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そばたか神社(2)

この「そばたか神社」は香取市大倉にある「側高神社」が中心なのですが、もう一つこの神社の特徴を象徴していると思うのが、成田空港の入口にある「側高神社」です。

こちらは成田市取香(とっこう)という地名です。
江戸時代から続く神楽「三番叟(さんばそう)」が行われることで知られています。

でもこの取香(とっこう)というのは日本の地名らしくない不自然な名前ですよね。
でもこの感じを逆さまにすると「香取」になります。

香取に逆らってもじって名付けられた地名とも言われていますので、この神社の性格を表しているのかもしれません。

さて、話を戻して、香取市にある「側高神社」の紹介をもう少し続けます。

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上の写真の奥にある建物が、拝殿。 その裏手(手前の建物に隠れて見えません)に本殿があります。
本殿は昨日紹介しましたが、千葉県の有形文化財です。

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境内にはいくつか境内社がありますが、この写真は「毘沙門天」となっています。

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こちらは御神木の千年杉です。大きさから見ると茨城北部山間部などにある千年杉などに比べて細いですね。

境内の裏手の方に樹齢500年と書かれた夫婦杉が置かれています。
こちらは根元の部分で2本の杉が合体しています。
神社に行くと最近目にする機会が増えました。

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この神社には少し変わったお祭りが伝わっています。
詳細は上の写真の説明を読んでいただければわかりますが、氏子の当番が交代する引き継ぎの時にヒゲを撫でて酒をすすめるという変わった行事です。

髭を逆さになでると、酒を三杯追加して飲むというのですから、昔も大酒飲みはいいが飲めない人は大変ですね。

私も昔は酒をよく飲みました。週末にはいつも真夜中まで飲んでいました。
しかし、肝臓も数値があまりよくないのと、あることをきっかけにほとんど飲まなくなりました。

最初は何か寂しさもありましたが、夜調べ物をしたりするには飲まないほうがいいです。

人間関係のコミュニカーションとしては付き合うこともありますが、晩酌はしていません。
先日少し飲んだだけで、ブログの更新が難しくなりました。

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さて、この香取市大倉の側高神社に伝わる興味深い話を最後に載せます。

「側高神が香取神の命で、陸奥の馬を二千匹捕まえて霞ヶ浦(香取海)の浮島まで戻ってきたところ、陸奥の神が追跡してきたという。そこで側高神は浦を千潮にして馬を下総に渡らせ、続いて満潮にして陸奥神が渡れないようにした。」

というのです。それぞれ神と表現されていますが、ここでは豪族と読み替えてみてください。
この頃の話は全て神話として、ヤマト王朝の豪族の長は神と書かれていますので、史実の焦点がぼやけてしまいます。

面白いのはまだ霞ヶ浦が海で海面の高さが数m高かったので、浮島(現稲敷市浮島)は潮が満ちてくると島になり、引くとまた地続きになる状態だったということが一つ。

また、馬を陸奥国から連れてきたと言っていますが、律令制の始まる頃にはこのあいだに「常陸国(現茨城県)」が入っていることです。

ですから、この話は黒坂命(くろさかのみこと)が美浦村から府中(石岡)を通って日立市(十王町)の竪破山(たつわれやま) まで攻めていった時代よりも少し前の話と考えられます。
当時は常陸国も陸奥国も区別がつかなかった蝦夷地だったのではないかと思います。
この当時は今の美浦村が「日高見国」の入口だったのでしょう。

鹿島神宮の神「タケミカヅチ」、香取神宮の神「フツヌシ」がどのような豪族の神様なのかよくわかりません。
歴史から消えてしまった物部氏、その後に台頭した藤原氏(中臣氏)などですが、それよりも前に多氏がいます。

それらの大和王朝の豪族たちが歴史を塗り替えたのか?
この側高神社を祀る「千葉氏」も桓武平氏系統の氏族とされていますが、この神社を見ると少し違うのではないかと感じています。
もちろん長い年月の間に同じような民族ですから交わってきてもおかしくありません。
区別する方が無理かも知れませんね。

明日は茨城県の「そばたか神社」を少しだけ紹介します。

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香取地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/02/09 16:54
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