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笹竜胆

昨日は風邪で休んで家でノンビリ過ごした。
家に一人でいると電話がかかり、出たら「○○保険の××といいますが、73歳までの
保険のご案内をしています。資料をお送りしましたので・・・。ご主人様は何年
生まれでしょうか?」まったく不躾で失礼な電話だ。
話も聞かずに断ったが、電話番号を電話帳に登録しない人の気持ちもわかる。
断ると、何かこちらも後味の悪さが残るのである。困った世の中だ。

 さて、今日はタイトルに書いた「笹竜胆」についてである。
竜胆はリンドウのことで中国語のリュウタンがリンドウと聞こえたのでこのリンドウとなったという。
笹竜胆(ささりんどう)はリンドウの葉が笹の葉に似ており、リンドウの花と笹の葉をあしらった
家紋を「笹竜胆」というそうだ。

sasarindou.jpg rindou6.jpg


家紋などに詳しいわけではないので良く分からないのだが、これが源氏の系統を示す紋だという。
私が、このことを知ったのはかすみがうら市の「胎安(たやす)神社」にいった時である。
神社の紋に使われており、このいきさつを紹介されていた。
そのホームページはなかなか詳しく歴史などを紹介しており、宮司の方のブログもあり、熱心さが
伝わってきます。そのホームページから一部を転載させていただきました。

「天喜2年(1055年) 鎮守府将軍陸奥守・源頼義、義家父子が、奥州征討の時、隣村の下雫村(下志筑)在陣中に、胎内安全、安産子育守護の霊験著大なることを聞き、都にいる御内室の懐胎を遥想されて、神主を招き、安産祈願を執り行いました。
康平6年(1064年) 大任遂行の帰路、当社と子安神社に奉賽(ほうさい)すなわち、お礼参りをされました。この時の「太刀一振り」の奉納札が残っています。
その後、義家の嫡男誕生の9月9日を記念日として祭日に定めたとされています。 
尚、この時以来、義家の家紋である笹竜胆 (ささりんどう)の紋章の使用を許されました。」

源義家とは八幡太郎義家のことであり、奥州征伐は2度行きましたが、最初の「前九年の役」です。
この時はまだ源氏に従うものはそれ程多くはなく、大分苦労したようです。
この近くの正月平などの地名の由来などにもなりました。

胎安神社はこのように古くから伝わる神社ですが、あまり知られていません。
名前からわかるように「安産祈願」「子授け祈願」などが主体です。
石岡の誇る「総社宮」でも「はらおび」などはこちらのものがわたされているようです。

ホームページにもありますが、昔鎌倉街道がこの胎安神社と子安神社の間を通り、国分尼寺へ
続いていたと書かれています。
石岡(府中)のどこを通る道が鎌倉街道なのでしょうか。
現在国道6号線があるため、道が良くわかりません。
石岡は平家発祥の地だという。
しかし、昔は平氏と源氏が対立する関係にはなくお互いが仲間になったり敵対したりしていた時代です。
2度目の奥州征伐に源義家が兵を挙げてやってきた時(後三年の役)はかすみがうら市の
草原に四万騎の馬と兵が集まり「四万騎」の名前が地名となり、石岡に来た時は五万に増え
「五万掘」の名前が残ったといわれています。
 

志筑・かすみがうら地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/12/02 19:47
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