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地方、地域名(2)

 昨日は畿内から東に伸びる街道に作られた三関を紹介しましたが、これらの関所ができた時期は天武天皇元~2年(672~673年)とされています。大化の改新が645~646年ですからそれから約27年後になります。

この頃の天皇の地位はまだ危うく、時々この関を固めるように発令が出されています。
しかし、延暦8年(789)に桓武天皇の勅によりこの三関はその機能を停止したようです。
完全になくなったわけではありませんが、畿内を守るという役目は薄くなったようです。

その後、三関の越後の入口にあった愛発関はなくなり、相坂関(逢坂関)が加わったが、これは京の都にずっと近く、琵琶湖の入口(大津市)にありました。
逢坂の関は万葉集などにも歌われ、ここで都から旅立つ人を送った場所となったのでしょう。

これは天皇の政権(大和王朝)がかなり安定してきたためであり、10世紀ころにはこの三関はもうほとんど機能していなかったと言われています。

さて、ではその先の関東と東北地方の関を見てみましょう。

関はやはり三つあり、東海道「勿来関」、東山道「白河関」、北陸道「鼠ケ関(念珠関)」の三関所を奥州三関と呼びます。

奥羽1

東山道は終点が仙台の先「多賀城」でした。この道は東北地方に限ってみると大雑把に行って現在の4号国道やJR東北線の鉄道に近いところを通っていました。

この街道に作られたのが白河関です。
しかし、この関が何時作られたかは不明で、7世紀後半から8世紀始め頃と考えられます。
もちろん最初の頃はこの地の先は蝦夷地と言われ、まだ大和王朝の勢力が完全には及んでいなかったと思われます。

当時は陸奥や出羽に鎮守府将軍が北方防衛のために派遣され、警護にあたっていたと思われます。

上の地図には東山道の終点「多賀城」の位置と、もう一つ平泉の近くの「達谷窟」の位置を示しています。
達谷窟については平泉が世界遺産に選定されて、観光のブームとなっていますが、この達谷窟も同じように見る観光記事が散見されます。

しかし、この地は蝦夷の首領「アテルイ(阿弖流為)=悪路王」たちが最後まで戦った場所でした。
アテルイとその部下モレ(母礼)が坂上田村麻呂の軍に投降したのは802年のことです。

その後この二人は京に送られ、首を切られて死にます。京都の清水寺に石碑が立てられています。

さて、この後捕まった残りの蝦夷の人たちはどうなったのでしょうか?
よくわかりません。大和朝廷に忠誠を誓ってこの地の平定に力を貸した人もいるでしょう。
また、最後まで抵抗した人もたくさんいたでしょう。
またもっと北を目指して逃げていった人もたくさんいたはずです。

これについては青森の「ねぶた祭り」の起源としてひとつの話が伝わっています。
捕まった蝦夷の人々は生きたまま穴に押し込まれた。そして上に蓋をかぶせ生き埋めにしたのだと・・・・。

ねぶた=根蓋で、蓋をした上で足を踏ん張って担ぎ上げられている武者絵はこの坂上田村麻呂なのだと。

私はこの説には同意しません。それほど昔からのこの怨念や田村麻呂をたたえるにしてもこの祭りの持つ盛大な勢いとは全く相容れないし、祭りの起源はきっとそんなところにはないだろうと思います。

昔からある祭りは基本的に豊作を祈るもの(雨乞いなども)や霊を祈るものなどでしょう。
一般に言われている「眠り流し」が起源というのは妥当なものだと考えています。

長くなりましたので続きは明日へ。

正月早々記事が長くなってしまいました。

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地名 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/01/05 15:17
コメント
アテルイで来ましたか
お晩です、Romanさん。
もうすぐテレビ放送もあり、旬な話題ですね。
私的にも旬です。
私、出身が北海道雨竜郡、まあ蝦夷です。
大学が仙台、まあ昔は蝦夷の地ですものね。
ねぶたの起源については私も賛成です。
みんなこじつけたくなるのです。
阿弖流為の子孫は、どうなったのでしょう。
阿部貞任も流れを汲んでいるような気もしますし、
もしそうだったら奥州藤原氏までつながっていくのでしょうか。
答えは持ってないですが、阿弖流為にものすごく
魅力を感じております。またお邪魔します。
kozoh55 さん
おはようございます。

> もうすぐテレビ放送もあり、旬な話題ですね。

そうなんですね。アテルイ伝をNHK BSで11日から4回にわたって放映するんですね。
知らなかったんですよ。 総合テレビでも4月に放送されるようです。
教えてくださりありがとうございます。まったく知りませんでした。

> 私、出身が北海道雨竜郡、大学が仙台

そうなんですか。北海道・東北はもっともっと人が訪れていいですよね。
私の息子も仙台の大学に行っていました。今は名古屋にいます。

> ねぶたの起源については私も賛成です

ありがとうございます。あの武者絵の凄さをみるとそんなことも考えるのかもしれませんね。

> 阿弖流為の子孫は、どうなったのでしょう。
> 阿部貞任も流れを汲んでいるような気もしますし、
> もしそうだったら奥州藤原氏までつながっていくのでしょうか。

お詳しいのですね。私もよくわかりません。
アテルイなどのことを知ったのも数年前ですので・・・・。

テレビでも見ながらもう少し調べてみたいです。
ありがとうございました。

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