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石岡の街並み(16)

 石岡市の市街地の町並みを紹介していますが、本来は登録文化財になっている建物や駅周辺を紹介するべきかもしれません。
これはまた後から少しずつ紹介していきたいと思います。
まずはあまり紹介されることがない所を回っています。

昨日冷水さんの酒屋さんを紹介しましたが、ここのT字路(実際は一方通行の昔からの道があるから十字路)の信号は「柿岡街道入口」となっています。
駅から来てこの道を左折しますと、ここが正面に「若宮八幡宮」がある昔の「八幡通り」と呼ばれていた道のようです。

現在の柿岡街道は正面の八幡神社手前でL字型に90°カーブして柿岡方面に向かいます。

kakiokakaido.jpg
(サムネルです。クリックして大きくしてご覧下さい)
これは昭和10年の石岡の地図に柿岡街道などの文字を加えています。



現在の地図と比べてみると、この通りを知っている人は気がつきますね。
歩道の幅くらいは道が広くなっています。
また、八幡神社手前から新たに北側の柿岡方面からの道と結ぶL字道が造られています。

昔の地図を見る限りこの道は「八幡通り」と呼ぶのがふさわしいと思います。

さて、古い地図では(K)の記号のある場所に「川崎第百銀行石岡支店」の建物がありました。

kawasakidaihyaku.jpg

こんな素敵な建物です。この銀行は昭和2年に川崎銀行と第百銀行が5:9の株式比率で合併して出来た川崎財閥の銀行でした。
その後銀行は昭和18年に三菱銀行に吸収合併されました。
佐原に三菱銀行の古い建物が残っていますが、その建物を彷彿させるものです。
今も残っていたら素敵でしょうね。

IMG_4519s.jpg

上の写真は千葉県香取市佐原に残る「佐原三菱館」です。そっくりです。
これは大正3年に川崎銀行の佐原支店として建てられたものです。
その後同じように川崎第百銀行となり、昭和18年に三菱銀行となったものです。千葉県の有形文化財です。

現在の佐原の町並みと石岡の街並み似ているようですが、少し方向性が違っていたようです。
佐原では電線の地中化や歩道の整備などは石岡に比べ遅れています。
でもこのように古い町並みや洋風ロマネスク建築の建物などを大事に保存しています。
皆さんはどちらを望みますか?

当然この両方を取り入れてうまくやる方法だってありますよね。

PB160032s.jpg

正面が若宮八幡宮です。
1~2年前にこの通り沿いの歩道を整備しました。
歩きやすいのですが、縁石が無くなりバリアフリーというのも聞こえは良いのですが、少し危険だとも思われます。
たまに右折車などがいたときに左の歩道まで乗り上げて追い越す車を見たことがあり、ヒヤリとします。
しかし、街の景観は綺麗になりました。

道に沿って若松八幡宮の方に進みます。

PB160035s.jpg

右手に「おじま」菓子店さんがあります。「いしおかサンド」加盟店です。
通りに面したところに店舗があったのですが、今回の地震の影響で壊してしまいました。
店は奥の屋敷の一部を改装して行っています。

ojima01.jpg

手前を駐車場などに広くして、綺麗になったようにも思います。
先日どこかのテレビ局が取材をしていました。
お米などをご亭主が持ち上げたりしていましたので米粉を使ったお菓子なのかな?

PB160034s.jpg

「おじま」さんの一つ先となりは、「東亜事務機商会」さんです。

PB160033s.jpg

その先に「滝田整形外科医院」があり、その隣に小さなお宮があります。
なかなか古い神社で「青木稲荷神社」といいます。
しかし地元の紹介ではいつも頭に「正一位」と必ずつけているようです。
伏見稲荷から勧請を受けた全国の稲荷神社はすべて正一位を名乗っています。
(前に石岡市内の稲荷神社を紹介しています。→ こちら

PB160031s.jpg

左側にはお祭りの時に祭礼の道具を売るところや、はっぴなどの祭り衣装を売る店があり、霞ヶ浦の名産品を売ると看板にある「小島商店」さんがあります。
でも一般食料品を主に扱っていると思います。

(あすに続きます)

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石岡の街並み | コメント(6) | トラックバック(0) | 2012/11/21 18:36
コメント
路地に残る歴史
 銀行の建物は、知る時間範囲で既に個人住宅でしたから、住むのに限界がきたら惜しくても残すことができなかったのでしょう。
 稲荷に向かう路地は右の側溝までの幅で参道でした。ぶつかって左にクランクして向こう側に出る道も昔からありますが、いかにもあとから作った道。
 おじま商店の新店舗がたいへん奥まっているように、古い家は間口は無くても奥行があります。
 小島八百屋のような商店がこの小さな通りにもたくさんあり、家庭に冷蔵庫の無い時代そして街に大店舗の無い時代は毎日、食料の買出しに行きました。そしてすべて町内の店だけで用が足りたのでした。他の町内で買うのは住人として仁義に反する気風もありました。
Re: 路地に残る歴史
忠顕さま
こんばんは。

>  銀行の建物は、知る時間範囲で既に個人住宅でしたから、住むのに限界がきたら惜しくても残すことができなかったのでしょう。

この建物は多分この道路の幅を広げるときに取り壊されたのではないかと思います。
香丸町側も多くが引っ込めたりできなくて別なところに移ったところもあったと聞いたことがあります。
これも仕方ないのですが、寂しいですね。

>  稲荷に向かう路地は右の側溝までの幅で参道でした。ぶつかって左にクランクして向こう側に出る道も昔からありますが、いかにもあとから作った道。

ここも図書館脇の道でよく通ります。歩くにはいいですよね。
たまに車が通りますが、歩いていると迷惑だと思ってしまいます。

> 小島八百屋のような商店がこの小さな通りにもたくさんあり、家庭に冷蔵庫の無い時代そして街に大店舗の無い時代は毎日、食料の買出しに行きました。そしてすべて町内の店だけで用が足りたのでした。他の町内で買うのは住人として仁義に反する気風もありました。

この仁義が町を守ってきたのでしょうが、今では成り立ちません。
シャッター街になってもいまだ何か眠ったようですし、新しいことを取り入れたりよそ者を入れません。
他所で生まれ育った者がこの街に来て、市街に住むのも少し気苦労しそうです。
嫌なのかもしれませんがよそから人を呼び込まないとジリ貧です。
No title
私の知人(女性)が旧集落の土地を借りて家を建てようとした時

・金銭の問題ではなく、どこの馬の骨かわからん奴に
土地は貸せんと、仲介した不動産屋に。
・しかし、旦那の名でなく嫁が(地元の旧家の娘)と知った途端
なんだ早く言えよと、あっさり承諾。

以前、弊社のパートさんに(家内の友人で)石岡の大店の娘さん
がいまして、その事を話したら。石岡はもっと閉鎖的よ..と^^;

流山では役所の努力で、そうした風潮を少しずつ軟化させて
古い街並みの活用が盛んになってきました。

勿体無いですよねぇ...石岡の街並みは川越に匹敵します。
もっとも、流山や川越は商都で、石岡は政都だったので
プライドの壁は、相当厚いのでしょうね。
たすけ様

> 以前、弊社のパートさんに(家内の友人で)石岡の大店の娘さん
> がいまして、その事を話したら。石岡はもっと閉鎖的よ..と^^;

古い街なのですが、変なところにこだわる人が多いんです。
これが世間から見たらおかしいんですが、まったくもって煮ても食えない。
これは茨城気質というのかもしれません。
都会で人気のないのはこのへんだろうなと思っています。
県南のつくばあたりまでは大分この気質は変わってきましたが、ここはまだ当分ダメですね。
根気よくやって行くしかないですね。

> 勿体無いですよねぇ...石岡の街並みは川越に匹敵します。

まわりから、プレッシャーかけてくださいね。
でも肝心な人がパソコンも使えないし、ネットも見たことがない人が多いですよ。
No title
>他の町内で買うのは住人として仁義に反する気風
これが在ったのは「冷蔵庫、大店舗」が無い時代つまり昭和30年代のことです。今は皆んな車で6号線のイオンや新しいモールに買いにゆくから、町内の商店はほとんど消えてなくなり、仁義も昔の話です。
 しかし単に「よそ者を容れない」というのでなく「こういうふうにするものだ」それ以外は有り得ないと染み付いているのが石岡に限らず私が知っている茨城の田舎です。
 その基本的心情がおまつりを継続させ、お寺を存続させる力として現れる面もあると理解します。訳分からなくても‘こういうふうにするもんだ’に反対できない日本人がいるところです。
忠顕さま
ご意見ありがとうございます。
そのようですが、これがよそから来たものにとっては厄介に映ります。

国内はもとより海外と仕事などしているとこの島国根性が嫌になることがあります。
井の中の蛙に見えてくることがよくあります。
これも「他人の振り見て我が振り直せ」と自分に対しても言えますので、自分も
反省しきりですが・・・・。


> 「こういうふうにするものだ」それ以外は有り得ないと染み付いているのが石岡に限らず私が知っている茨城の田舎です。
>  その基本的心情がおまつりを継続させ、お寺を存続させる力として現れる面もあると理解します。訳分からなくても‘こういうふうにするもんだ’に反対できない日本人がいるところです。

このご意見伺うとやはりそうなのかもしれないと感心しています。

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