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太田善光寺(3)

 昨日に続いて、石岡市八郷の太田地区にある善光寺です。

善光寺といえば長野にある善光寺を当然思い浮かべます。
この長野にある善光寺は「牛に引かれて善光寺参り」で知られますね。

百済から伝わった(約1400年前)日本最古の仏像といわれる阿弥陀如来像(三尊)を本尊(秘仏)としています。
話によると、この仏像は蘇我氏と物部氏の争いで、物部氏によって大阪難波に打ち捨てられていたものを、信濃から都に来ていた本田善光という人物が西暦602年に拾い上げられ現在の長野県飯田市に祀られるようになったと言われています。
今では6年に1度の開帳が行われています。

この善光寺の阿弥陀如来三尊(立像)を模した善光寺式阿弥陀仏を信仰する動きが全国に広がったのは、鎌倉時代から室町時代にかけてでした。

このため、仏像を納め奉るために全国に善光寺という名の寺もたくさんできました。

ここ太田の善光寺は、つくば市から土浦市などを支配していた小田氏(八田氏、宇都宮氏からの派生)11代当主の小田成治の母堂が、小田家の菩提寺である山之荘村小野(現在の小町の里のあるあたり?)の「新善光寺」を深く信仰して、出家して雪主比丘尼となった。

成治は、この母親が深く善光寺を信仰していたため、新治郡井白郷館荘太田月光山麓(今の寺よりも山よりのもっと高いところ?)を安隠の地と選び,文亀元年(1501)「月光山無量寿院善光寺」を建立したという。

そして小野にあった新善光寺を此処に移したという。

 その後、元禄14年(1701)11月に、寺を現在地の堂山に移したとされています。

しかし、地元の人に話を聞いてみたのですが、明治はじめまでは、門をくぐった左手にある立派な「太田田園都市センター」(公民館) の場所に寺があり住職もいたといいます。

すると、いま階段を上った上にある崩れかけた立派な堂宇はなんなのでしょうか?

これは「お宮」だというのです。小田氏が守ってきたお堂なのだそうです。
きっと善光寺と新善光寺が両方あったことになるのかもしれません。

現地を見ると上のお堂の裏手にたくさんの五輪塔が並んでいます。

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お堂の裏手の五輪塔です。
小田氏歴代の墓と言われています。
今もその子孫という方(小田姓ではない)がこの場所を管理しているそうです。

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小田成治の母がこの地で尼として暮らしたと言われていますが、この成治の後の小田氏の家系を見るとおかしなことになっています。

成治の二人の息子(治孝、顕家)が跡目を争っているのですが、12代は長男の治孝なのですが、すぐに跡を継いだのは足利将軍の一族の足利政知(まさとも)の子供(政治(まさはる))を成治の養子に迎えています。

戦国時代に名前の出てくる小田氏治(うじはる)はこの小田(足利)政治の子供です。
この氏治の代で最後は小田城も土浦城も奪われ、佐竹氏に滅ぼされてしまいました。(1590年)
氏族が絶えたのではなく、一部は八田氏に戻り豊臣秀吉に仕えたり、一部は越前に行ったとも言う。

どうやら小田氏の中で内紛が起こった時に、氏族の一部がこの地に逃げてきたと考える方がつじつまが合います。
そして、代々の墓もここに移したのだと思います。

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さあ、この寺がますますわからなくなりましたが、小田氏(足利政治の来る前の小田氏11代)の墓なのでしょうか?

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左手の丸い墓は誰のものでしょうか? 奥に見えるのは寺でなく神社です。
寺を神宮寺のような性格にするために神社を作ったのかもしれません。

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この梵語の書かれた石の年号は寛政九年(1797)となっており、この寺(お宮?)の建設もその頃ではないかと想像しています。

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この神社の名前がどこにも書かれていないがなんというのだろうか。現地でも確認してこなかった。

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拝殿の後ろに本殿が置かれています。

(明日に続きます)

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八郷地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/12/15 19:23
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