fc2ブログ

長法寺町と若松町

 私の今住んでいるところは石岡市若松である。正式名称は若松町ではない。しかし、この若松町の地名の成り立ちを考えると歴史も少し見えてきそうである。もちろんこちらに来て年数は浅く、地元の古参の方ともお付き合いがないので間違っているかもしれない。図書館の書籍によると昔は「長法寺町」といっていたという。石岡のおまつりに出る山車には「若松町」の表示があるが、年番制がスタートした明治35年(1902年)の最初の16町の中の表示は「長法寺町」となっていた。ではいつ名前が変わったのだろうか。
資料によると江戸時代の宝永年間(1704-1711)に若松町改名されたという。理由ははっきりしないが「佳名をとって・・・」というので縁起の良い名前にしたという。しかし、この長法寺は室町時代ころからこの地にあって、かなり大きな寺であったが、明治3年の500軒ほどが焼失した大火(長峰寺の火事:長法寺は長峰寺とも書いていた)で焼けてしまいその後はなくなってしまったようである(今は木造十一面観音立像と馬頭観音の石碑が置かれている)。しかし、まつりの年番制の正式町名が最初は「長法寺町」といわれるように長い間2つの名前が用いられていたに違いない。昔の石岡(府中)の街の姿を考えてみると、ここ若松町は柿岡街道と宇都宮街道が合流する地点であり、馬頭観音石碑があるように馬の集積地になっていたという。また車がまだあまりなかった昭和30年頃まで、多くの人が米2俵を馬の背につけてここへ運んだという。また、昔の方に聞くと生糸などを運ぶ絹街道ともいわれにぎやかであったという。今はただ石岡の市内の中で最も大きな町(住民が多い)として見られる以外にはあまり特徴がない住宅地だが、国分尼寺跡は若松町内にある。また、有名な刀工長峰寺正俊(刀は国立博物館に所蔵されている)はこの地に住んでいたが、鎌倉へ移ったという。名前に長法寺を使っているので寺の住職だったのかもしれない。
douhyous.jpg
若松町にある追分(柿岡街道とかわらい宇都宮街道との分かれ道)
名前を変更して佳名をつける必要があったと考えると、考えられるのは江戸時代の陣屋(今の石岡小学校の場所)近くに刑場があり、罪人を釈放する時に江戸徳川側と水戸様側を避けてこの長法寺側の門から釈放したと記述が残されており、あまり良い印象を持たれなかったためなのかもしれない。まったくの推論ですが・・・。それにしても自分の住んでいるところももっと知りたいな~。

地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/08/21 11:26
コメント

管理者のみに表示