FC2ブログ

二十三夜尊(石岡市若宮)

今日はクリスマスイブですが、特に何もない静かな日でした。

12月に入り、石岡駅前の八間道路沿いもイルミネーションで飾られています。
如何に活性化させるのか難しい課題ですね。
どうやって外に発信していくのか。
これから外部との連携をいかに図っていくのかなど少しでも元気な石岡をアピールしていきたいですね。

 さて、石岡の香丸町の柿岡街道入口信号を曲がると正面に若宮八幡宮がある。
この道は柿岡街道でもあるのだが、八幡宮に向かう通りであるために「八幡通り」とも言う。

八幡宮の少し手前の右側に少し変わったお宮がある。
「二十三夜尊」という。前にも一度紹介したが、二十三夜というのは真夜中ころに出る月で、この月の出を待って集まり飲食を共にした。
その集まりを二十三夜講といった。各地に二十三夜尊の大きな石碑が残っているが、ここはまたその中心的な役割を果たしていたようだ。

PB160025s.jpg

街道から奥に続く参道があるが、これは神社ではなく寺だという。
無住ではあるが、近所の講中で管理維持している。

PB160025a.jpg

私が訪れたとき、ちょうど地元のお年寄りが2人がお参りして、手前の石段に腰掛けていた。
そして、少しお話を伺うことができた。

PB160026s.jpg

・このとなりに昔銭湯(仲の湯)があったと思うのですが、無くなったのですね。・・・・

・それは、ここの私の家でやっていた。もう今やっていない。
昔は、美野里の方にある大学の運動場から春秋バスで学生が大量にやってきていた。しかし時代の波には勝てない・・・・

(参考:2001年に、ここの銭湯を利用したブログ:こちら

PB160027s.jpg

・そこに大きな銀杏の木があったようだが・・・

・切り株だけ残っている。この場所の下の地下にトンネルが通っていると言われている。

・それは昔の府中城の七つの抜け穴の一つですか?

・そう。向こうの城跡のほうからここを通って泉町の方まで続いていたようだ。山口歯医者のところでも穴が見つかった。
また庭を掘っていたら重機が落っこちたとか。人が一人潜れるくらいのものらしい。

<府中城七つの抜け穴>(石岡の歴史と文化 石岡市歴史ボランティアの会編)
古くからの言い伝えによると、この府中城には七つの抜け穴があると言われている。これを証明するように、昭和19年11月に石岡小学校西運動場Y字形の三叉点に1.2m2の穴が空いた。これは軍隊のトラックによる振動と重量によるものであった。この穴は、言い伝えでは青木町から香丸町より泉町へ通じているとのことであった。また、青木町の山口歯科医院前で、1.8m2の坑道が発見され、香丸町の石原自転車店裏も陥没した。更に泉町小松氏宅裏も大雨で人がたって歩ける程の穴が空いたのである。そして金刀比羅神社鳥居西方36m先も陥没した。また昭和4年6号国道の改修工事で、守木町魚亀前が1.2m2陥没。これは外城方面への抜け穴の一部と見られている。貝地の猪瀬氏宅でも庭が陥没したが、側面は赤土を饅で撫でたようで、元真地の井坂氏の畑を発掘したときにも見られたものと同じであった。記録によれば「府中より東南方向の出口は幸町羽黒祠下」とあり、その場所に近い場所であった。

PB160028s.jpg

・ここの縁日は昔は結構賑わったらしいですね。

・そうね。いろいろなお店が(屋台)が並んだよ。この入口だけでなく
向こうの道路の方まで並んで賑やかだった。
最近までここにある小屋で御札も売っていた。

PB160029s.jpg

・今訪れる人はどれくらいいるのでしょうか。

・こうして管理しているが、賽銭箱も開けても今ではほとんど入っていない。
孫の小遣いにもならない。
講の家で年間数千円づつ出して維持費にしているが、大変だ。

PB160030s.jpg

石岡の街中にはこのような寺や神社は多い。
それぞれに事情はあるのでしょうが、どのように管理し、歴史を残していくのかを考えさせられてしまいました。

地元で世話役がいなくなればきっとそのうちに忘れ去られてしまうかもしれません。
昔、かなり縁日も賑わい、お参りする人も多かったようですが、今では目の前を観光客も素通りでしょうか。

二十三夜尊なども道端やお寺の隅に忘れ去られていくようです。

昔書いた二十三夜の記事 → こちら



にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 茨城県情報へ  ← よろしければクリックお願いします。

石岡市内 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/12/24 18:06
コメント
二十三夜尊
不思議な存在です…というか存在理由がよく判らないです。
教育委員会が立てた説明板には確か、大掾氏もお参りしたような記述があったと思いましたが、本当ならば相当古い歴史があります。
いまでも構を守る人たちが絶えることなく居られるのがよく判りません。代々永く住んでいれば守ってゆく精神はその人達の中に生き続けてゆくのだろうか、と18歳でこの街を出た私には感慨深いものがあります。

 この境内には昭和30年台始めごろ街頭テレビが設置された場所でもありました。
忠顕さま
こんばんは。 久しぶりに石岡の記事になりました。

> 不思議な存在です…というか存在理由がよく判らないです。

確かに他のところにはない存在ですよね。理由もわからない。
思わずお寺ですか?神社ですか?などと馬鹿なことを聞いてしまいました。

> 教育委員会が立てた説明板には確か、大掾氏もお参りしたような記述があったと思いましたが、本当ならば相当古い歴史があります。

こんなよくわからない存在なのに縁日にはたくさんの屋台まで出て、御札を売る小屋まであって不思議ですよね。

> いまでも構を守る人たちが絶えることなく居られるのがよく判りません。代々永く住んでいれば守ってゆく精神はその人達の中に生き続けてゆくのだろうか、と18歳でこの街を出た私には感慨深いものがあります。

これも数千円でも出しているのはまだここに長く住んでいる人がいるからで、徐々にそれも途絶えてしまうのかもしれません。いかにして守っていくか? それにはこの寺の存在意義をもっと探らなければならないでしょうね。
教育委員会なるものがこの町の歴史を正確に保存していく団体であるのかは残念ながら難しい存在のように思います。

>  この境内には昭和30年台始めごろ街頭テレビが設置された場所でもありました。

そうですか。初めて知りました。テレビは昭和34年の皇太子ご成婚の頃に各家庭に普及しましたね。
昭和32~33年頃は近くのお蕎麦屋さんに見せてもらいに行っていました。
街頭テレビはその少し前なのでしょうね。懐かしい響きです。


管理者のみに表示