石岡の街並み(17)- 中町
一ヶ月くらい前に石岡の町並みを紹介していました。
もう少し追加で紹介していきたいと思います。
石岡の街は昭和4年3月の強い風が吹く日に大きな火災で被害を受けました。
(石岡の火災の記録は私のホームページ参照 → こちら)
しかし、街には活気が有り、すぐに復興を遂げたのです。
今の駅前の八間通りは当時としては広い通りが整理されました。昭和天皇がこられたのは同じ年の11月です。
「御野立所」で軍事演習が行われたためでもありますが、この時に石岡の復興を見ていったのです。
そのため八間通りは別名「御幸通り」といいます。
この中町を中心にした店舗兼住宅のつくりは、「看板住宅」と一般に言われています。
関東大震災の5年半後の火災ですから、東京の復興が参考にされました。
道路を広くしたいとの考えから、店の前に軒を出して商売したり、看板を掲げたりすることを止めたのです。
店舗の壁面に店名をいれたり、看板のような装飾を施したために「看板住宅」と呼ばれるようになったものだと思います。
全国的にこの時期に多くの建物が建てられたようです。
しかし石岡がもっともその特徴をよく表した街並みになりました。
これだけ残っているものも珍しいのです。
国の有形文化財に指定されています。(詳しくは私のホームページを参照下さい → こちら)

この中町商店街も10年ほど前までは歩道の上に屋根がつけられていました(雪国では雁木ですね)。
しかし、これも鳥が巣をつくり、暗くなってしまうために取り払ったのです。
するそこに現れたのがこの昔の看板住宅の姿でした。
汚れを落とし、化粧直しをしてはいますが、昭和ロマンの趣が伝わってきます。
多くの人に訪れて見ていただきたいと思っています。

通りがスッキリした印象を受けますが、これは電柱がないためです。地中化を石岡は駅前から電線の地中化がすすんでいます。
外部からの観光客を呼び込む必要があります。
魅力ある食事処や駐車場、トイレの整備、パンフレットや案内板、案内本などを順次整備していかねばなりません。
「置かれた場所で咲きなさい」と言われた人がおりました。
生まれ、育った場所は違うところですが、ここで生活をしているのですから何かの役に立てることをこれからも精一杯にやっていければ楽しい人生になると思っています。
そうそう人の「人情み」やおもてなしの「あいさつ」なども大切ですね。
このあたりは私も苦手です。努力あるのみですね。

この通りに昔大きな老舗呉服店「高喜」がありました。
その店も閉店し、取り壊されていましたが、ここにはでなドラッグストアができました。
残念ながら通りの雰囲気を壊していると思います。
この通りに見合った看板を別途考えて立てて欲しいのですが・・・・
景観法が石岡ではなかなか施行されませんでした。やっと今年春に成立したようです。
案を作ってから何年もかかってしまいました。
こういうことも市民である私たちにも責任がありますね。
私も含め、一般の人たちはおとなしすぎるのですよ。
ドラッグストアのとなりに見える風格ある土蔵造りの店は「福島砂糖店」です。

ドラッグストアの駐車場側から店の裏に蔵があるのが見えます。
2つくらいあるようです。

砂糖の倉庫を裏の方においていたため、店まで運ぶのはトロッコを使います。
他のお店の裏手にも軌道の一部が残っている場所もあるようですが、現役で使われているのは、おそらくここだけでしょうか。
上の写真はご主人が見学者を案内しているところです。

こちらは登録文化財ではありませんが、同じような趣を感じさせてくれます。
阿波屋(洋服屋、学生服)、中藤(お米や)さんです。

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もう少し追加で紹介していきたいと思います。
石岡の街は昭和4年3月の強い風が吹く日に大きな火災で被害を受けました。
(石岡の火災の記録は私のホームページ参照 → こちら)
しかし、街には活気が有り、すぐに復興を遂げたのです。
今の駅前の八間通りは当時としては広い通りが整理されました。昭和天皇がこられたのは同じ年の11月です。
「御野立所」で軍事演習が行われたためでもありますが、この時に石岡の復興を見ていったのです。
そのため八間通りは別名「御幸通り」といいます。
この中町を中心にした店舗兼住宅のつくりは、「看板住宅」と一般に言われています。
関東大震災の5年半後の火災ですから、東京の復興が参考にされました。
道路を広くしたいとの考えから、店の前に軒を出して商売したり、看板を掲げたりすることを止めたのです。
店舗の壁面に店名をいれたり、看板のような装飾を施したために「看板住宅」と呼ばれるようになったものだと思います。
全国的にこの時期に多くの建物が建てられたようです。
しかし石岡がもっともその特徴をよく表した街並みになりました。
これだけ残っているものも珍しいのです。
国の有形文化財に指定されています。(詳しくは私のホームページを参照下さい → こちら)

この中町商店街も10年ほど前までは歩道の上に屋根がつけられていました(雪国では雁木ですね)。
しかし、これも鳥が巣をつくり、暗くなってしまうために取り払ったのです。
するそこに現れたのがこの昔の看板住宅の姿でした。
汚れを落とし、化粧直しをしてはいますが、昭和ロマンの趣が伝わってきます。
多くの人に訪れて見ていただきたいと思っています。

通りがスッキリした印象を受けますが、これは電柱がないためです。地中化を石岡は駅前から電線の地中化がすすんでいます。
外部からの観光客を呼び込む必要があります。
魅力ある食事処や駐車場、トイレの整備、パンフレットや案内板、案内本などを順次整備していかねばなりません。
「置かれた場所で咲きなさい」と言われた人がおりました。
生まれ、育った場所は違うところですが、ここで生活をしているのですから何かの役に立てることをこれからも精一杯にやっていければ楽しい人生になると思っています。
そうそう人の「人情み」やおもてなしの「あいさつ」なども大切ですね。
このあたりは私も苦手です。努力あるのみですね。

この通りに昔大きな老舗呉服店「高喜」がありました。
その店も閉店し、取り壊されていましたが、ここにはでなドラッグストアができました。
残念ながら通りの雰囲気を壊していると思います。
この通りに見合った看板を別途考えて立てて欲しいのですが・・・・
景観法が石岡ではなかなか施行されませんでした。やっと今年春に成立したようです。
案を作ってから何年もかかってしまいました。
こういうことも市民である私たちにも責任がありますね。
私も含め、一般の人たちはおとなしすぎるのですよ。
ドラッグストアのとなりに見える風格ある土蔵造りの店は「福島砂糖店」です。

ドラッグストアの駐車場側から店の裏に蔵があるのが見えます。
2つくらいあるようです。

砂糖の倉庫を裏の方においていたため、店まで運ぶのはトロッコを使います。
他のお店の裏手にも軌道の一部が残っている場所もあるようですが、現役で使われているのは、おそらくここだけでしょうか。
上の写真はご主人が見学者を案内しているところです。

こちらは登録文化財ではありませんが、同じような趣を感じさせてくれます。
阿波屋(洋服屋、学生服)、中藤(お米や)さんです。



石岡で最も有名な名醸でも大福帳レベルの会計だったと、戦後勤めてみて驚いたという親類の話を聞きました。
消費者指向やお客様第一という概念はかなり最近のものだと思い、それが無かったと非難するつもりはありません。しかし「こういうふうにやって来た。こうやっていればいいんだ」という思いが随所に見える気がします。
その陋習を思考なく受け入れる精神とは、石岡のお祭りを運営してきた中にあるのではないか、と思ったりします。行為者主体で受け手は勝手。…お祭りを変えよというつもりは全くありませんが。
こんばんは。
このようによそ者が好き勝手を書くのはあまりよくないでしょうね。
祭りも昔のお祭りがそんなに大きくなっていない時の話も知りましたが、伝統や歴史などとはそんなに関係ないのです。
現在の祭りがこれだけ大きくなったのですから、これをどのように維持し、変化を遂げていくのかも考えなければ今の体制では続けられなくなるように思います。
> 醤油はかつてカラの一升瓶を持参して買いにゆきました。店で樽の横栓を抜いて桝で量り、瓶の口に差したじょうごを通して注ぎ入れる、そんな売り方が当たり前でした。
> 石岡で最も有名な名醸でも大福帳レベルの会計だったと、戦後勤めてみて驚いたという親類の話を聞きました。
面白いですね。そのような話好きです。実態はそんなものだったのでしょう。
お酒についても似たりよったりですが、その時の人たちが石岡の名士となっていますね。
なかなか思うようになりません。気長にできることからやっていきたいです。
情報発信もひとつの石岡の名前を埋没させなくする一助になると思っています。
今年も大変お世話になりました。楽しい議論をまたお願いします。
石岡という町の事が少しづつ
理解出来はじめています。
看板住宅は、見ているだけで楽しくなりますね。
並んでいる3棟がどれも個性的で、見てみたいです。
それも、現役なんですね。
福島砂糖店のトロッコのレール
しびれますね。個人宅でこんな設備が
あるなんて、最高です。
今年1年お世話になりました。
また来年もお邪魔します。
少し早いですが、ご挨拶させていただきました。
こんばんは。
> 大変うれしいです。
> 石岡という町の事が少しづつ
> 理解出来はじめています。
こちらもそう言っていただけると嬉しいです。
わかりやすく説明できるようにこれからも努めていきたいですね。
> 看板住宅は、見ているだけで楽しくなりますね。
> 並んでいる3棟がどれも個性的で、見てみたいです。
> それも、現役なんですね。
> 福島砂糖店のトロッコのレール
> しびれますね。個人宅でこんな設備が
> あるなんて、最高です。
そうですよね。こういうの好きな人は結構いると思います。
砂糖屋さんなのですが、砂糖の商売はほそぼそとやっていて、オモチャのフィギュアなどを置いたりしていました。
このような文化財も一時手直しの資金は出ても商売になっていないところばかりです。
十七屋はきもの店(話し好きのおばあさんがいますが、昔の古いものばかりで売れているのか?)
久松商店(今は店を貸しています。笠間の女性がオリジナルの洋服などを作って売っていますが・・・)
福島砂糖店(商売はあまり順調のようには見えない)
難しいですね。一度来年にでもお越しください。
本年は大変ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
どうぞ良いお年をお迎えください。
まほらにふく風に乗って=石岡のブラタモリと感じています。
本当にタモリさんや加山雄三さん(ゆうゆう散歩)の番組で
放映されたら一時は観光客が来るでしょうが
やっぱり街のハード&ソフト両面のホスピタリティが完備
されないとリピーターは増えないですよねぇ。
来年も、石岡のブラタモのレポートを楽しみにしております(^^)
どうぞ良いお年をお迎えください。
> 福島砂糖店の軌道の写真!私もツボです!!
そうなんですよね。こんなのが好きな人がたくさんいますね。地元の人は鈍感ですね??
> まほらにふく風に乗って=石岡のブラタモリと感じています。
とても嬉しいです。 光栄に思います。
そんな意識はないけれど言われるとそれに近づこうとするかもしれません。
> やっぱり街のハード&ソフト両面のホスピタリティが完備
> されないとリピーターは増えないですよねぇ。
観光行政があるのですから、計画的にやっていってほしいです。
その時に、地元や水戸の有力者、商工会などだけでなく、都会に近い人たちの意見を入れて欲しいです。
> 来年も、石岡のブラタモのレポートを楽しみにしております(^^)
> どうぞ良いお年をお迎えください。
こちらこそ来年もよろしくお願いします。
良いレポートをしていただき感謝いたします。