左折してすぐに右に曲がったところに常陸国分寺(跡)があります。
この信号のところの角に大きなビルが建っています。「青柳鐵店」の文字が見えます。
この大きなビルは残念ながら今は使われていないようです。
そしてその手前には「塚本寝具店」と書かれた看板があります。
お店の中は布団・寝具などが置かれています。
こちらは昭和10年の地図では「塚本打綿練炭店」となっており、この先の少し西に行ったあたりに工場があったようです。

このような立派なコンクリート造りのビルも窓は皆閉じられています。
この会社は今では珍しい合名会社です。
おそらく同じような考え方を持った数人の人が社長などおかずに同列で事業を起こす時のやり方です。
昭和10年頃の地図では「矢口鉄店」「青柳米穀店」などがあったようです。
いまでも会社は少し離れた場所にありますので、ビルが傷んだ為そのままになっているのだと思います。

この頃のコンクリートのビルは見た目は大丈夫でも、雨漏りなどで使えなくなることが多いようです。

ビルに並んで石の倉庫があります。

その隣にも倉庫があります。

この倉庫の作りを見ると中町の登録文化財である「看板建築」(昭和4~8年頃)とよく似ています。

昔のギリシャの建築様式を真似たものが見て取れます。

この石岡の町にはこのような石の倉庫もたくさん点在しています。
これらもここを訪れる観光客には町並みとして整備されていればもう少し趣のある街になると考えられます。
町並みを保存するというのはとても大切なことだと思いますが、生活が便利になることにばかり目がいってしまうのは残念なことだと思います。
私がこの街で一番最初に感じたのはこの石蔵の多さでした。
また敷地が細長く、間口が狭い京都などと同じ区割りがされていることです。
空き地となった場所が駐車場になっていても、細長い敷地の一部に蔵が残されていたりします。
しかし、この大震災で多くの蔵にも被害が及び、今ではなくなってしまったところもいくつもあります。
誰かが記録としても残す努力をしなければそのうちに消えてしまうのでしょう。
少しずつこのブログにも取り上げていきたいと思います。


石岡は古い石蔵が多いですね~
仰るように整備されたら素敵な街並みになりそうです☆。
僕が住んでいる町にも100年前の赤レンガ倉庫が有りますが、
保存か、取り壊しかと揉めています。
撤退した工場の跡地にモール街の招致とかしてますが、
魅力ある街づくりとは掛け離れている様な気がします。
目先の利益を考えるか、歴史・文化を大切にするか?
何処の街でも難しい問題なんですね!
少しだけ街づくりについて考えてしまいました。
> 仰るように整備されたら素敵な街並みになりそうです☆。
この街も火事が多くて土蔵や石蔵が多く作られたのかもしれません。
しかし、これをうまく有機的に活用すれば面白い街になると思っています。
例えば石蔵ピザなんてのもあるし、石蔵コンサートなどもあります。
でも何かもっと賑やかになればいいとは言いますが、新しいことはやりたがりません。
難しいですね。
> 僕が住んでいる町にも100年前の赤レンガ倉庫が有りますが、
> 保存か、取り壊しかと揉めています。
是非こういうのは保存したいですね。古びた赤レンガは本当にいいですよ。
これを中心に面白い空間を演出できます。
東京駅が昔をまた復活したように、モール街を作るにしてもシンボルとして
うまく一部でも残す工夫が欲しいですね。
ヨーロッパではその街に住む人が保存に力を入れています。
アジアはこの点はどこもダメなようです。残念ですね。
> 目先の利益を考えるか、歴史・文化を大切にするか?
> 少しだけ街づくりについて考えてしまいました。
もっと皆が昔のことも知って、良い街になると嬉しいですね。
今日もお越しくださりありがとうございました。