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地方、地域名(1)

 昨日の朝、空を見上げると大きな龍が一直線に西から東に泳いでいました。

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石岡は常陸国国府があったところといいますが、大昔のこと。
多くの国府のあったところも同様で、新しい建物を建てる前には発掘調査などが行われ、時間も費用もかかります。
道路もなかなか広げられず、未だに3~3m幅の法定4mに満たない道路が街中にはたくさんあります。

それにもかかわらず、昔のプライドみたいなものが漂っていて、今時「なんだかな~」なんて思うこともあります。

少し私の望む方向とは違っていても、これはまたこの地域を愛する人々でもあります。

ご多分に漏れず駅前といえどもシャター街に近づいてきている感も拭えません。
何とか少しでも活気を取り戻してくれたら良いと願っています。

これもささやかな希望で、都会のように多くの人が来るのは望みもしません。騒がしいのは好きではありません。

こよなくこの街を愛し、歴史にも思いを馳せ、八郷地区の里山を楽しんでいただける人が程々にいればそれでいいのです。
そして街中や観光地が成り立っていければと願うのみです。

今は街中を歩いていてもほとんど人がいないのですから、人恋しくなってくることがあるのです。
でもこの街の魅力は一度ハマると抜けられない魅力を持っています。

石岡には龍神山と言われるいろいろな伝説の残っている山がありました。

龍が棲んでいるというといわれ、また鬼が住んでいるとも言われてきました。
また日照りには湧水が人々の暮らしを支え、大昔から雨乞いの山でもありました。
湧水も酒造りには適していたのでしょう。古くから酒造りも盛んだったのですが、灘などのように大きくなることはありませんでした。
それでもおいしい酒が作られています。

龍神山も、もっと昔は「村上山」と言われてもいたようです。村の上にある山という意味なのでしょう。
今年も気になる地名などを探っていくことにもなりそうです。

正月から気になる地名がありました。それは「関西・関東・東北」です。

「東北」というのは日本の東北にあるので「東北」だと思っていると思います。
私もそうですし、辞書などを引いてもこのように書かれています。

でも本当にそれだけなのでしょうか?いつごろから呼ばれていたのでしょう。
東北は鬼門の方向です。偶然の一致なのでしょうか?

まずは関東、関西の名前がどのように決まってきたのかを調べてみたいと思います。

関東、関西の「関」は関所(せきしょ)のことだそうです。
こんなふうに考えたことは今までありませんでした。

律令制時代(奈良時代)に都は奈良・京都にありました。この都のある地域は畿内と呼ばれていて山城・大和・河内・和泉・摂津の五つの国があり「五畿内」と呼ばれていました。

この中の「和泉」はその前は「泉」と一文字だったそうですが、奈良時代に朝廷の命令で2文字と変更されました。
四国徳島の「阿波」もその前は「粟」と書いていたといいます。

律令制時代に作られたこの畿内から全国の首都を結ぶ街道に関所が設けらました。

東に向う街道は三つで、東海道は「鈴鹿関(すずかのせき)」、東山道は「不破関(ふわのせき)」、北陸道は「愛発関(あらちのせき)」がおかれました。この時の古東海道は伊賀国から始まりますので、その途中の亀山市関町あたりが鈴鹿関、また不破関は天下分け目の関ヶ原あたり、愛発関は越後国の入口で、福井県敦賀市の南あたりとされています。

(愛発関は、平安時代には山城国と近江国の国境の「逢坂関」(滋賀県大津市)に変わります。)

奈良時代の三関を地図にマークしてみましょう。

三関

地図でもわかるようにこの関から東を「関東」と呼んだとしても、今の関東とはイメージが合いません。

これは鎌倉幕府ができて今の関東地方が定まったと考えられます。
鎌倉幕府が朝廷から認められた直接統治の国が今の関東地方にそのままなったそうなのです。

関東武士の地域といったところなのでしょう。
この時にそれまで同じ関東と呼ばれていた中から「三河」「信濃」「越後」が中部地方になったのです。

地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/01/04 08:47
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