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そばたか神社(3)-側鷹神社(行方市)

 今日テレビを見ていたら、前から気になるコマシャルが流れた。トップバリューの「骨のない魚」だ。

子供が魚嫌いなのは骨があるからだと若い子育て世代のママたちを煽っている。

見ていてとても気分が悪くなってくる。そんな気になるのは私くらいなのだろうか。

魚の骨を取る方法が機械化されたならともかく、人件費の安い東南アジアや中国で手作業で骨をとっている。
これって明らかにおかしいよ。

そんな人手をかけて骨を抜いた魚を食べている日本人ってどんな風に見られているのだろう。
そっちの方が気になる。

病院食やお年寄りの方の食事に骨なし魚を使うのならまだ許せるが、若い主婦相手のコマーシャルだから余計に気になってしまう。

日本人も生活が豊かになったものだ。
この借金大国で何時国債が暴落するかわからない。

本当に心配しなければならない時が近づいているのかもしれない。

まあ、ちょっと大げさかな。

 さて、今日は2日前まで書いてきた「そばたか神社」でも茨城県にある「そばたか神社」を紹介します。

三社ありますが、その中でも最も特異な神社は行方市小高にある「側鷹神社」です。

常陸国風土記の行方郡に

「郡より南へ七里のところに、男高(をだか)の里がある。昔、この地に住んでゐた小高(をだか)といふ名の佐伯に因んで名付けられた。常陸国守、当麻(たぎま)大夫の時代に池が作られ、それは今も道の東にある。池より西の山には、草木が繁り、猪や猿が多く住んでゐる。池の南の鯨岡は、古へに、鯨がここまではらばって来てそのまま伏せって息絶えた場所である。池の北には、香取の神を分祀した社がある。栗家(くりや)の池といひ、大きな栗の木があったことから、池の名となった。」(口訳・常陸国風土記より)

と書かれています。

この小高という地名は小高という佐伯の名前から付いたとなっています。
佐伯というのは蝦夷人のことです。

この行方地方は4~5世紀頃?順にヤマト人に制圧されていった時に、一番後の方にヤマト(話では日本武尊)によって平定されたと考えられます。

それと、鯨岡という地名もありますが、これは鯨が霞ヶ浦が海であった時にこの浜辺に打ち上げられたのだそうです。
霞ヶ浦にも昔は鯨が泳いでいたのでしょうか? 
でもわざわざ風土記に書くくらいですから、8世紀にはもういなかったのかもしれません。

さて、この風土記に出てくる「香取の神の社」というのが、今回紹介する「側鷹神社」と言われているところです。
すなわち、風土記が書かれた8世紀初めにはすでに香取の神を祀る神社として存在していたことになります。

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神社は小高小学校のすぐ南側にあります。あまり車の多く通る道でもありませんが、ちゃんとした道路沿いに鎮座しています。
鬱蒼とした木々が茂る一角にあります。

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大きな鳥居と広い参道が奥の拝殿につながっています。

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神社の入口近くに掲げられていた説明板です。意味深な?書き方ですね。
香取神宮に祀られているフツヌシが、霞ヶ浦(流れ海)を越えて、この地よりも東に向け軍を進めたのでしょうか。
物部のフツヌシがこの鹿島の地に近い常陸国にやってきたのでしょうか?

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こちらが拝殿です。質素な造りです。
でも千葉県香取市大倉の側高神社を見てきた感想から、この神社を眺めてみると、ここに掲げられた「香取の神子」という表現は少し違和感があります。

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境内にはかなりの年代を経たと思われる古木があります。 写真の奥に映るのは神社の本殿です。

先に述べたように、香取の神(フツヌシ=物部?)の下に組み込まれたソバタカ神=多氏?=千葉氏の先祖?の一部がここにいた蝦夷人を平定してこの地に住んだ。
そして自らの神をここに祀ったのだと考えても良いのではないでしょうか。

でもそれは、当時の常陸国風土記では香取の神の子供(分神)と表現されていたとしたら・・・・。

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これが本殿です。
この神社の周りにその痕跡を探して地図を開いてみました。
側鷹神社を東北の鬼門に祀っていたとしたら、一族の城、住居のあったと思われる場所がありました。

この神社から南西方向に「皇徳寺」という寺がありますが、その裏山に「皇徳寺古墳群」があるのです。
きっとこのあたりにこの側鷹神社を祀っていた部族が住んでいたのではないかと思われます。

これは考古学的な根拠もありませんので、あくまで推論です。
でもそうとでも考えないと、この地に「そばたか神社」がある理由がわからないのです。

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境内にはいくつかの境内社があります。
上の写真は「大山阿夫利(あふり)神社」です。神奈川県伊勢原市の神社の分霊でしょうか。
このへんではあまり見かけない気がします。
江戸時代に大山に参詣する講が盛んに行われていたようなので、その頃のものかもしれません。

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こちらが御神木です。かなり大きな古い木です。

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こちらの神社のすぐ北に行方(なめがた)市立小高小学校がありました。
今も建物は立派に残っていますが、学校は昨年春に廃校になりました。
このように立派な建物が活用されずに、各地で廃校が進んでいます。
有効利用をぜひ考えていただきたいですね。

石岡の朝日里山学校のような観光施設として活用する方法もありますが、このような場所ではそれよりもトマトやキノコなどの栽培プラントなどに活用する道がないのでしょうか。

今は土植えでなくとも、水耕栽培など工場設備のような場所に活用し、屋上は太陽熱パネルを並べるというような本格的な利用法を全国レベルで考えていただきたいものです。

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その他の茨城県の「そばたか神社」は、浮島の製塩土器の発掘された広畑貝塚のすぐ上に「脇鷹神社」があります。もう一箇所は河内町金江津の利根川の茨城県側の岸に「側高神社」があります。

これらはどちらも恐らく香取市大倉の「側高神社」から分霊されたものと思われます。
近くに千葉氏に関わる氏族が住んでいたのかもしれません。

これらはどちらも下総国から利根川渡ったすぐ近くです。
なんとなく下総国と常陸国とは少し民族的な違いがありそうです。

常陸国風土記の信太郡のところに

「昔、天地の初め、草も木も言葉を語ったころに、天より降り来たった神があった。名は普都(ふ つ)の大神といひ、葦原の中津の国を巡行し、山川の荒ぶる神たちを和めた。それを終へて天に帰らうとして、身に着けてゐた厳(いつ)の鎧・矛・楯・剣、手に付けてゐた玉を、すべて脱ぎ捨て、この国に遺して、天に昇り帰って行った。(略)
諺に、「葦原の鹿の味は、腐ってゐるやうだ」といふ。山の鹿の肉とは味が違ふ。だから下総との国境の狩人たちにも、獲り尽くされることはあるまい。」(口訳・常陸国風土記)

と書かれている表現がわかってきそうに思われます。

IMG_1161s.jpg

上の写真は浮島の側鷹神社ですが、あまり神社という形をなしていません。
広場に「弘法大師逆さ杖」という看板がありました。
説明によれば、弘法大師が巡錫の途次、ここで休憩し杖を逆さにさしたまま忘れていった。
その杖から芽が出て無花果(いちじく)の木になった。
という伝説が残されていると書かれていました。

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香取地区 | コメント(7) | トラックバック(0) | 2013/02/11 15:22
コメント
No title
Romanさん こんばんは
最初に書かれてる話…
「ダーウィンの悪夢」という映画をご覧になった
ことありますか?(2~3年前)気分の良い内容では
ありませんが、先進国(日本含め)がいかに貧しい国を搾取してるか
描かれていて ある意味衝撃というか…
NINA27さん
こんばんは。

> 「ダーウィンの悪夢」という映画をご覧になったことありますか?

見たことはありません。今調べたらYou-TubeにもUPされていました。
今度見てみますね。大きな外来種の魚がビクトリア湖で採れる。

今までもヨーロッパはアフリカなどを植民地として資源を搾取してきました。
この貧しい人たちが先進国に近づいてくるときっと食料は足りなくなるでしょうね。
この間のアルジェリアの人質事件もフランスの今までしてきたことが影響していますね。
そんな歴史が繰り返されている。少し虚しいですね。

この映画の内容はよくわかりませんが、虚しさが漂ってくるのは何故なのでしょう。

まあ、この最初のフレーズにコメント嬉しいです。またいろいろ教えてください。
こんにちは
魚の骨の記事を読んで、考えさせられました。
東南アジアの女性の骨抜き作業で、一番大変なのがあのサーモンだそうですね。
サーモンは肉の間に他の骨とは離れて長い骨があり、それを抜くのがとても大変なのだそうです。
だからサーモンの骨を綺麗に抜けたら一人前の作業員なのだそうですね。
あのCMを見ると、その事をすぐに思い出すんです。
カミさん様
こんばんは。

> 東南アジアの女性の骨抜き作業で、一番大変なのがあのサーモンだそうですね。

そうですか。知りませんでした。このCMはサーモンでしたね。
私は仕事でロシアや東欧などに行くことがありましたが、このあたりは魚といえばサーモンです。
またじゃがいも料理も定番です。

サーモンの骨は硬いけれどそんなに食べにくいとは思いません。
こんなのを他人の手で取ってもらって食べるなど考えられません。
今のお母さんたちは平気なのでしょうかね。
それとも、なにか処理して機械ででも取っていると思っているのでしょうか?

> サーモンは肉の間に他の骨とは離れて長い骨があり、それを抜くのがとても大変なのだそうです。
> だからサーモンの骨を綺麗に抜けたら一人前の作業員なのだそうですね。
> あのCMを見ると、その事をすぐに思い出すんです。

一人前の作業員ですか。仕事があるのはいいことだというならこれもありなのでしょうね。
私も知らないうちに、レストランなどで出されているかもしれませんね。
No title
はじめまして
私も下総の古代史に興味があり、周辺の神社巡りをしたりしています。
今回は側高神社を検索していてこちらにたどり着き大変面白く読ませていただきました。

特に蝦夷のことを佐伯というのですね、はじめて知りました。
私は佐伯氏というと空海(弘法大師)の俗名の佐伯 眞魚を思い出しました。

ところで、Romanさんは側高神社は多氏と関わりがあるのでは書かれていますが、私は多氏ではなく天日鷲命を祖神とする忌部氏なんじゃないかと思っています。
その理由として、側高の表記としてRomanさんも書かれていますが、「側鷹」「脇鷹」「蘇羽鷹」「素羽鷹」などが使われていること。
千葉の房総の名の由来は、もともとは阿波から安房に入植した忌部氏が麻(総)の栽培のために開拓した地ということから来ているためです。

そして佐伯 眞魚も阿波の出身です。
もしかしら彼はここに杖を刺して、何かの封印をして行ったのかもしれませんね。
四国八十八箇所を作ることによって四国全体の古代史を封印したのかもしれないという同じ理由で。




maimama さま
こんばんは。
お便り嬉しく拝見しました。

> 私も下総の古代史に興味があり、周辺の神社巡りをしたりしています。

総の国も古くからの神社などに面白いところがいっぱいありますね。

> 今回は側高神社を検索していてこちらにたどり着き大変面白く読ませていただきました。

そうですか、私は偶然香取神社近くの「側高神社」の看板を見つけて気になっていました。
そしてとても変わった神社であることに驚いたのです。

> 特に蝦夷のことを佐伯というのですね、はじめて知りました。
> 私は佐伯氏というと空海(弘法大師)の俗名の佐伯 眞魚を思い出しました。

常陸国風土記にも山の佐伯、野の佐伯といふ国巣(くず)と出てきますから土着していた縄文人・蝦夷人のことを呼んだのでしょうね。 この佐伯(大和朝廷の意向に従わず、さえぎる人=佐伯 と言われますが、これも奈良の都に送られ、四国などにも連れて行かれ、砂鉄などの採取に駆り出されたそうです。
そして、それらの人々の中で優れた人をその取締の長に任命して「佐伯部」といったようです。
空海がこの佐伯部(さえきべ)の家系ではなかったかとも言われているようですね。

> ところで、Romanさんは側高神社は多氏と関わりがあるのでは書かれていますが、私は多氏ではなく天日鷲命を祖神とする忌部氏なんじゃないかと思っています。
> その理由として、側高の表記としてRomanさんも書かれていますが、「側鷹」「脇鷹」「蘇羽鷹」「素羽鷹」などが使われていること。

しかし忌部氏は鷲(わし)であって、鷹(たか)ではないのでは?
私もこの黒潮にのって、船で房の国に上陸して「安房」「布佐」「総」などの言葉は皆関係があると思っています。
でもこの側高はどこか不思議なんですよね。何しろ祭神を長い間かくして教えなかったようですので。

茨城の那珂川沿いを忌部氏がかなり内陸に進んだように思います。
「阿波山上神社」「鷲子(とりのこ)山上神社」くらいまでみな忌部氏の影響を感じます。

> そして佐伯 眞魚も阿波の出身です。
> もしかしら彼はここに杖を刺して、何かの封印をして行ったのかもしれませんね。
> 四国八十八箇所を作ることによって四国全体の古代史を封印したのかもしれないという同じ理由で。

なかなか面白そうですね。私も調べてみたくなりました。

コメント、本当にありがとうございました。
No title
早々に返信ありがとうございます。

鷲と鷹
一見違うようでうですが、wikiによると

比較的大きいものをワシ(鷲,Eagle)、小さめのものをタカ(鷹, Hawk)と呼び分けているが、明確な区別ではなく慣習に従って呼び分けているに過ぎない。また大きさからも明確に分けられているわけでもない。

となっています。
祭神の名前を隠すぐらいですから、鷲を鷹に代えるぐらいはあるかなっと。

ちなみに空海の出身地は阿波でなく讃岐でしたね、失礼いたしました。
ただし、蝦夷と佐伯の俘囚の関係を調べてみたら、
播磨、安芸、阿波、伊予、讃岐に配置されたと書かれたオシテ文献もあるようです。

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