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染谷薬師堂

 昨日紹介した染谷地区の敷地内にある「大乗妙典廻国供養碑」は常陸風土記の丘からすぐのところにある。

海洋センターの前を通ってまっすぐ進み、粟田橋に道は右折して行きますが、曲がらずにまっすぐ進むと行けます。
この道の途中に少し小高い小山があり、その頂上にお宮があります。

地元にあった地区内の地図には「薬師堂」と書かれています。

IMG_5825s.jpg

地元の書物にもあまり出ていないようなので、ネットで調べてみました。
すると、「染谷古墳群薬師堂古墳」と書かれたものがありました。(こちら

風土記の丘公園の入口に「染谷古墳群」の看板が出ており、木々の中に古墳が眠っているように書かれていましたが、この林の中に入って行ってもすぐに古墳は見つからないのです。

その古墳群の一番大きなものがこの古墳のようです。
染谷27号古墳(円墳:径40m、高さ4m)

これが染谷古墳だなどと、現地にはどこにも書かれたものはありません。
興味を持って寄り道して、調べたら面白いことがわかった・・・・。そんなものなのでしょう。

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薬師堂(古墳の上に建てられた)に上ると、周りにはたくさんの墓や石像が置かれています。
そこに彫られた年代は「天保」「享保」など江戸時代のものばかりです。

写真の奥の方(南側)は昨日紹介した大乗妙典の碑がある方面で、その先の方に行くと比較的大きな寺院「宝持院」と「鹿島神社」があります。これらも古くいわれのある寺院です。

そして、その先が「池袋」という地名です。これは東京の池袋などと同じ名前の由来だと思います。

IMG_5829s.jpg

このような如意輪観音? などもいいお姿ですね。 
この地区の江戸時代の人々により奉納されたものなのでしょう。

IMG_5831s.jpg

さて、「染谷」という名前が気になりますが、はっきりしたことはわからないのですが、かなり昔に近くの恋瀬川の川岸に染物業の人たちが住んだものと思われます。

昔、龍神山は村上山といったようです。そして麓の村を村上と言いました。
龍神山の上にお宮を立て、麓に神社を建てて祀りました。
村上神社です。

でも村上村からこの染谷が別れたのです。
そして染谷にも神社を建てたのでしょう。

そして、染谷の神社が「染谷佐志能神社」となり、村上は「村上佐志能神社」になったのでしょう。
この年代がいつ頃のことなのかがよくわかりません。

はっきりしたことはわかりませんので、これは私の勝手な妄想かもしれません。

どちらにしてもここ染谷の佐志能神社に伝わる「染谷十二座神楽」はなかなか見事な民俗芸能です。
大切に継続していってほしいものです。


石岡市内 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2013/01/22 19:28
コメント
No title
こんにちは、
ぽつんと盛り上がった茂みに社があったら、そこは古墳で間違いなし。
と何かに書いてありました、いっぱい有りそうですね。
kurokenさん
こんにちは。

> ぽつんと盛り上がった茂みに社があったら、そこは古墳で間違いなし。

やっぱそうですよね。
でもちょっと意外な感じだな場所と感じたのは、多分よく知った場所だったせいもありますね。
だから気がつかないのかもしれません。

> いっぱい有りそうですね。

でもどんな人が住んでいたのでしょうね。民族的に興味があります。

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