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石岡の街並み(18)-守木町

 旧国道355線は石岡市内を走っているが、ここはかっての陸前浜街道(水戸街道)であった。
守木町は坂を上った石岡の入口に当たり、今では町名としてはなくなってしまったが、守木郵便局があるので、このあたりだということがわかる。

私などはもともとこの土地で育っていないので、旧町名もなんだかよくわからない。
でもこのように郵便局の名前としても残れば知らない人でもある程度わかる。

香丸、中町と続いた先の金刀比羅神社あたりからを指すのだと思う。

ここにもそれほど広いエリアでもないが、郵便局やNTTの建物があり、昔は結構栄えたのだろう。
石岡の郵便局はここが一番早かったそうです。(明治6年)
郵便局を始めたのは酒造業をやっていた「村田宗右衛門」だそうです。

村田宗右衛門の酒造業は明治4年の資料では上位に名前が出てきているが、昭和6年には出ていない。
酒造業をやめて郵便局の事業に転身したのだろうか。昔は郵便局も代々世襲でやっていたものと思う。

守木町の名は、常陸大掾氏の家臣・守木氏が住んでいた場所のようだ。これは香丸町や金丸町などと同じだ。

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金刀比羅神社駐車場看板。 となりは江戸時代の染物屋「丁子屋」(まち蔵藍)です。
この前の大地震で屋根や壁が相当痛み、どうにか修復しましたが、昔の渋さが消えてしまいました。

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金刀比羅神社。
石岡の人は「笠間の稲荷か、石岡(府中)の金刀比羅さんか」と昔言われていた程賑やかだったといいます。
今でも毎年1月と10月の各10日に大祭が行われています。

これも恐らく霞ヶ浦の水運が発達していた時には、これらの関係者もたくさんお参りに来ていたものと推察されます。
陸前浜街道などという名前も懐かしい響きを持っています。

神社は数年前に火災で焼けて、再建されました。
この間の大地震で、入口にある大きな鳥居はヒビが入り修復し、境内横にあった土蔵は取り壊してしまいました。

実はこの高さ10m程もある大鳥居は大正4年に大正天皇の即位を記念して笠間市稲田の花崗岩で建てられたものだといいます。
この鳥居の位置に昔は、立派な楼門(三層)が建っていたそうですが、明治11年の火事で焼けてしまったそうです。
またこの楼門(二天門)はその昔、神官が法螺貝を朝晩に吹いたので法螺堂とも呼ばれていたとあります。

本殿も焼けて再建され、また昭和4年の大火事で焼け、その後に再建されたが、平成12年にまた火災で焼失。
今の本殿(拝殿)は平成19年のものです。

また、この神社に関係した寺が二つあったそうです。森木寺と八大寺と言ったそうですが、これらは府中城の大掾氏の滅んだ天正18年(1590)に一緒に焼けて無くなってしまったそうです。

でも前から森木と呼ばれていたこの神社や寺の名前が「守木」として地名で残ったようです。

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石岡の街並み | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/12/29 18:15
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