北利根川
今日北朝鮮が地下核実験を実施したそうですね。
持っていても使うことができない兵器に莫大な費用をかけて開発している。
まったく愚かしいが、未だにこの国が崩壊しないのも不思議なのだが・・・・。
今の状態だと、核爆弾がテロリストに渡るのが一番怖い。
昔の日本もかなり危なかった。
「耐え難きを耐え 忍び難きを忍び 以て万世の為に太平を開かむと欲す」
何か考えてしまいました。
さて話をいつもの記事に戻します。
霞ヶ浦は昔は海であった。
江戸時代初期に利根川を銚子の方に流れを変えさせ、今の利根川の形になったが、鉄道が通る前までは、荷物の運搬は船が便利であった。
馬なら米俵が左右に1俵づつで2俵しか運べないが、船なら沢山運べる。
また江戸・東京に遊びに行くとしても陸路に比べても船の方が楽で、蒸気船が使われるようになると一気に時間が短縮された。
明治33年までは、利根川はここ横利根川で霞ヶ浦に流れ込んでいた。
当時は、利根川が増水すると霞ヶ浦の水位が上がり洪水を引き起こす要因になっていた。
そこで、利根川の流れを変え、ここに水門を作った。
利根川側(千葉県側)の水門は前回紹介したレトロなレンガ造りの「横利根閘門(こうもん)」(こちら)があり、釣り人のメッカ?となっている静かな横利根川が霞ヶ浦側(茨城県側)とをつないでいる。
今日はこの茨城県側の水門を紹介します。

国道51号線が潮来方面から香取市を通っていますが、霞ヶ浦が常陸利根川(霞ヶ浦の一番下流)となる場所に架かる橋が「北利根橋」です。
先日も一度紹介しましたが、つい先週にまた行った時は曇で、風が強い日でした。この橋の上から見えた筑波山は青くとても神秘的な色でした。
この日は波が荒かったですが、霞ヶ浦が広がり、近くの葦の原には鴨などの水鳥がのんびり泳いでいます。

上の写真は、反対側(下流側)で、ここから常陸利根川となります。
写真のすぐ右手に水門が見えます。
利根川に入るにはこの水門を通って、横利根川に入り、先に紹介した横利根閘門を通って利根川に入ります。
今の霞ヶ浦は淡水の湖です。この先の利根川との合流点手前に水門が設置され、利根川も、常陸利根川も海水は入り込みません。
この利根川下流の地域は、開墾が進み、広い農地が作られました。
このためには海水の塩害の被害に遭わないようにする必要があったとされています。
しかし、水門が閉じられた霞ヶ浦は今は息苦しくなり、先端の土浦や高浜方面などで毎年夏にアオコが発生して、悪臭を放ち住民は悲鳴を上げています。
政府も学者などを集め、この霞ヶ浦の環境悪化を真剣に検討していただきたいと思います。
一部の利害関係だけで動くことがないように切に願っています。
私は、霞ヶ浦の周りを回ってみて、海との堺に設置された水門を開けることを含めた検討を是非真剣に考えてもらいたいと思うようになりました。
霞ヶ浦周辺を世界遺産に登録する夢を語っておられた土浦市博物館館長の茂木氏の言葉を思い出した。

この北利根橋は茨城と千葉(香取、成田)を結ぶ主要幹線(国道51号線)にある。
橋は大型トラックなども毎日多く通ります。(橋から香取方面を眺めたところです)

橋から1歩下に降りると、このような小舟や、葦原などのんびりとした風情が広がります。

常陸利根川と横利根川と接するところはこのような水門で仕切られています。
通常はこのように信号が赤で、閉まっているようです。
船が通る時に、反対側を占めてこちらを開けるようです。
今一般的に使われている上下に動く水門です。(横利根閘門は、こことは違って珍しい前後に開きます)

反対側の水門です。
左手の建物はポンプ場のようです。
推移調整などで排水用のポンプが数台設置されているようです。

信号が青になっていますので、開いています。
奥が横利根川です。ここは普段ほとんど流れがないようですが、時々流しているのでしょうね。

横利根川は前後で水門で水位が調整されますので、表面はとても穏やかで静かです。
横利根閘門近くは釣舟がいつも出ていますが、こちらの北利根川には見当たりません。

(サムネルです)
上の写真は、水門の位置から見た「北利根橋」です。橋の向こう側が霞ヶ浦です。
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持っていても使うことができない兵器に莫大な費用をかけて開発している。
まったく愚かしいが、未だにこの国が崩壊しないのも不思議なのだが・・・・。
今の状態だと、核爆弾がテロリストに渡るのが一番怖い。
昔の日本もかなり危なかった。
「耐え難きを耐え 忍び難きを忍び 以て万世の為に太平を開かむと欲す」
何か考えてしまいました。
さて話をいつもの記事に戻します。
霞ヶ浦は昔は海であった。
江戸時代初期に利根川を銚子の方に流れを変えさせ、今の利根川の形になったが、鉄道が通る前までは、荷物の運搬は船が便利であった。
馬なら米俵が左右に1俵づつで2俵しか運べないが、船なら沢山運べる。
また江戸・東京に遊びに行くとしても陸路に比べても船の方が楽で、蒸気船が使われるようになると一気に時間が短縮された。
明治33年までは、利根川はここ横利根川で霞ヶ浦に流れ込んでいた。
当時は、利根川が増水すると霞ヶ浦の水位が上がり洪水を引き起こす要因になっていた。
そこで、利根川の流れを変え、ここに水門を作った。
利根川側(千葉県側)の水門は前回紹介したレトロなレンガ造りの「横利根閘門(こうもん)」(こちら)があり、釣り人のメッカ?となっている静かな横利根川が霞ヶ浦側(茨城県側)とをつないでいる。
今日はこの茨城県側の水門を紹介します。

国道51号線が潮来方面から香取市を通っていますが、霞ヶ浦が常陸利根川(霞ヶ浦の一番下流)となる場所に架かる橋が「北利根橋」です。
先日も一度紹介しましたが、つい先週にまた行った時は曇で、風が強い日でした。この橋の上から見えた筑波山は青くとても神秘的な色でした。
この日は波が荒かったですが、霞ヶ浦が広がり、近くの葦の原には鴨などの水鳥がのんびり泳いでいます。

上の写真は、反対側(下流側)で、ここから常陸利根川となります。
写真のすぐ右手に水門が見えます。
利根川に入るにはこの水門を通って、横利根川に入り、先に紹介した横利根閘門を通って利根川に入ります。
今の霞ヶ浦は淡水の湖です。この先の利根川との合流点手前に水門が設置され、利根川も、常陸利根川も海水は入り込みません。
この利根川下流の地域は、開墾が進み、広い農地が作られました。
このためには海水の塩害の被害に遭わないようにする必要があったとされています。
しかし、水門が閉じられた霞ヶ浦は今は息苦しくなり、先端の土浦や高浜方面などで毎年夏にアオコが発生して、悪臭を放ち住民は悲鳴を上げています。
政府も学者などを集め、この霞ヶ浦の環境悪化を真剣に検討していただきたいと思います。
一部の利害関係だけで動くことがないように切に願っています。
私は、霞ヶ浦の周りを回ってみて、海との堺に設置された水門を開けることを含めた検討を是非真剣に考えてもらいたいと思うようになりました。
霞ヶ浦周辺を世界遺産に登録する夢を語っておられた土浦市博物館館長の茂木氏の言葉を思い出した。

この北利根橋は茨城と千葉(香取、成田)を結ぶ主要幹線(国道51号線)にある。
橋は大型トラックなども毎日多く通ります。(橋から香取方面を眺めたところです)

橋から1歩下に降りると、このような小舟や、葦原などのんびりとした風情が広がります。

常陸利根川と横利根川と接するところはこのような水門で仕切られています。
通常はこのように信号が赤で、閉まっているようです。
船が通る時に、反対側を占めてこちらを開けるようです。
今一般的に使われている上下に動く水門です。(横利根閘門は、こことは違って珍しい前後に開きます)

反対側の水門です。
左手の建物はポンプ場のようです。
推移調整などで排水用のポンプが数台設置されているようです。

信号が青になっていますので、開いています。
奥が横利根川です。ここは普段ほとんど流れがないようですが、時々流しているのでしょうね。

横利根川は前後で水門で水位が調整されますので、表面はとても穏やかで静かです。
横利根閘門近くは釣舟がいつも出ていますが、こちらの北利根川には見当たりません。

(サムネルです)
上の写真は、水門の位置から見た「北利根橋」です。橋の向こう側が霞ヶ浦です。


水門があることなど、恥ずかしながら知りませんでした^^;
ここは潮来市になるのですか?
霞ヶ浦~利根川べりの散策も面白そうですね☆
いつもタメになる記事をありがとうございます(*^_^*)
> 今回は読み逃げしません(笑)
読み逃げ構いませんよ。私も読み逃げしています。
> 北利根川地区は、このようになっていましたか。
> 水門があることなど、恥ずかしながら知りませんでした^^;
> ここは潮来市になるのですか?
ここの川向こうは潮来市でこちら側はこの横利根川の左右で茨城県稲敷市(浮島)と千葉県香取市に分かれていたと思います。
面白いですよね。
前に土浦からこの水門を通って銚子までクルージングをやっていました。
銚子で温泉に入って帰ってくる。こんなのもいいですよね。
> 霞ヶ浦~利根川べりの散策も面白そうですね☆
私も最近まで知りませんでした。
知らないことは多いですね。この水門もあることは知っていたのですが、直接見たのは初めてです。