凛として
2月ももうすぐ終わります。期の変わり目の3月末が近づいてきました。
私もこの歳になっても、毎年この時期が来ると4月以降の自分の進むべき道を考えてしまうことがあります。
60歳を過ぎてくると無理もきかなくなり、新たなことにチャレンジするのもためらわれてくるのは致し方ないのでしょう。
「もうそのくらいでいいじゃない」と一人の自分がささやきます。
「いや、自分はもっとやれるはずだ。こんなことに満足して終わるのか?」もう一人の自分がつぶやきます。
「凛として立つ」という言葉が浮かんできました。
主には女性に使われることが多いようですが、方向感を見失い始めた時に、正しい方向に向けてくれる言葉のような気がします。
でもやはり最後まで立派な人にはなれそうにありません。
明日はまた銚子に出かけます。
あまり考えずとも、しっかり前を向いて進んでいけば、きっと良い道が開けてくれることでしょう。
愚痴のようになってしまいました。
滝平二郎のサイン入り切り絵画集をネットで購入しました。
その画集の中に二郎が子供の頃の話がいくつか書かれていました。
<天から落ちて・・・>
私の生家は、村はずれにあった。
幼いころは、近所にともだちというものがなかったから、ろくな遊び方も知らなかった。
たいていは、三つちがいの兄と、ただわけもなくたわむれて遊んだ。
・・・・
・・・・
母親のくれるのは、たいていオニンコ(おにぎり)であった。あるときは塩をまぶし、あるときはみそをまぶした。
腹さえふさがれば、幼いものの心はなごんむ。
おとなしく、かまどの前にしゃがんで、あかい炎に見とれていたりすると、母親は、つと、みそをする手をやすめて、「ほい、なぞかけっこ。」と話しかけた。
それは、今までなんべんくり返したかもしれない、飽きもせずくり返した「なぞなぞ」であった。
---天から落ちて、地ころんで、塩水のんで、日なたぼっこ。
・・・・
・・・・
答えは「梅ぼし」だ。
滝平二郎には3歳上の兄がいて、兄が小学校に入る前のころの話だという。
母親が夜なべ仕事をしながらリズムをつけてなぞかけをやる。
昔は田舎ではよくあった風情なのだろう。
滝平二郎の生まれた(旧)玉里村は古くからある土地だが、それほど裕福な土地柄ではない。
切り絵を見ていると、先日訪れた愛宕神社と、その前に広がる蓮畑、光の輝く霞ヶ浦湖面の風景が目に浮かぶ。
滝平二郎さんの切り絵画集や版画などをわずかですが集めているのも、郷土を愛した芸術家をみなさんにも知ってもらいたいと、そのうちにどこかの片隅に展示できればいいなと思って始めたのです。
この夢ももう少ししたら、ささやかですが叶いそうです。
また報告できる日が早く訪れてくれたらいいと願っています。

左は「豆まき」、右は「もらい湯」です。
もらい湯などという言葉はもう死語になってしまいました。
私も小学校低学年までは銭湯に通っていましたが、かなり遠く(1km以上)て、帰る頃には体も冷えてしまっていました。
そのうちに隣にお風呂を新築して、声をかけてもらって何度かもらい湯にいきました。
我が家もそれから数ヶ月で風呂場を作りました。
小さな集合住宅で長屋みたいな家でしたが、庭もあり増設もかなり自由だったのです。
これが薪や石炭の風呂釜でしたが、檜の湯船は気持ちが良かった思い出があります。
その当時はみな慎ましく暮らしていたように思います。
隣近所も同じような暮らしぶりの世帯ばかりですから、大きな家を羨ましいなどと思ったことすらありません。
やはり、もう少しだけ自分らしくやれることにチャレンジして行こうと思います。
それからこのブログも「3年休まずに続けたら何かが変わる」と信じているんですよ。
あと半年です。少しずつその目が見え始めているようにも思っています。
← よろしければクリックお願いします。
私もこの歳になっても、毎年この時期が来ると4月以降の自分の進むべき道を考えてしまうことがあります。
60歳を過ぎてくると無理もきかなくなり、新たなことにチャレンジするのもためらわれてくるのは致し方ないのでしょう。
「もうそのくらいでいいじゃない」と一人の自分がささやきます。
「いや、自分はもっとやれるはずだ。こんなことに満足して終わるのか?」もう一人の自分がつぶやきます。
「凛として立つ」という言葉が浮かんできました。
主には女性に使われることが多いようですが、方向感を見失い始めた時に、正しい方向に向けてくれる言葉のような気がします。
でもやはり最後まで立派な人にはなれそうにありません。
明日はまた銚子に出かけます。
あまり考えずとも、しっかり前を向いて進んでいけば、きっと良い道が開けてくれることでしょう。
愚痴のようになってしまいました。
滝平二郎のサイン入り切り絵画集をネットで購入しました。
その画集の中に二郎が子供の頃の話がいくつか書かれていました。
<天から落ちて・・・>
私の生家は、村はずれにあった。
幼いころは、近所にともだちというものがなかったから、ろくな遊び方も知らなかった。
たいていは、三つちがいの兄と、ただわけもなくたわむれて遊んだ。
・・・・
・・・・
母親のくれるのは、たいていオニンコ(おにぎり)であった。あるときは塩をまぶし、あるときはみそをまぶした。
腹さえふさがれば、幼いものの心はなごんむ。
おとなしく、かまどの前にしゃがんで、あかい炎に見とれていたりすると、母親は、つと、みそをする手をやすめて、「ほい、なぞかけっこ。」と話しかけた。
それは、今までなんべんくり返したかもしれない、飽きもせずくり返した「なぞなぞ」であった。
---天から落ちて、地ころんで、塩水のんで、日なたぼっこ。
・・・・
・・・・
答えは「梅ぼし」だ。
滝平二郎には3歳上の兄がいて、兄が小学校に入る前のころの話だという。
母親が夜なべ仕事をしながらリズムをつけてなぞかけをやる。
昔は田舎ではよくあった風情なのだろう。
滝平二郎の生まれた(旧)玉里村は古くからある土地だが、それほど裕福な土地柄ではない。
切り絵を見ていると、先日訪れた愛宕神社と、その前に広がる蓮畑、光の輝く霞ヶ浦湖面の風景が目に浮かぶ。
滝平二郎さんの切り絵画集や版画などをわずかですが集めているのも、郷土を愛した芸術家をみなさんにも知ってもらいたいと、そのうちにどこかの片隅に展示できればいいなと思って始めたのです。
この夢ももう少ししたら、ささやかですが叶いそうです。
また報告できる日が早く訪れてくれたらいいと願っています。


左は「豆まき」、右は「もらい湯」です。
もらい湯などという言葉はもう死語になってしまいました。
私も小学校低学年までは銭湯に通っていましたが、かなり遠く(1km以上)て、帰る頃には体も冷えてしまっていました。
そのうちに隣にお風呂を新築して、声をかけてもらって何度かもらい湯にいきました。
我が家もそれから数ヶ月で風呂場を作りました。
小さな集合住宅で長屋みたいな家でしたが、庭もあり増設もかなり自由だったのです。
これが薪や石炭の風呂釜でしたが、檜の湯船は気持ちが良かった思い出があります。
その当時はみな慎ましく暮らしていたように思います。
隣近所も同じような暮らしぶりの世帯ばかりですから、大きな家を羨ましいなどと思ったことすらありません。
やはり、もう少しだけ自分らしくやれることにチャレンジして行こうと思います。
それからこのブログも「3年休まずに続けたら何かが変わる」と信じているんですよ。
あと半年です。少しずつその目が見え始めているようにも思っています。


でも年齢に従って大目標を切り換えて生きることは至難。引退すれば「孤独力」が大事などと昨今は目にします。
実際に自分が関心を持つのは、自分を作っているのは如何なる精神かで、それを知れば自由な気持ちがで生きられるようになり、その作業をするには孤独力はいいものだろうと思っています。
結果的にそれを得た現れは‘凛としたもの’になるのでしょう。日本人の心に流れた精神のかたちに向き合うRomanさんの探訪の記事はこの自分に向き合う助けになるものです。
この言葉は知りませんでした。忠顕様も技術屋だったんですね。きっと優秀な方だったと思います。
いつも正確な分析力を持っておられます。コメントも私等の思っているより深いところを突かれます。
> 引退すれば「孤独力」が大事などと昨今は目にします。
孤独力とはどういうことかはわかりません。男は仕事を辞めるといろいろですね。
組織の力に頼っていただけの仕事人間が、肩書きを持たない自分だけの力で生きることを意味するのでしょうか。
> 実際に自分が関心を持つのは、自分を作っているのは如何なる精神かで、それを知れば自由な気持ちがで生きられるようになり、その作業をするには孤独力はいいものだろうと思っています。
かなり精神力を磨かないとこの境地には到達しそうにありませんが、私のブログのどこかにお役に立つ要素があるのだとしたら嬉しいことです。
> 結果的にそれを得た現れは‘凛としたもの’になるのでしょう。日本人の心に流れた精神のかたちに向き合うRomanさんの探訪の記事はこの自分に向き合う助けになるものです。
自分の目指すものがまだ見えていませんが、他のブログにはない要素は確かにあるでしょう。
それが自分に向き合うものかもわかりません。まだまだですね・・・。
いつも応援していただきありがたいです。
私はコンピュータプログラミングが好きで、Delphiというコンピュータ言語を使って、つまらないゲームなどを自作していました。そのコンピュータ言語開発会社が何度か身売りされ、そのたびにUPDATE版の価格でさえ異常に高くなり、遂にコンピュータプログラミングそのものを諦めてしまいました。ということで、サラリーマン引退後の楽しみにする計画がおじゃんになってしまいました。
今はただで出来るEXCELのマクロをささやかに楽しむ程度です。情けない話です。
四十にして惑わずの時期をはるかに超えて暦も周りましたが、未だに惑ってばかりです。
お返事遅くなりました。
> Romanさんの超前向きな姿勢、ダラダラ過ごしている私も見習わなくてはいけませんねえ。
これも自身を奮い立たせるためにやっているので、実情はふにゃふにゃです。
> 私はコンピュータプログラミングが好きで、Delphiというコンピュータ言語を使って、つまらないゲームなどを自作していました。そのコンピュータ言語開発会社が何度か身売りされ、そのたびにUPDATE版の価格でさえ異常に高くなり、遂にコンピュータプログラミングそのものを諦めてしまいました。ということで、サラリーマン引退後の楽しみにする計画がおじゃんになってしまいました。
そうですか。すごいですね。Delphiとは本格的ですね。
> 今はただで出来るEXCELのマクロをささやかに楽しむ程度です。情けない話です。
私もExcelのマクロはもうだいぶ前から使っています。
Excel4マクロ時代からで、現在もVBAでデータベースや検索・計算など全て行っています。
電子化したたくさんの技術資料などをDB化もしたりしています。面白いですね。
またいろいろ情報交換しましょう。