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善慶寺(石岡市柿岡)

 2~3日前に常陸大宮市の長倉宿を紹介して、すぐ次にこの記事を書く予定でしたが、ことば座の紹介記事が入り少し空いてしまいました。

長倉氏は源氏の新羅三郎系列の佐竹氏直系(佐竹行義)の次男(?)が1317年に長倉に来て城を建てたことから始まる氏族です。
そして、この長倉城を建てた時に現在「蒼泉寺」の建っている場所あたりに現在石岡市柿岡にある善慶寺を建立したと言われている。

1590年常陸国をほぼ統一した戦国武将「佐竹義宣」のより長倉城主「長倉義興」はここ柿岡(現石岡市)に2320石を所領して、移り住んだ。

その時にここ柿岡城(現柿岡小学校敷地)の麓に善慶寺を移転させたという。

そのため、この長倉氏(佐竹)の菩提寺となるわけだが、長倉義興は些細なことで佐竹義宣に逆らい、慶長4年(1599)常陸太田の正宗寺に幽閉され、1600年4月に死んでしまった。
この当時の状況では毒殺された可能性が高そうである。

これで柿岡の長倉氏は滅んでしまうわけだが、同じ年に、佐竹義宣も家康により出羽石(秋田)へ転封になってしまう。

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現柿岡小学校。ここに柿岡城があった。今はセキュリティが厳しく、一般のひとの出入りが制限されていてこの上に置かれた説明看板を見ることができなかった。
そのため、昔撮った写真を下記に載せておきます。

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説明にあるように、鎌倉期に小田氏の氏族がこの柿岡を領して柿岡氏と称した。
その後、小田氏が滅びると真壁の梶原政景がやってきた。
この梶原政景はとなりの片野の城主太田三楽斎(太田資正)の二男である。

石岡府中の大掾(だいじょう)氏が佐氏により滅ぼされた後にこの柿岡城に長倉氏はやってきたことになります。そして9年間しかいなかった。
一方石岡(府中)は、やはり佐竹義尚が支配し、菩提寺は清涼寺です。(その前にあった清涼寺は1590年の府中陥落の時に消失しています)
こちらも佐竹氏が秋田へ移ったために、実質的には10年ほどしかいませんでした。

さて、江戸時代の柿岡ですが、三代将軍家光の乳母として知られる春日局(稲葉正成の妻)の子供である稲葉正勝が5000石で入っていたが、1623年に真壁5000石を加増されて柿岡藩1万石の大名となった。

この稲葉正勝は徳川家光に可愛がられていたため、次第に大大名になっていきます。
まずは父の後を継いで真岡藩4万石の大名になります。

柿岡藩はこれで真岡藩に組み込まれて廃藩(1628年)となりました。柿岡藩は5年間で消滅しました。

その後、家光に従って稲葉正勝は老中になり、小田原藩8万5千石を得て移り(1632年)、真岡藩は小田原藩の飛び地となり、後に天領(1783年)になりました。

柿岡は正勝が小田原に移った時に天領となったようです。(確認していません)

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こんもりとした台地の上に建つ柿岡小学校の麓に善慶寺はあります。

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長倉氏は滅びましたが、今も善慶寺(禅寺)は落ち着いた雰囲気のある寺として守られていました。

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現地に建つ本堂修復記念碑に書かれていた寺の由来を下記に転載します。

「善慶寺の由来(禅宗 曹洞宗)」
 延元元年(1336年)長倉義春公が現世の安穏を願い大円宗覚禅師(佐竹行義公の三男三好丸)を開山の師として長倉に善慶寺を建立する。文禄年間(約400年前)長倉義興公柿岡城主に任ぜられ長倉家の菩提寺を柿岡に移し本尊釈迦如来を安置す。文禄年間仏殿・法堂・鐘楼・方丈の建立をする。
八世住職益室大和尚のときなり。寛文3年(1660年)本尊の光背文珠普賢獅子像を新造す。文政13年(1830年)現存の本堂新築 天保2年須弥壇内陣彫刻欄間新設す

となっていました。コメントは特にしません。

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歴代住職のお墓のようです。たくさんありますね。お墓を載せるのは失礼とは思いましたが、長く続いてきた証として載せてみました。

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実はこの寺を見学した目的の一つがこのお墓です。
亀の背中に墓石が載っています。この地震で大丈夫だったのでしょうか。

このお墓がサーカス集団「柿岡曲馬団」の柿岡春次郎の墓だと思います。
確か青森出身で荒川春次郎だったと思います。(前に紹介した記事 → こちら

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善慶寺のすぐ裏手(本来は街道からはこちらが表)には古びたお堂がありました。
いつごろ建てられたものなのでしょうか。

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普通神社には奉納額が置かれていますが、これはお堂の板壁に書かれたもののようです。
何箇所か似たようなところも見た記憶がありますが、ここには特に書かれたものは置かれていませんでした。(八郷町史あたりには載っているかもしれませんが見ていません)

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このお堂の向いている方向(写真を撮っている背中側)には柿岡の八幡宮があります。

IMG_5159s.jpg

もとの入口の方に戻って1枚。右手の高台に柿岡小学校。左手手前の方が善慶寺です。
この周辺も桜の木が多く、春には一斉に咲いて美しい場所です。



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八郷地区 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/12/03 19:12
コメント
柿岡
柿岡の城には小生の先祖のひと枝が関わったと聞かされているので関心は持っていましたが、城主の出入りはものすごくめまぐるしかったのですね。江戸末期には代官の支配だったとありますから大したものではなかったでしょう。先祖に関する知識が増えました。ありがとうございます。
 柿岡についての知識はむしろ、小学校からも近い「磁気観測所」ですね。常磐線の電化で交直両用車両にさせたので有名です。---すでにRomanさんの記事にあるのかも知りませんが。
Re: 柿岡
忠顕さま

石岡と柿岡は近いのですが、一緒の市になる前にはあまり交流が少ないように思います。
わたしも石岡に来てあまり柿岡は知らないことが多いです。

この寺は柿岡城の麓だったので、城の説明もしてしまいましたが、柿岡の人はこの寺ではなく「八幡宮」や「八坂神社」の方が馴染み深いようです。

でも柿岡城などを調べると面白いです。

>  柿岡についての知識はむしろ、小学校からも近い「磁気観測所」ですね。常磐線の電化で交直両用車両にさせたので有名です。---すでにRomanさんの記事にあるのかも知りませんが。

常磐線に乗っていると途中で社内が暗くなりますので昔からこの場所は知っていました。
でも中を見たことはありません。
この場所のデータも今では移転することも含めて、電車を直流に出来る可能性も高いと聞いてもいます。
でもあまり真剣に議論されません。
車両代が高くなりますので、直流電車が走ることを目指す必要もありそうに思っています。
本当にダメなら仕方がないのですが・・・。

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